36 二人の静かな夜
「――できた! 師匠、読んでくれるかな」
つい口に出して、慌てて膝の上に視線をやった。
……大丈夫、すやすや寝ている。
そっとそっと手のひらにすくい上げると、むずがるようにしっぽがぱたんぱたんと揺れた。
ふわふわの毛並みにこっそり頬ずりすれば、極上の柔らかさと、ほんのりナッツのような香り。
早く名前を考えなきゃと思うんだけど、どんどん増えてきたらどうしたらいいのかと思って……。
全員に名前をつけるの? それともみんな同じ名前?
群体化するとはいえ、最初に契約したこの子だけが、本来の使い魔という認識でいいのかな。
丸くなっていたグリポンが、僕の手の平で寝返りを打った。
思い切り大胆にお腹を晒した寝相に、くすくす笑ってちゅっとやる。
「ちょっと遅くなっちゃったね。ディアンももう寝てるかな?」
ディアンの部屋には机代わりの木箱しかないので、僕は食堂として使っている部屋で手紙を書いていた。あんまり、ディアンの前で長々と手紙を書くのも憚られちゃって。
うんと伸びをして椅子から下りると、手元を照らしていたライトの魔法を移動させる。
グリポンを胸元に抱え、しっかり足元を照らしながら部屋へと戻った。
少し迷って、そっとノブを回す。
よかった、鍵はかかってないみたい。
ライトを小さくして、忍び足で部屋の中へ。
真っ暗な室内では、小さいライトも随分目立つような気がした。
ディアンは……寝ている、かな? 相変わらず、本当に静かだ。
グリポンをクッションの上に乗せ、僕はどうしようかと腕組みをする。
だって、今ベッドに入ったら、ディアン起きそうだもの。
床でいいか、と僕の掛物に手を伸ばしたら、ふいに橙の瞳がこちらを見た。
「ごめん、起こしちゃった?!」
「起きてるわ。つうか、どっちにしろ扉が開いたら起きる」
「ええ……もっとぐっすり寝た方がいいよ?」
「てめえはもっと敏感になった方がいいけどな?」
そんなこと言われたって、寝ているんだもの。
でも、野営なんてするようになったら、ぐっすり熟睡するわけにもいかないかも。
途端に冒険者をやっていく自信がなくなってきた。
「僕、日帰り冒険者になろうかな……」
「はっ、てめえには似合いだ」
鼻で笑ったディアンが、身体を起こして壁を背にする。
まだ、寝ないんだろうか。
僕もベッドに腰かけ、倣って隣に座った。
ディアンの気配は、とても静か。あんなに猛々しい炎みたいなのに、落ち着いている時の彼は、深く深く、波紋ひとつない水みたい。
耳を澄ませれば、ディアンの鼓動すら聞こえそうな、静かな夜。
「る……」
ディアンの代わりに、グリポンが羽を伸ばしてむにゃむにゃ言ったのが聞こえた。
くすっと笑えば、隣で身じろぎの気配がする。
見上げると、じっと見下ろす橙の瞳と視線が絡んだ。
「……意味わかんねえ。てめえ、俺の横でリラックスしてんのか」
「してるよ。落ち着くなあって思ってたところ」
分からない意味が、分からないよ。
にこっとすれば、視線を外されてしまう。
「……冒険者パーティってのは、マジで命預ける相手だ」
ディアンが何か言いたいのを感じて、うん、と頷いた。
「てめえ、俺を選ぶってのがどういうことか分かってんのか。恩人だからって、いつまでも特別扱いしねえぞ。俺の気が向けば、お前を売り飛ばすのも簡単だ」
「え、僕特別扱いしてもらってたの?!」
「そこじゃねえ!」
怒られて、ちょっと首を竦めた。だって、そんなことするわけないって分かるもの。
ディアンは、分かってるのかな? 自分がどうして、そんなことを言ってるのか。
「心配しないで。冒険者は自己責任って書いてあったよ。ディアンに売られちゃっても自己責任だから、全部ぶっ飛ばして戻ってくるよ」
「戻って来んな!」
こういう所なんだろうな、ギルマスさんが気にかけていたのは。
「能天気すぎんだよ……。なんであんな目に遭って、そんなボケてんだ」
「なんでだろう……。僕、怖かったけど、ディアンが来てくれたのが嬉しくって。ディアンと戦えたのが、すごく嬉しくて。だからかな?」
きっと、記憶が上書きされてしまった。
固くて冷たい大地に、力任せに押さえ込まれたことも。
僕の血で濡れた牙が、目の前にあったことも。
とても悲しかった気持ちも、きちんと覚えているけれど。
それよりも、初めて背中を預けてもらって、一緒に戦ったことが。
その高揚の方が、恐怖より勝る。
「……なら、義理はアレで返した。俺は、優しくなんかしねえ」
「いいよ、ディアンは十分優しいから」
「俺のパーティなら、嫌われるぞ」
「どうして? きっとみんなディアンが好きだよ?」
ディアンがゴツッと壁に頭をぶつけて仰のき、『嚙み合わねえぇ……』なんて嘆き節が聞こえる。
まだ、僕とパーティを組むことをためらってるらしい。
誰にとってのデメリットだと考えているのか、それが普通の人と違うことに、ディアンは気付かない。
普通はね、ディアン。足手まといだから嫌だって思うんだよ。
ごめんね、まだ荷物にしかならない僕だけど。
でも、僕ディアンの側にいたいと思うんだ。だから、頑張るね。
「僕、強い魔法使いになるよ! そうしたら、役に立つでしょう? 全属性はお宝だってギルマスさんが言ってたよ。僕のお宝、ディアンにあげるよ」
「軽々しくくれてやるな! 身に余るっつってんだよ!」
「ディアンって、案外謙虚なんだね」
「うぜえ!! なんで俺がいいんだ! 素行が悪いつってたろ?! てめえを魔物のエサにするかもしれねえし、逃げる時の生贄にするかもしれねえんだぞ!」
うん。ディアンそれはね、命がけでわざわざ助けに来た人が言っても、効果がないと思うんだ。
くすくす笑って、憤るディアンとの距離を詰めた。
「それはね、お互い様だよ。僕だってディアンを囮にするかもしれないって、考えないの? どうしてディアンばっかり。ディアンが、僕がそんなことしないって思うのと同じように、僕もそう思うよ」
しょうがないなあ、とグリポンにやるようにぽんぽんと頭を撫でた。
グリポンは嬉しそうに目を閉じるのに、むしろ橙の瞳は丸くなって、ぴしりと体を硬直させてしまった。
「あのね、ディアンは自分のことを気にしなさすぎだよ。僕のことばっかり気にして」
だから、優しいって言うんだよ。
そろそろ、自分が優しいって認めてあげればいいのに。
まだ動かないディアンが、ハッと我に返ってそっぽを向いた。
「誰が! てめえみたいなのに、俺が遅れをとるわけねえだろ。んなこと気に留めるかよ!」
「命を預けるのに?」
しどろもどろに言い返すディアンの声を聞きながら、ふわあ、と大きなあくびがこぼれる。
僕が寝る時間は、とっくに過ぎてしまった。
ふと、さっきのグリポンを思い出す。
それはとても面白い思い付きに思えて、そしてもう睡魔に白旗を上げたくて、僕はころんと横になった。
あまり、寝心地のいい枕ではないけれど。
……ディアンは、僕がグリポンにするみたいに、そっとベッドに横たえてくれるだろうか。
夢うつつに口の端が上がる。僕は固まっているディアンを確認して、目を閉じた。




