39 選書魔法
僕の手の平から溢れた金色の光が、ふわっと部屋の中に広がった。
たとえ、帳簿がなくたって……今、困っている彼女にはきっと、必要なものがあるはず。
パパさんの部屋だもの。きっと、力になる本が。
「魔法、使い……」
ふわり、浮き上がった本に、呆然と座り込むターナさんが呟いた。
まだ揺らめく髪を感じながら、にっこり笑う。
「うん。僕は、『選書の魔法使い』だよ」
「る!」
誇るように胸を張ったグリポンが、肩から飛び立った。ふわり、ふわりやってくる本を急かすように後ろから押してくれている。
……2冊、か。
良かった。少なくとも、彼女に必要な『何か』は見つかった。
すとん、と彼女の膝に着地した本から光が失われ、僕を取り巻く光もほどけて消えていく。
「その2冊は、今、ターナさんが必要とするもののはずだよ? 読んでみて。帳簿だったらいいんだけど……」
呆けていた彼女が、ハッと自分の手元を見下ろし、表紙を撫でた。
「これ、パパの字だわ。こっちは……何かしら」
どちらも、かなり古そう。本と言うよりは、ノートかな。
「帳簿じゃねえのか?」
戸口で腕組みしているディアンは、多分重要なものを見ないよう気を使っているんだろう。
2冊をパラパラめくったターナさんが、小首を傾げる。
「うーん。こっちはお店の記録ではあるけど……日記みたいな感じよ。もう一つは全然分からないわ、何語なの?」
「え? 読めないの? そんな本は選ばれないはずだけど……」
選書魔法は、あくまでその人が必要とする本。その人が読めないものを、選んだりしないはずなんだけど。
差し出された本を受け取って、合点がいった。
「これ、鍵がかかってるね」
「鍵? ただの本よ?」
「うん、簡単な封って言った方が良いかな? 開けられるけど……僕が開けていいものかは分からないよ」
「いいわ、開けられるなら開けて! 今は私がここの主だもの」
ツンと顎を上げたターナさんにくすっと笑って、封を開ける。パパさんはきっと、鍵代わりの魔道具を持っていたのだろう。
詠唱が必要なものじゃない。かけられた魔法は、わざと乱されている。それを、丁寧に整えるだけ。簡単なパズルのように、元ある形へと。
「あっ……?!」
「おい、それって――」
正しく読めるようになった文字を追って、こくりと喉が鳴る。
慌ててターナさんに手渡せば、すぐさま表紙が捲られた。貪るように読むターナさんの目に、涙が浮かぶ。
「間違いない、これよ、これ!! ここにあったんだ……最初から。これ、パパの帳簿よ……」
「本当?! よかった……。取引先、載ってそう?」
「ええ、ええ……。大丈夫、パパは結構几帳面なの。預け金も、全部書いてある。これがあれば……」
ほう、と肩の力が抜ける。
ねえ師匠、おみやげになる話がまた増えたよ。凄いでしょう、師匠の魔法。役に、立ったでしょう。
きっと、忘れないよ。ターナさんは『選書魔法』を、ずっと覚えていてくれる。
「そっちは、何だ」
夢中で帳簿を見ていたターナさんが、紅潮したほっぺでもう一冊を手に取った。
ちょっと鼻をすすって、ほのかな笑みが浮かぶ。
「見た感じ、お店の備忘録というか……やだ、本当に日記みたいね。こういう品が流行りそうだ、とか、ママがどうだとか――私が、生まれた、とか」
ターナさんが、口をつぐんだ。
その目が、文字列を追ってぽたり、ぽたりと雫を滴らせる。
どうぞ、と言うように本を差し向けられ、ターナさんの側へ寄り添って座った。
几帳面らしいパパさんの字は、整って読みやすい。日々、ほんの数行書いたり、書かなかったりした文章が、段々毎日書かれるようになって。段々、似たような内容になって。
『ターナの花に似た、類稀なる美しい目と髪で――』『もう字が書けるとは、天賦の才が――』
『品ぞろえを変えよう。カラフルな小物に手を伸ばしていたから、そちらの方が――』
『新商品は自信がある。きっと喜ぶに違いない』
『目利きの才があるかもしれない。売れ筋をピタリと当てたから――』
お店のことなんて、もうほとんど書いてないじゃない……。パパさんの中心がどこにあるのか、何よりも分かる記録の数々。
「……馬鹿じゃないの。私、いたって普通よ? これを読んだら、どんなに素晴らしい美女かと思うわ。まさか、パパがこんなにお馬鹿さんだとは思わなかった」
真っ赤な目をしたターナさんが、べたべたになったほっぺを拭った。
僕も、零れそうになった雫を拭う。だけど……これは今、本当に必要だったのかな。余計なこと、だったんじゃないのかな。だって、こんなに――。
止まらない涙にハンカチを差し出して、そっと見上げた。
「……大丈夫?」
「もちろんよ。ごめんね、みっともなくて」
「ううん。ごめんね、辛くなっちゃうよね」
しゃくりあげる声に、胸が痛む。きゅっと眉根を寄せる僕を見て、ターナさんが首を振った。
「違うの、大丈夫なの」
大きく息を吸って、吐いて。
まつ毛まで濡れた目が、真っ直ぐ僕を見た。
「――あのね、私、今……とってもうずうずしてるの」
「うずうず?」
予想外の言葉に、ぱちりと瞬いた。
そんな僕にうふふっと笑ったターナさんは、ぎゅうっと本を胸に抱き占める。
そして、勢いよく立ち上がった。
「そう、うずうずしちゃう! 私、せっかく店を任されたのに、どうしてこんな地味なことしてたのかしら。パパったら、自分ばっかり楽しんじゃって! 私だってやりたいこと色々あるのよ! 品揃えだって、仕入れだって、パパのセンスに任せてられないわ!」
渡したハンカチでごしごし顔を拭うと、ターナさんは晴れやかに笑った。
「馬鹿ね、私。楽しくなっちゃダメなんてこと、なかったのに」
「……うん。パパさん、お店楽しそうだもんね!」
「でしょう! 絶対、パパを越えてみせるわ!」
きらきら輝く瞳は、きっとパパさんが見ていた美しい瞳。
……やがて大木になるターナの木。その凛々しい花の名前は、今の彼女にとても相応しいって、僕はそう思った。




