19 都合のいい、夢
――冷えた暗闇に目を向けた門番が、何かを見つけて目を眇めた。
こんな時間に、猛然と街道を走る人影。
どうも、まだ若い青年……いや、少年のよう。
大方、採取に夢中になって遅くなった低ランク冒険者だろう。
「開けてくれ!! 早く!」
いかにも素行の悪そうな少年に、門番が厳しい顔で首を振る。
「待て、町の者か? 冒険者なら証明書――おい、それは……」
ギョッと言葉を切った門番が、それを見て息を飲んだ。
灯りを差し向けられた汗だくの少年は、顔を俯け、ぎゅっと抱えたものを抱き寄せる。
些細な灯りに照らされ、だらりと力なく垂れ下がった、まだ小さな手。
乾いた血痕がべったりと貼り付いた――。
幼い少年だろうその子は、上半身の服の色が、完全に変わっていた。
「……魔物にやられたか」
痛まし気な顔をする門番を、少年が睨みつける。
「まだ、息がある! 早く、きっと間に合う!」
「……そうか。助かるといいな」
門番たちが視線を交わし、静かに門が開けられた。
もう、間に合わないだろうと知っていたけれど。
礼もそこそこに駆け込んで行った少年を見送って、やりきれない顔で溜息を吐いた。
「――ルルア、もういいぞ」
存外うまくいったとほくそ笑むディアンが、腕の中の少年に声をかけた。
唯一、ルルアが重傷のふりをできるかどうかが懸念だったけれど、うまいものだ。門番に照らされても、ピクリともせず脱力し、ディアンに身体を預けていた。
今も揺さぶる腕の中、荷物よりも軽い少年は、されるがまま力なく揺れる。
何の反応もなく。
「おい……ルルア?」
まさか。
どくり、ディアンの心臓が音を立てた。
口の中が干上がっていくのが分かる。
……俺は、ルルアを助けられたんじゃなかったのか。
魔物に囲まれ、血濡れで倒れていたルルアを思い出す。
もしかして、あれが、現実で。
俺は、間に合わなかった……?
ただ、事実を受け入れられずに、都合のいい夢を――?
冷えた頭の一部が、肯定を返す。
……そうだ。だって、都合がよすぎるだろう……あんなもの。
じゃあ、このルルアは、もう――?
おひさまのような笑顔は、もう――?
呆然と力の抜けた腕から、小さな身体が滑り落ちかけ、ハッと抱えなおした。
ルルアの懐から転げ落ちた何かが、ふわりと飛び上がる。
「る!」
抗議するようにディアンに一声鳴いた、小さな幻獣。
方角だけを頼りに、当てずっぽうで走っていたディアンを導いた、ハズレ幻獣。
そうだ、使い魔だ。ルルアの……使い魔。だから、きっとまだ。
恐る恐る、明かりの元でその姿を確認する。
頬に触れてみる……冷たい。分からない。
自分の手が、随分震えていることに気が付いた。
ためらった末、血痕のこびりついた首元へ手をやる。
「んー……」
ふいに、間抜けなうなり声が聞こえた。
首を竦め、きゅっと眉を寄せたルルアが手を突っ張る。
そのまま、ぐるりと寝返りを打とうとした。
「っ、ちょい待……この!」
取り落としそうになった身体を捕まえ、抱えたままへたり込んだ。
「……っ、はーー……」
まだうるさい心臓と早い呼吸をなだめ、ディアンは心底地べたで大の字になりたいと思った。
「嘘だろ……寝る? 今、この状況で? 俺に抱えられたまま?」
途中から、随分静かだと思っていた。
だけど、目を閉じているのだ。門からの距離が分からないから、既に演技をしているのだろうと……じゃあ何か? 俺が気を使ってもうすぐ門だとか話しかけていたのは、何も聞いてなかったと。
安堵のあまり脱力したディアンの額に青筋が浮かぶ。沸々と怒りがこみあげてくる。
どうしてくれようか、このポンコツを。
「……この野郎」
幸せそうに規則正しい寝息をたてるルルアの寝顔。あまりに心地よさそうなそれに苛立ちを募らせ、割とがっつり両頬を引っ張った。
痛い顔をしながら目を開けないルルアに、ディアンは馬鹿馬鹿しくなって、声を上げて笑ったのだった。
*****
ぱちっと、目が開いた。
「……あれっ?」
匂いが違う。
見渡した部屋に、首を傾げる。見たことのない部屋だ。
見下ろした自分の姿に、もう一度首を傾ける。
見知らぬ服、そして寝具。
「僕、もしかして死んじゃった?」
「……こんなショボい天国があってたまるか」
隣にあった布の塊がごそりと向きを変え、こちらを向いた。
不機嫌そうな橙と視線が絡み、ぱっと笑みが浮かぶ。
「ディアン! じゃあもしかして、ここが教会? あれっ? 僕、どうやってここに来たんだっけ?」
「どうやってだろうなあ……?」
すごく、低い声。どうしていきなり怒っているんだろうと思いつつ、昨日の記憶をたどる。
確か、僕が怪我しているふりで門を通るって話で……。
もうすぐ門から見える範囲になるから、ここからは抱えるってディアンが言って。
大丈夫? 重たいよって言ったのに……パンみたいに軽いと言われてむくれて。
ずうっと抱えていくなんて、無理に決まってるって思ってへそを曲げていた。
なのに、ディアンは一向に疲れた素振りがなくて。
ことん、ことん、揺れるリズムが心地よくて。
ここにいたら安心安全だなあなんて思って。
「えっと……もしかして僕、寝ちゃった?」
「いいご身分だなあ? 俺に運ばせるとはなぁ」
わあ……ディアンが笑顔で怒ってる。
「ご、ごめんね?! 僕、あんなに動いたり魔法使ったの初めてで! ちょ、ちょっと疲れちゃって! その……ありがとう、運んでくれて」
で、でもうまく町には入れたってことだよね! 僕、演技ができるかどうかって思っていたけど、無事クリアできたようでホッとする。
ディアンは、しばらくじっと僕を見て、息を吐いて、『怒った顔』をやめた。
「……ひとまず、飯を食え。話はそれからだ」
「うん……でも飯って?」
「教会でガキ用に作ってる。昨日の獲物を渡したから、俺らの分もある」
「本当?! 僕、手伝ってこようか!」
「呼ばれるまで、大人しく待ってろ」
そっか。
そわそわしながら立ち上がって、我慢できずに窓の方へ駆け寄った。
何か見えるかと思ったけれど、窓の外では洗濯ものが、たくさんはたはた揺れて視界を塞いでいる。
もうすっかり明るい空に、目を細めた。
僕、いつもより起きるの遅かったな……。
師匠は、朝ごはん食べたろうか。お薬は飲んだろうか。
つい森を探して視線を彷徨わせたところで、カァンカァンと音がした。
「何の音?」
「飯」
端的に言ったディアンが、立ち上がって伸びをする。
そのまま出ていく背中を見送っていたら、イラっとした顔で戻って来た。
「ついて来いよ! ドン臭えな!」
ええ……僕、そんなの分からないよ。
唇を尖らせながらぺちぺち走って、自分が裸足であることに気が付いた。
そういえば、身体のあちこちにガビガビにこびりついていた血の跡がない。
「ねえ、どうして僕きれいになってるの?」
「……俺じゃねえぞ。ミラ婆だからな」
「ミラ婆?」
あんまりディアンがしてくれるとは想像できなくて、くすっと笑った。
「司祭っつうの? ここの責任者。お前を見て、悲鳴あげてたからな」
「わあ……悪いことしちゃった」
それはさぞかしビックリさせたことだろう。夜中に血まみれで抱えられていたら。
まず謝らなきゃ、と思いながら、ディアンに続いて部屋に入った途端。
ばふっ、と何かにぶち当たった。いや、何かがぶち当たって来た?




