57 出発
大きなカバンは、必要ないんだ。
僕には、とっておきの収納カバンがある。さすがは師匠の弟子、でしょう?
もしかして、この便利グッズのせいで、余計に筋力が劣っているのかもしれない……なんて思わないでもないけれど。
「えげつねえ……」
皮のバッグに必要なものを次々詰めていると、ディアンがものすごく引いている。
「なにが?」
「収納量。超高級品じゃねえか」
「そうなの? 師匠が作ったバッグだから、皮のバッグ代金しかかかってないよ!」
得意満面で掲げて見せたら、軽く舌打ちされた。
まだ、師匠が嫌い?
でも、選書魔法を見て凄いって思ったでしょう? だから余計に、納得いかないのかもしれないけれど。
「ねえ、他に何がいるかな? ディアンはいっぱい食べるから、保存食は大目にもって行く?」
「行くとは言ってねえ」
「え? でも行かないって言ってないよ」
一緒に行くでしょう? だってもうそろそろ、準備を終えて明日にでも出発しようかと思っている。
びっくり顔の僕に、ディアンはイラついた様子で立ち上がった。
追うように顔を上げて、眩しさに目を細める。
いつの間にか暗くなりつつあった部屋に、燃える橙が差し込んでいた。
「わ……綺麗。ディアンの目みたいだよ! 夕日がきれいだと翌朝は晴れるんだって。ね、明日出発にしようよ!」
「俺の目? 縁起でもねえ」
「もう! 夕日は誰が見たって綺麗で素敵でしょう」
橙の光を受け、細められた瞳が透き通るように光と同化している。これを、ディアンに見せてあげられたらいいのに。誰がどう見たって美しい。
うっとり眺める僕から、すいっと宝石が隠されてしまった。
ゆっくり僕の前を横切って、扉へ手を掛けるディアンに首を傾げる。
「どこ行くの?」
「……飯」
「僕も行く!」
なんでおいて行こうと思ったの?! カバンをほっぽり出して駆け出すと、持ってこいと怒鳴られてしまった。今までだって、部屋に置き去りにしていたのに……。
「いちいち付いてくるな」
「ついて行くよ?! だってディアン、お腹がはち切れそうなくらい入れてくるじゃない!」
「てめえが食わねえからだ」
ついくすっと笑ったのは、誤魔化せたかな。
やっぱり、ちゃんと僕の分は持って来るつもりなんだね。
本当、律儀で優しくて、なのにディアンはディアンにだけは優しくないんだから。
大分ゆっくり歩けるようになったディアンの横で、僕はちょっとばかりもどかしく彼を見上げたのだった。
――ぱちっと、目を開けた。
同じ枕で寝ていたグリポンが、ぴぴっと耳を動かして、ふわふわの羽毛からゆっくり顔を上げる。
しょぼしょぼした目で、むわぁともったりあくびをしてくちばしを鳴らした。
「ふふ、おはよう。ねえ見て、いいお天気になりそう」
「る……」
全然見てないよね、と分かる生返事を返してしっぽを2回振ると、また力を抜いてしまった。
枕で大の字になるグリポンに苦笑しながら着替え、皮のカバンを肩に掛ける。
そして、ふわふわに頬ずりしてすくい上げ、大きなポケットに落とし込む。
さあ、これで出発準備は整った。
隣に、ディアンはいない。
「朝ごはんはね、昨日お願いしておいたんだ!」
「……る」
ほとんど寝ているグリポンが、ポケットの中で温かい。
まだ薄暗い中いそいそ食堂へ行くと、ちゃんとお弁当があった。
ちゃんと、二つ分。
にっこり笑って収納カバンに入れ、意気揚々と門へ向かう。
「ディアンおはよう! こんな朝から鍛錬して大丈夫?」
「……別に」
思った通り、門近くの鍛錬場にいた彼が、汗を拭って剣を収めた。
「荷物、それだけ? 収納カバンじゃないんでしょう?」
軽装すぎない? 剣以外は、腰に取りつけられたいくつかのポーチのみ。
それだと、普段と変わらない。あれ? でもディアンは普段から外へ狩りに出たりするから、そんなものなんだろうか。確かに、野営するわけじゃないもんね。
首を傾げる僕に、ディアンは溜息を吐いて他所を向く。
「……なんで俺が行く話になってんだ」
「ずっとそう言ってるじゃない?! 今から準備するの?! 早く!」
もう! 朝から出発って言ったのに!
ほかほかのディアンを部屋に向かわせようと、力任せに押してはみるけれど。うん、全然動かないね。
黙って僕を見たディアンが、もう一度息を吐いた。
「……てめえが全部持ってんだろ」
ぼそり、小さく漏れた言葉でも、僕はきちんと拾い上げることに成功した。
そして、満面の笑みを浮かべる。
「うん!! じゃあ、行こっか!」
「……」
何か言いたげに唇が少し開いて、結局何も紡がないままに引き結ばれた。
ほら、そうこうしているうちに、完全に日が顔を出してしまいそう。
「迷わず行ければ、半日くらいだよね! 一応調べたんだけどね、僕ちょっと自信なくて。だって知らない森って、全然目印がないんだもの」
「は? 分からねえで行こうとしたのか?」
「だって、ディアンが知ってるでしょう?」
「お前……そんなんで1人、森に入る気だったのか?!」
憤るディアンに、きっぱり首を振る。
「違うよ? ディアンと行くって言ったじゃない。1人じゃないし、熟練者と一緒だよ!」
「このっ……なんで――クソ」
額に手を当ててぐったりしたディアンを、昇り始めたばかりのお日様が照らしている。
じっと、彼を見上げた。
足りないんだろうなあ、僕では。
でも、僕、成長するから。
聞かないよ。聞いても、言ってくれないから。
だけど、言ってくれないなら、僕はしっかり見るよ。
視線が合うたび、わずかに動揺する橙の瞳は、いつか慣れてくれるかな。
段々明るくなっていく周囲が、びっくりするくらい鮮やかな色に変わっていく。
その顔が上げられれば、きっとあの美しい瞳が見られる。
僕は、わくわくしながらその時を待っていたのだった。




