5 孤軍奮闘
「本、持って出て来ちゃったけど……このくらいならいいよね」
薬の材料なら、結構あるんだよ。
解毒薬は作ったことがないものの、これは冒険者向けに書かれた本。
そして、その程度の薬作りならお任せ、だ。師匠のお薬は毎日僕が作ってるんだから。そりゃあ、簡単な緩和薬がメインではあるのだけれど……。
「大丈夫、素材はある……!」
ホッと息を吐いて、傍らでお湯を沸かしつつ、素材を洗って準備する。
そうだ、今回の毒なら、きっと傷から入ったのだろう。傷に貼るものも用意しよう。
大きなすり鉢で薬草をゴリゴリすりながら、解毒薬を煎じる。
「どのくらい効くかわからないけど……でも、ディアンは大丈夫。そんな気がする」
くつくつ鳴る小鍋から、なんとも言えない苦そうな匂いが漂ってくる。師匠のお薬より、もっと苦そう。はちみつを持って行って――
「あっ?! 師匠のごはん!」
慌てて時計を見て、もう昼すぎであることに大いに焦る。
出来たばかりの毒消しと、すった薬草を別に移し替え、薪小屋へ走った。
「ディアン! お薬できたから!」
勢いよく扉を開けると、横たわっていたディアンがうっすら目を開けた。
どうやら、さっきの回復薬が効いたらしい。
「くすり……?」
「あっ、はちみつを忘れちゃったけど……頑張って飲んで!」
微かに笑ったろうか。
すごいな、とまた思った。全然違うな――と。
「ま、ず……」
「そりゃそうだよ、お薬だもの。飲めて偉いね!」
「は、飲まなきゃ死ぬなら、誰だって飲むわ」
「……そう、だといいんだけど、ね……」
ほんのり眉尻を下げて笑った。
一方きっちり飲み切ったディアンは、片手で額を押さえて苦みを堪えている。
「あの、まだあるよ。これ、解熱薬で、あと傷に貼るものも!」
「うっ……これもすげえな。傷? 結構塞がっただろ」
解熱薬も飲み切った彼は、今度は口元を押さえている。
吐いたら、もう一度苦いよ? 我慢して!
「回復薬が効いてると思うけど、毒が入ってると多分……」
……やっぱり。
まくりあげたズボンの下、ディアンの脚を見て思わずきゅっと眉根を寄せた。
左脚やその他全身の傷は、回復薬が大分効いたよう。かなり浅くなっている。
だけど、右脚は……。
がぶり、とまともにやられたんだろう。腿から下腿にかけて、深々と残った歯型が腫れあがっている。
「ここにも薬を貼るからね。ちょっとしみるかも」
しっかり薬液を塗った布を、痛々しい傷を覆うように当てがった。
途端、苦鳴が上がって、背の高い身体が折りたたまれる。
「う、ぐっ?! ちょっ……とじゃ、ねえ、な……?!」
ぎりり、音が鳴るほど歯を食いしばったディアンの呻きに、僕の方が涙目だ。
どうしよう……これ、そんなに沁みるものだったの?!
「ご、ごめんね……!」
「いい、気に、すんな……! ……悪いな」
ぐったり横たわったディアンが、そう呟いてびっくりした。
悪かったのは、僕だと思うよ?!
しゅんとしながらディアンの顔に流れる汗を拭き、今さらながらそのべちゃべちゃになった服に目をやった。
酷い有様だ。方々の破けた服に黒々と沁み込んだ出血の跡と、僕がぶちまけた甘草汁やら何やら。
こういう汚いのが、内火を呼ぶって書いてあったはず。
「服、持って来るから。あと、寝られるお布団とか……いろいろ!」
「いらねえよ。師匠ってのに、気付かれると……めんどくせえ……。言うなよ、明日にでも出る」
「う、うん……」
寝ていればいいのに、ディアンはゆっくり身体を起こして息を吐いた。
確かに、師匠は色々怒るかもしれないけど。でも、言わなくて大丈夫だろうか。
そして、僕は思う。その脚では、明日動けるようにはならないだろうなって。
「……あっ、いけない! 師匠のごはんが! ディアンもだよね?!」
「いらねえっつったろ。もう、十分だ。放っておけ」
少し、顔色が良くなっただろうか。それとも、まだ熱が下がりきってないせいだろうか。
前髪を避けて額に手を当てると、まともに目が合った。
少し驚いて見開かれた、お日様みたいな濃い橙の瞳。
お月様みたいな、師匠の色と似てるな……と思って、髪色も似ていることに気が付いた。
「ディアン、僕の師匠とちょっと似てるね。目も、髪の色も! そっか、雰囲気も似てるかも!」
嬉しくなって笑うと、ディアンが思い切り顔を顰めた。
「爺と似てても、何も嬉しくねえ」
「え?! 爺じゃないよ! 師匠、まだ40代だよ?! カッコいいよ!」
「オッサンも嫌だ」
カッコいいのに?!
でも、そう言ってへそを曲げるディアンは、ますます師匠に似ていて可笑しくなる。
ディアンの方が荒々しい顔だけど、きっと大人になったらまた違う雰囲気に違いない。僕だったら、大人になったら――。
少し、息を止めて、吐き出した。
「じゃあ、僕と交換してくれればいいのに! 僕、師匠の色ならとっても嬉しいよ!」
何でもないように笑って、胸苦しさを誤魔化す。
僕のクルミ色の髪と、ヘーゼルの目。これは大きくなっても変わらないもの。カッコ良くも、強そうでもない。せめて髪がディアンみたいに強そうな黒檀色だったら良かったのに。
「また、戻ってくるからね。寝ていてね」
ディアンに手を振って、走りながら僕と師匠の小さなおうちを見つめた。
大人になったら……僕、違うのかな。
僕が子どもの時と、大人の時。誰が、それを知れるだろう。
ディアンは孤児だと言ったけれど、住んでいる教会には、そういう人がいるだろうか。
もし、僕も町に住んでいたなら、僕を知っている人がいたろうか。
少なくとも僕は、師匠も、ディアンも、これから会う人も、みんなのことを覚えておこうと思った。
「よし、今朝のスープ、おかわりしなくて良かった! ここに干し麦を入れて……卵、まだあったかな?!」
家に戻って来た僕は、大急ぎで食事の準備を始める。
採って来たばかりの野草とキノコも追加して、沸き立った中へ卵を回し入れる。
ふわっと広がった羽衣のような卵に、こくりと喉が鳴った。
「師匠と……ディアンの分にはなるかな」
しずしず重たいお盆を持って師匠の部屋に運ぶと、扉を押し開いて声を掛ける。
「ごめんね、師匠! 遅くなっちゃった!」
いつも不機嫌な顔が、読んでいた本からちらりと顔を上げ、また視線を落とす。
そんなに怒っては……なさそうかな。師匠、あんまりお腹空かないから。
「昼に薬は飲まないぞ」
「え?」
渋い顔にキョトンとして、ハッと気が付いた。
そっか、ディアンに使った薬の臭いが……!
「知ってるよ! えっと、練習してただけだから! あの、僕まだお仕事があるから行くね!」
いつも通り返事はないけれど、そそくさと退散して、今度はディアンに必要そうなものを集め始める。
お布団はどうしようか、と思ったところで、外にたんまり干していたもののことを思い出した。
「日が暮れちゃう! 早く家に取り込まなきゃ! そうだ、ついでにディアンのところに持って行けば……!」
ベッドはないけど、ソファの座面を持って行けばなんとかなるかも。師匠はソファに座らないから、何か置いておけば誤魔化せそう。
何度か往復しながら、ディアンのごはんやら服やらタオルやら、せっせと運び込んでようやく、最低限人が過ごせる場所になった。
そして、走り回って洗濯物を取り込み、干していた諸々を取り込んだ頃には、もうすっかり日が暮れていたのだった。