28 犬の要素
「町……いいの? でも、僕……また師匠の所へ戻るから……ディアンは、嫌でしょう」
教会を出たところで、ようやくディアンが足を止めた。
はふはふ息が弾む。ディアンの歩きは、僕の駆け足だ。追いかけてきていたグリポンも、やれやれと肩にとまった。
掴んでいた腕を離したディアンが、がしっと胸倉を掴んだ。今度は、ためらわずに。
「うるせえ! 腹立つからもう言うな。お前、マジでふにゃふにゃのくせに全っ然折れねえ! ムカつく! 少しくらい、言うこと聞きやがれ!」
「ご、ごめんね? 言うこと、聞いてるつもりなんだけど……」
ディアンの方がしっかりしていて、常識を分かっているって、僕だって分かるもの。
「そういう些細なトコはどうでもいいんだよ! 肝心なトコで全然言うこと聞かねえ!!」
「そう、かなあ。でも、ディアンに悪いことしたくないっていうのは、譲れないもの」
「まず、野郎の所へ戻るって前提を覆せばいいだろが! そういうトコが『犬』なんだよ! 忠犬かよ!」
言われて、ぱちりと瞬いた。
そうか、僕……もしかして実際に犬の要素があるのかな。
ハッとしたディアンが、しまったという顔をする。
あんまり分かりやすいその顔に、くすくす笑みが漏れた。ディアンがどう考えたか、すごくよく分かるよ。
でも、僕は僕のそういうところ……嫌いじゃない。
「忠犬、かあ。じゃあ分かるんじゃない? 僕が、ディアンと離れるのがどうだったか」
「……俺はてめえの飼い主じゃねえ! あいつと一緒にすんな」
「うん、でも僕は『忠犬』だよ? そんな言葉だけで、どうにかなると思う?」
ふふっと笑う。
だって僕――もうディアンに懐いちゃったよ?
これはいい、僕が拙い説明をするより、ずっと伝わりそうだ。
案の定詰まったディアンが、思い切り舌打ちしてぐっと顔を寄せる。
「……てめえの言いなりになると思うなよ? いいか、てめえには一応恩がある。今は俺が折れてやるだけだ。これ以上、ないと思え」
引っ張られて息苦しいし、橙の瞳は刃物のように鋭い。
腹の底から響くような声が、荒々しく耳を打つ。
だけど……ああ、やっぱりディアンは言葉の中身が優しい。
じゃなければ、こんなセリフが、どうしてこうも嬉しいっていうんだろう。
どうしたって漏れてくる笑みを抑えきれずに、もう我慢せずに思い切り笑った。
「ディアン……ありがとう!」
額がつかんばかりの距離で、ディアンが何とも言えない顔をする。
突き放すように手を放し、思い切り顔をしかめた。
「……てめえのヘラヘラのせいで、俺までなまくらになったのか?」
「どういうこと?!」
「ビビれよ。フツーに凄んだぞ」
「そうだね! 凄んでるなって、僕分かるよ」
じろり、と睨む視線に慌て、大丈夫だと両手を振った。
「だって僕、ディアン好きだもの! 怒ってても凄んでても、好きだよ! 『ビビれ』ないよ?!」
言った途端、眉を寄せて額に手を当てたディアンが、地面にめり込みそうな溜息を吐く。
……どうして僕の好きな人は、僕が好きだと言うとそんな顔をするのか。とても腑に落ちない。
僕なら、とっても嬉しいと思うから言ってるのに。
「てめえを放り出したら、秒で面倒事が沸いてくる。いいか、勝手に行動するな。これだけは絶対に守れ」
「う、うん」
「いいか、俺から離れて勝手に行動するな。他のヤツが何か言っても、まず俺の許可を得ろ。守れるな?」
どうして二回も言ったんだろうと思いつつ、頷いてから困惑する。
「でも、ディアンがいない時はどうすればいいの?」
「何もするな」
「ええー無理があるよ……。えっと、事後確認はするね! あと、ちゃんとディアンについて行くよ!」
不満そうな顔をしたけど、一応僕の心構えは伝わったよう。
あのね、ディアン。それはつまり、ずっと僕と一緒にいてくれるっていうことになるんだよ。
そんなことを言うと、きっと怒るから言わないけど。
ちゃんと分かってるよ。グリポンみたいなわけにはいかないってことも。
でも、分かるかな? 僕が、とても、とても嬉しいこと。
あんなに辛い決意をしたのに、すっかり覆されてしまった。
今選書魔法を使ったら、きっと『喜びを抑える方法』なんてものが選出されるに違いない。
スタスタ歩き始めたディアンについて歩きながら、犬の要素があったとして、見た目に現れなくて本当に良かったと思う。
「僕、しっぽがあったら大変だったね。ひと目でバレちゃう」
それを思うと、犬って大変だな……なんてどうでもいいことに意識を飛ばしていると、独り言に慣れた耳に返事が返って来た。
「馬鹿じゃねえ? お前、しっぽが幻視できるくらい分かりやすいわ」
「えっ?! で、でも! そういうディアンだって、結構分かりやすいよ?!」
「そんなわけあるか。俺の評価は『いつも怒ってるヤツ』だ」
「それって、表情だけじゃない?」
「うるせー!」
あ、それもちょっと気にしてたのかな。
だったら、もっとにっこりすればいいのに。
「ディアンが怒ってる人なら、僕は? どんな人?」
「いつでもヘラついてる、ヒョロガリのガキ」
「ええー!!」
そんなの、怒ってる人の方がずっといいじゃない。
がっかりしてむくれているうちに、周囲に人が多くなってきたことに気が付いた。
「ディアン……! 人がいっぱいいるよ?! 何かあったのかな」
「何もねえわ。普通だ」
普通……! これが、普通。
狭い路地から大きな道へ出ると、急に視界が広がった。
落ち着く狭さの暗がりから、急に拠り所のない場所に。
そして、人が! 教会にいた人よりもずっとたくさん、もう数えられないくらいの人がいた。
今まで気にも留めていなかったけれど、そうか、路地の壁は、建物なのか。
当たり前だろうことに気が付いて、ぽかんと居並ぶ建物を眺めた。
確かに……確かに、こういう挿絵があった。
だけど、こんなに大きいのか……!
建物なんだから、当たり前なんだろうけども。でも、絵と、その風景に自分がいるのは、全く違う。
通りにはビックリするほど色んな音が溢れて、聞き取れない。
色が溢れて、目がちかちかする。
匂いが溢れて、わけがわからない。
見える範囲に生き物が多すぎて、怖い。
僕、小さいんだな。
やっとはっきり分かって、後ずさった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
いつか『もふしら』のように、たくさんの方に楽しんでもらえる日が来たらいいなあ……と、ちょっと夢を見ながら日々書いています。




