20 他の人たち
僕が吹っ飛ばなかったのは、その衝撃の主に、がっちり捕まえられていたから。
ぎゅむうと包み込まれ、これが大人の人であると気が付いた。
とっても柔らかい身体の、大きな人。
「……おい。放してやれ。固まってるぞ」
ぼそり、と聞こえたディアンの声と同時に、息が楽になった。
「よかったよ……元気そうで! 大丈夫かい? 怖かったねえ……!」
ぱちぱち瞬く僕の真正面に、知らない人がいる。目に涙を浮かべ、分厚い手でしっかり僕の両腕を掴んで。
女の人、かな。恰幅の良い、ディアンよりも大きな女の人。
ぽかんとする僕をまじまじ上から下まで見て、うんと頷いた。
「本当に、大丈夫みたいだね。まったく、ディアンがちっとも離れないもんだから――」
「誰が! 回復したから心配ねえっつったんだろ!」
「だったら、任せてくれりゃよかったんじゃないかい? 何もお前が一晩中――」
「うるせえ!!」
思い切り腕を引かれて、たたらを踏んだ。
「え、え? ディアン? お話の途中じゃ……」
「黙ってろ、ババアの説教なんざいらねんだよ!」
「ええ……」
困惑して振り返ると、さっきの人は気を悪くした様子もなく、肩を竦めて笑ってみせた。
少し安堵して、ぐいぐい歩いて行くディアンに引っ張られながら、部屋の中を見回してみる。
簡素な部屋に、たくさん並べられた不揃いなテーブル。
続々と集まってくる子どもたちが、賑やかにおしゃべりしながら席へついていく。
ちらちら、僕とディアンを見る視線を感じながら、人の多さに圧倒されていた。
賑やかだなあ……何人いるんだろう。10人じゃきかない。30人はいるんじゃないかな。
「すごいね、僕、こんなにたくさんの人を見たの初めて」
「は……? お前、ずっとあの森に居たのか?」
「うん――あ、ううん。本当は町で拾われたんだけど、僕が覚えてるのは、師匠に拾われてからなんだ」
ふうん、と気のない返事をしたディアンが、大鍋の前にいた人に声をかけた。
「おっ、ディアン! 大手柄じゃねえか! こんなに豪勢な肉祭りは初めてだ!」
「なら、こいつに礼を言っておけ」
「こいつ……? こんなチビいたっけ? 誰?」
ディアンと同じくらいの年だろうか、話し方まで似ている。
でも……これは、女の人だ。首を傾げた拍子に、頭のてっぺんで結ばれた赤い髪がしっぽのように揺れた。
女の子、の方がふさわしいのかもしれないけど。でも、大人っぽくて、動きが大きくて、僕の想像していた『少女』と違って面食らう。
「こ、こんにちは! 僕、ルルアだよ。あのね、ここには初めて来たの」
「……」
緊張しながらにっこりすると、赤髪の人は大きな目をまん丸にして、僕を見て、ディアンを見た。
そして、すうっと僕を引き寄せ、掴んでいたディアンの手をビシッと払った。
「ってぇな?! さりげなく盗って行こうとすんな!」
「お前こそ、どこからかっぱらって来たんだよ?! こんなお育ちのよさそうな坊や! なにこれかわいい! うちの子にする!! あたしが育てる!」
「やらねえわ! いいからさっさと飯を寄越せ!」
ばりっと音がしそうな勢いで僕を引きはがし、ディアンがひょいひょいお盆の上に器を乗せていく。
それ、勝手に持って行っていいんだろうか。手伝おうかどうしようか迷ううちに、赤髪の人がにこにこしながら屈み込んで僕の頭を撫で、頬を撫でる。
「かぁわいいね~。ディアン怖いね~、あたしの方がいいね? 何これ、ほっぺもっちもち! ねえほっぺにチューしていい? むしろ齧りたい!」
い、いいのかな? 聞かれるってことはダメなこと?
ちら、と見上げたディアンは、不機嫌な顔で食事をとり集めるばかり。
僕は必死に、本で覚えてきた知識を総動員する。
僕より大きな手を取り、確か、こう……。
「こ、光栄です、美しいレディ。いずれの日にか、また」
手の甲にちょっとだけちゅっとして、そっと離れる。
合ってたかな……。どきどきしながら見つめると、微動だにしなかった赤髪の人が、がふっと息を吐き出してうずくまった。
「行くぞ」
「え、待ってディアン、あの人が……!」
「放っとけ」
ディアンは笑みを噛み殺したような顔で、僕を引きずるように部屋を出たのだった。
さっきの部屋まで戻って来ると、ディアンは片隅にあった木箱をベッドの前まで蹴飛ばした。
ドン、とお盆を置いたところを見るに、これがテーブルらしい。
今さらだけど、ここってディアンの部屋?
「わあ……美味しそう! でも、良かったの? みんな座って待っているみたいだったよ?」
「俺をガキと一緒にすんな。俺の狩ってきた飯だぞ、お前だってそうだ。勝手に食っていい」
「そっか、ディアンがみんなのごはんを用意してるんだね!」
「……」
偉いね、と笑うと、ディアンは何ともいえない顔でそっぽを向いた。
きっとディアンが食材を、あの赤髪の人が調理を担当しているのかな。
そして恰幅のいい女の人が、きっとミラ婆だろう。おばあさんじゃ、なかったよ?!
「あの赤い髪の人は、何て名前なの?」
「……ローラ。覚えなくていいぞ」
「ディアン、奥さんがいたんだね! すごいね、ディアンってまだ13歳くらいじゃなかった?」
そう笑った途端、ディアンが思い切り口の中に入れたものを吹き出した。
呆気に取られていると、むせながら凄い目で睨まれる。
「だ、れがっ?! あんなのと結婚してたまるか!」
「そうなの?! だって一緒に住んでいるから……! 早いなと思ったけど、そのくらいの結婚もあるって書いてあったよ?!」
「その程度で結婚扱いすんな! そもそも、そういう結婚は、貴族の政略結婚だろ!」
「そ、そっか」
じゃあ、さっきお断りしたらダメだったのかな。
気を悪くしていないかな。
少し考え込んでいると、さっさと食え、と口の中にスプーンが突っ込まれた。
途端、唾液が洪水のように溢れてくる。
「うわあ、おいしい……!!」
「お前が、美味いもん食ってなさすぎなんだよ」
渋い顔をするディアンを前に、僕は夢中でスプーンを運ぶ。
お肉とお芋のごろごろ入った、シンプルな煮込み料理のようだけれど、すごくお肉が大きくて柔らかい……しょっぱくない!
お肉と言えば塩漬けか干し肉だったので、衝撃だった。
「ゲルボの肉なんか、下の下だぞ。普通はあんま食わねえよ」
「こんなおいしいのに?!」
そして、あのヒヒ犬はゲルボっていう名前だったのか。
じゃあ、いっぱい食べてもいいかな?! だって本当にいっぱい収納に入っているから。
思い切ってスプーンを山盛りにすると、せーので頬張ってみる。
すごい……口の中が、食べ物でいっぱいだ。
一滴も口の端から出て行かないようにほっぺをパンパンにして、苦労しながら咀嚼する。
しっかり噛める、大きなお肉。
スプーンに半分ずつ食べる、と決めた頃の僕に教えてあげたい。口いっぱいに頬張る幸せを。
「はあ……凄いね。ひとくちでお腹いっぱいになりそう……」
ようやく飲み込んで満足の吐息を零したら、面白そうに見ていたディアンが、お盆に載せられた器の半分をこっちに寄せた。
「言っとくが、これお前の分。ちゃんと食えよ」
「えええ?! 3日分くらいあるよ?!」
「……食・え・よ?」
目玉が飛び出そうな顔をした僕に、ディアンは額に青筋を立てて、凄みのある笑みを浮かべたのだった。




