18 初めての場所
「――うわあ、なんにもない!!」
森を抜けたら、町があるのかと思っていた。
目を輝かせて見回す僕に、ディアンが呆れた顔をしている。
「何にもねえのに、何で嬉しそうなんだ」
「だって……見たことない景色だもの!」
本で町を見たことはあるけれど、僕の知っている景色とあんまり違って、ちょっと想像がつかなくて。森と町って、どうつながってるのかと思っていた。
だけど、僕の想像はまるきり違ったみたいだ。
森を抜けたら、丸坊主の緑! 草しかないよ?! そして、びっくりするほど広い、広い空。
急に、空気がたくさんになった気がする。
……なんだか裸ん坊になったみたいな、心細さ。
狭い所に行きたい。囲まれた、どこか。
「……何やってんだ」
「あの、ちょっと僕、こういう所が初めてで……」
ディアンの脇の下に入り込むと、ものすごく不審な目で見られた。それはそう。
でも、ちょっと慣れるまで挟まっていたいと言うか……。
「草原の方が怖ぇえとか、聞いたことねえ。森の方が、よっぽど危険で怖ぇえだろ」
「そう……かな。確かに、本にはそう書いてあったけど」
歩きにくそうにするディアンに、申し訳なく思いつつこのスペースは譲れない。
静かになった僕を気遣ってか、今度はディアンが色々話をしてくれる。
「少し急ぐぞ。魔物は大したのは出ねえはずだけど、野盗が厄介だ」
「や、野盗が出るの……? それって、人だよね。出たら、どうするの?」
「魔法、ぶちかませ」
「ええっ?! もし当たったら、し、死んじゃうよ?!」
「当たったらじゃねえわ、当てろ、仕留めろ」
びっくりして見上げた目は、少しも笑っていない。
本当に……? 本当にそんなことをするの……? 魔物じゃないのに?
何も言えなくなった僕に、ディアンがふうと息を吐いた。
「……お前には無理そうだな。なら、そこで躊躇うより、逃げる方に全力尽くせ。逃げられるように、魔法を使え」
「う、うん……」
それなら、できそう。ホッと息を吐いて、そろりとディアンの脇の下から抜け出た。
多分、もう大丈夫。怖い場所じゃあない……はず。
まだ、心細さは残るけれど、ほっぺにふわふわ、傍らにディアン。これなら、大丈夫。
誇らしげに『るっ!』と鳴くグリポンに頬ずりして笑うと、遠く見えて来た町に心を弾ませる。
あれが、町。人がたくさんで、建物がたくさんで……!
「――あ、しまった」
ふいにディアンが呟いたから、何かあったのかと思ったのだけど、彼は僕をじっと見ている。
僕……?
「お前のカッコ、それじゃちょっとアレか……」
「恰好? 変かな……あっ!!」
不安になって見下ろして、気が付いた。
すっかり忘れていたけれど、僕、血まみれのままだった。それも、首から胸元にかけて酷いことになっている。
これ、下手したら犯罪者みたいに思われるんじゃ!
「ど、どうしよう? そうだ、水魔法で洗う? でも、今度はびちゃびちゃになっちゃうけど」
せっかく、乾いて……というか固まっているのに。そういえば、首やアゴ辺りがぱりぱりする。
「ひとまず、首元を拭け。マジで、遅かったのかと……」
思い出したように顔を歪めて、ディアンが唇を引き結んだ。
ああ、それであの時、あんな顔をしていたのか……。
だけど、慌てて拭こうとして止められた。
「いや……これはこれでいいかもな。町に近づいたら、抱えていいか? お前、目ぇ閉じてろ。この調子だと、着くまでに門が閉まる。怪我してるっつったら、手っ取り早く門を開けんだろ」
にやっと悪い顔をしたディアンに、それって大丈夫なのかと眉尻を下げる。
「問題ねえよ。つうかお前、何も証明書持ってねえだろ。めんどくせえ。そういうのもすっ飛ばせてちょうどいい」
「も、問題ないの……??」
騙していることにならない? と思ったけれど、怪我したのは確かに事実ではある。もう治っているだけで。じゃあ大丈夫なの、かな?
そしてもうひとつ、気になる言葉が。
「あの、証明書ってどんな……? ないとダメなの? 僕、悪い人になっちゃう?」
「ならねえよ。俺なら、冒険者証だ。けど、フツーお前みたいなガキが持ってるわけねえし。ただ、門が閉まってるとめんどくせえんだ」
どうやら、それでも入れないことはないようだけど、手続きが必要らしい。
あと、多少のお金も。
「僕……町に入るのにお金がいるって知らなかった……」
「だから、普通はいらねえって。町に入ってから、冒険者証でも作れ」
「僕、冒険者になれるの?!」
ぱっと顔を輝かせると、ディアンが苦笑した。
「一番下のランクなら、誰でもなれる。登録するだけだ。お前、素材売りたいんだろ? なら、冒険者証は持っていた方が便利だな」
「そうなの? あの、ディアン……もうちょっとだけ、町に着いてからも一緒にいてくれる?」
「ああ。むしろ、一人にできるかよ。すぐさまどっかに売り飛ばされそうだ」
「え! 僕、売れるの?! いくらで?!」
「…………気にするのは、そこじゃねえ……」
「あ、そっか、ごめんね。大丈夫、分かるよ、危ないってことだよね!」
じとり、と目を眇めて僕を見たディアンが、地の底を這うような溜息を吐いた。
ご、ごめんね。僕、本当に物知らずなんだなとガッカリする。
魔法の事とか、素材のこととか。あと、病気とお薬とお料理のこと。そういうことはすごく勉強したけれど、他のことが疎かになっていた。だって、必要なかったんだもの。
「僕、色々頑張って覚えるね! 素材を売ったら、少しお金ももらえるはずだから、ディアンにもお金を払えると思うよ!」
「なんでてめえが払う側なんだよ……」
「どうして? 教えてもらうから……」
「その前に、俺の命の代金は?」
そうか、ディアンはあの時も、お金がどうとか言っていた。
少し安堵して、にっこり笑う。
「じゃあ、回復薬のお金の分、お願いできるってこと?!」
あれって僕のというより、師匠からもらっていた回復薬だけど。
いいのかな、と思いつつ、正直素材を売ったお金で足りるか分からなかったから、心底ほっとした。
ディアンは、『もうそれでいい……』なんて諦めた顔をしていたけれど。
「前にも言ったと思うけどよ、俺は教会に間借りしてる。お前も、しばらくはそこに居ろ。色々教えてやるから、満足するまで聞け。その代わり、そこで働け」
「うん! 本当に、何からなにまでありがとう!」
ぱっと笑うと、ディアンは額に手を当てて天を仰いだ。
「……あのな、疑え。簡単に『うん』って言うな。仕事内容を聞け。お前、マジで放り出したらマズい」
「ご、ごめんね……」
だって相手がディアンだからだよ、と言ったって信じてもらえないんだろうな。
くすくす笑って、薄暗くなり始めた道の先を見つめる。
きっと、言ったら嫌な顔をするだろう。だから、言わなかったけれど。
本当に……優しいね。
夜になっても煌めいているだろう、お日様の橙を見つめて、僕はご機嫌に笑ったのだった。




