2 平和な、小さな世界
洗濯を終えた僕は、お布団から敷き物まで庭に引っ張り出しにかかっている。
今日は、お天気だから家中を干す日にするんだ。きっと、ふわふわで気持ちよくなるに違いない。
よし、と腰に手を当て、頑張った結果をぐるりと見回す。
張り切って翻る洗濯物とシーツやカーテン、あちこちに引っかけた布団やらマット……。
少し眉尻を下げて、空を見上げた。
「だ、大丈夫かな……」
きっと、いい天気だと思うけれど……。
でも僕、小さいから。雨が降っても全部いっぺんには取り込めなくて、困ってしまう。
「朝露は、晴れの印だったはず……。でも、他の目印はどうだっけ」
少し自信がなくなって、軽い足音を響かせて書庫に走った。
扉の前で開錠の古代魔法文字を描くと、スウッと扉横に入口が現れる。
こういうとこが、師匠の意地悪なところだよね。
盗人や歓迎しない人物が入ろうとした時、見える扉があればそれを開けようと躍起になるから……なんだって。
くすくす笑いながら足を踏み入れた途端、出入口が消えた。
師匠が空間を作り替えた、膨大な蔵書の眠る書庫。
家よりも大きな空間は、空間魔法がどうとか……。とにかく、すごい古代魔法の技術なんだって知ってる。
そして、眠る蔵書も民間の娯楽から国家クラスの重要本まで、およそ個人所蔵とは思えない量の本がある……らしい。
僕はまだ、この書庫しか使わせてもらえないけれど、師匠は『とっておき』を持っている。そろそろ、僕にも使わせてくれたらいいのに。
ただ、そんなすごい場所で僕が探してるのは『お天気の読み方』の本だけども。
ふかふか絨毯を踏みしめて林立する巨大な本棚に歩み寄ると、息を吸い込んで両手を差し伸べ、パチンと叩いた。
「――選書魔法! 僕が、探している本をもってきて!」
そっと本を開くように、合わせた手の平を開く。
手の平から溢れた淡い光が、薄暗い空間の中で靄のようにふわふわ広がった。
……きれい。この空間で使う選書魔法は、とびきり綺麗だと思う。
うっとりするうち、空間から引き寄せられた1冊が、開いた手の中にふわりと納まった。
うん、間違いなくお天気の本。
「……よし。ありがとう!」
急いで内容を確かめると、返却の言葉を唱えてその場を後にする。師匠は、本を持ちだすと嫌がるから、なるべくこの中で読んでから出るのだけど……僕はなかなか全部を覚えられなくて。
だから、こうして既に読んだ本でも、また読みに来なきゃいけなくなっちゃう。
「風向き……よし! 雲、よし! 今日は晴れるでしょう! ……大丈夫だよ!」
外へ飛び出して確認した僕は、そう宣言してはためく洗濯物たちににっこりした。
さて、少し遅くなってしまった。
急いで森へ出る準備をしながら、乏しくなってきた食品庫の中を確認して、ちょっと情けない顔をする。
「うーん。今日は獲物がかかってるといいな……」
次の『お荷物お届け日』まであと……三日もある。
保存食までだんだん減ってきていて、溜息を吐いた。
師匠は食材が足りないなんて、思いもしないだろうな。
お届け品の注文内容はいつも同じ、師匠の食べる量も同じ。だったら、足りなくなるはずがない。
「僕、食べすぎかなあ……」
ちょっとしょんぼりして、お腹をさすった。
だって、実際こうも保存食に手を着けなきゃ足りなくなっている原因は、僕しかないもの。
けっこう採取も頑張ってたくさん採ってきているのに、それでも足りない。どうしてこんなにお腹が空いちゃうんだろう。もっと前は、スープだってお椀一杯で足りたのに。
「……でも、獲物がかかっていたら、全部解決!」
むふ、と笑みを浮かべて踵を返し、僕は意気揚々と家を飛び出したのだった。
「――今日は、あったかいね!」
枝の上から僕を見下ろすポッポロ鳥に、手を振ってみる。美味しそうだなんて、思ってはいけない。食べたらおいしいけど、罠にかかるまでは獲物じゃないから。
ただ師匠もポッポロもろくに返事はしなくて、少々つまらない。僕はこんなに話したくてうずうずしているのに。
師匠も、もっとおしゃべりだったらいいのに。
「あっ、でも師匠もおしゃべりだったら、僕がしゃべれないかもしれない!」
はっと気づいた事実に可笑しくなって笑った。じゃあ、今がちょうどいいのかも。
道すがら薬草と食べられる野草を摘んで、目星をつけていた木の実を採取。そろそろ大きくなってきたキノコもカゴに入れた。
魔物が来ないメリットは、ここにもある。だってこんな森の中、食べごろの木の実やキノコなんて、普通は僕が採るより先に魔物たちが食べちゃうもの。
本当に、シールドを張ってくれている師匠様々だ。
こんなに大きなシールドを維持できるなんて、本当にすごい。
やがてカゴがいっぱいになる頃、目印の杭までやってきた僕は、目に魔力を込めた。ぐるりと見回してシールドの端を確認すると、慎重にそばの藪へ向かって歩みを進める。
ドキドキしながら藪の中を覗き込み――
「……残念」
がっくり肩を落としてしゃがみこんだ。
上手に設置できたと思ったんだけど。
だけど今日も、罠に獲物はかかっていなかった。
シールドに近すぎるんだろうか。でも、シールドから離れると、普通に魔物が出る。僕の方が先に食べ物になってしまう。
ますますお腹がすいた気がして、その場で大の字になった。
こうなると、浮かぶ雲さえ美味しそうに見えてくる。
ぼんやり梢の向こうに見える空を眺め、今日のごはんを考えた。
パンは、あと5つ。お届け日まで、足りないなあ。
シールドに守られたあたたかい木漏れ日の中、うつら……としかかった時、突如大きな音がして飛び起きた。
「な、なに?! 魔物?!」
藪の中を無理やり通り抜ける、バキバキ激しい音と、唸り声。
そして――
「ぐ、あうっ!」
どきりと、心臓が跳ねた。
人の……声!! 誰か、魔物に襲われてる?!