22 初めての感情
追いかける、といったって僕が彼に追いつけるはずもなく。
僕が向かえるのは、ディアンの部屋だけ。
そこに居ますように、と祈りながらドアノブに手をかけ、ガチャリと感じた抵抗にホッとした。
「ディアン? 鍵を開けて。僕、入れないよ」
「……」
ガチャリと少し開いたドアの隙間からディアンの顔が覗き、僕だけであることを確認した。
抱えた応急セットに舌打ちして、くいっと顎で入れと示した。
これは、ミラ婆さんの言った通り、彼女だったら入れるつもりがなかったんだろうね。
急いで滑り込んだら、すぐさまドアが閉じられた。
「ディアン! どうしたの?! 怪我してるよね?!」
「……うるせぇな、いつもそんなもんだ」
「ええ……」
どかっとベッドに腰かけたディアンは、とても機嫌が悪そう。
ものすごく、威嚇されている気がする。
でもね、僕そんなこと気にしない。
ランプを点けて、すぐさまベッドに乗り上げ、その顔を見上げた。
……痛そう。顔半分が腫れて、眉の上が切れている。さっき見えた口元の赤は拭われているけれど、唇も切れているんじゃないかな。
魔物や刃物の傷ではないようで、ひとまずホッとする。
多分これは、殴打の傷。薬草を調合できたら、貼り薬が作れるんだけど……。
応急セットを確認して、使えそうなものをピックアップする。
師匠は怪我をしないけど、小さい頃僕はよく怪我したから。これも僕の得意分野だ。
「ディアン、こっちを向いて。どうしてこんな怪我したの?」
「……」
不貞腐れるようにそっぽを向いていたディアンが、思い切りこちらを向いて、ぎろりと睨みつけた。
この隙に、と頬に薬を塗ると、物凄く納得いかない顔をされる。
「……てめえ、俺が機嫌悪ぃのわかんねえのか。寄って来んじゃねえよ」
「じゃあ、手当したら離れるね」
にこっと笑うと、深いため息と共に雰囲気が和らぐ。
「チッ……どういう神経してんだ。ローラには固まるくせに」
「だ、だって僕、ああいう……女の人って初めてで! 失礼があったらどうしようかと思って!」
「はあ? なんで女だけ特別なんだ」
「そう書いてあったよ? 『レディはたおやかに匂い立つ花と心得よ。真の紳士は決して手折ることなく、ただ敬い愛でるものなり』でしょう?」
ぶはっと吹き出したディアンに、一気に不安になる。僕、間違った……?
「お前は一体何を読んでんだ……?! は、花……! よくそれをローラに適用しようと思ったな?!」
「ダメだった……?」
「いや、いい。鬱陶しいのを追い払うのに、ちょうど良かったからな」
ひとまず、機嫌が直ったようで良かった。
ばたっとベッドに倒れ込んだディアンに、今がチャンスと手当を施す。
されるがままに目を閉じたので、これ幸いと腕と拳を確認。ディアン、腕で攻撃を受けるから……やっぱり。
色の変わった腕と傷だらけの拳を見つけ、顔をしかめる。
せっかく、守ったのに。
森を出た時より酷い姿に、お腹の中で沸々熱い何かがたぎる。
「これ、どうしたの? 喧嘩?」
「あーもー、お前もババアもうるせえな。しょうがねえだろ、金もってうろついてたら、碌でもねえのが寄って来るに決まってんだろ。全部返り討ちにしたから、安心しろ」
ええ……物騒。そんな怖い町、僕、お金持って歩けない。
そう思ってハッとした。
「ディアン……だから、一人で行ったの?!」
しなやかな身体が、ぎくり、としたのが分かった。
ディアンは、獲物の換金をしたはず。たくさんの獲物とシルバーバックは、きっと目立ったのだろう。
そして……ディアンはきっとそれを、予測していた。
「危ないじゃない! せめて、誰か一緒に!」
「うるせえ」
フン、と鼻を鳴らして、ごそりと体の向きを変える。
微かに、眉根を寄せたのが見えた。
きっと、服の下にもあちこち痣がある。
きっと、すごく痛いだろう。
「……ねえ、ディアン。次換金する時は、僕も行くね」
「連れて行かねえよ。町に行きてえなら、別の機会に――」
ちらり、とこちらを向いたディアンが、目を丸くして起き上がった。
何度か瞬いて、まじまじと僕を見る。
「……ルルア?」
「何かな?」
「お前……怒ってねえ?」
そう、見える?
僕は、にっこり笑った。
ディアンが、こくっと喉を鳴らしたよう。
「ねえディアン。次、町に行った時に教えてね」
「……何を」
「ディアンを、こんな風にした人」
じりじりと、魔力が抑えきれずに漏れている気がする。
僕、こんなに腹が立つことがあるなんて、知らなかった。
人って、こんな風になるんだ。
「おい……誤解を招くようなこと言うんじゃねえよ。返り討ちにしたっつったろ!」
「うん。でも、教えて」
「お前……コワ。何するつもりだよ……馬鹿が、変なこと考えんな」
気圧されたように苦笑したディアンが、僕の両頬を引っ張った。
「……僕、真剣なのに!」
「お前は間抜けなツラの方が似合う」
笑うディアンを見ていると、ビリビリしていた僕の中身が、すうっと薄れていった。
……でも、それはそれとして。僕、次に換金するときは絶対についていくから。
取り合ってもらえず、むくれながら応急セットを脇へ避けておく。
「そういやお前、あそこで何してた。靴もねえのに、部屋にいねえから――」
途中で言葉を切ったディアンに首を傾げ、驚かせてしまったかなと申し訳なくなる。
「あのね、解体の手伝いをしてたんだけど、あの子たち凄いね! 僕よりずっと力が強くって」
「そりゃそうだろな。お前が弱すぎる。つうかお前、解体なんかして、飯食えたのか? あいつらだって最初は、食欲なくしたもんだぞ」
「僕だって解体くらいしたことあるよ! ちゃんとごはん――」
今後は、僕がぶつりと言葉を切った。
……あれ? お昼ご飯ってどうしたっけ。
視線を彷徨わせる僕に、ディアンがすうっと目を眇める。
「……おい。俺、確か言ってから出たよな? ちゃんと昼飯を食えって」
それは、聞いた。
でも、だってお腹いっぱいだったから……気付かなかったというか。
無言のディアンから、ものすごく圧力を感じる。
真正面にある橙の瞳を見ることができなくて、僕はだらだら汗が伝うのを感じていたのだった。




