13 無謀なこと
「――今、どのあたりかな」
写してきた地図を広げてみたものの、森に目印なんてない。
でも、いくら師匠の家が森の中と言っても、さすがに外から何日もかかるほど奥地じゃない。正しい道のりなら、1日もかからず森の外へ出られるはず。
「……無謀、だよね」
ごめんなさい、と小さく呟いて項垂れる。
まともに森に出たこともなかったのに。
でも……ディアンと一緒に出たら、ディアンが悪者になる。
師匠は、動けないから――結局、僕はいつかこうするしかないと思って。
地図を畳んで、前を向く。
方向は合っているから、きっと半分くらい進んだんじゃないかな! 敢えて楽観的に、そう考えることにする。だって、悲観したってどうにもならない。
「だけど、魔物避けってすごい効果だね、全然遭わないや」
火を点けたらいい香りのするそれは、魔物にはとびきり嫌な香りだそう。僕たちがいい香りだと感じるのは、もしかして古来から培われた、本能に紐づくのかも。
『る』と一声鳴いて返事をするペタルグリポンと目を合わせ、にこっと笑う。
僕、ひとりじゃない。
僕のおしゃべりが、独り言じゃなくなった。それだけで、こんなにも力が湧く。
そりゃあもちろん、師匠みたいに相棒がペタルグリフだったら、僕を乗せてひとっ飛びだったかもしれないけれど。
だけど、僕にはきっとこの子の方が似合うに違いない。
「君の名前をね、考えているんだけど……」
「る?」
ペタルグリポン、語呂が良くて勝手にそう呼んでいる、名もなきハズレ幻獣。だけど、ちょっと困った特性があるらしい。
だから余計に、ハズレ枠となっているのだとか。
「君たち……増えるんだよね?」
「るっ!」
元気に答えられてしまって苦笑する。
この子たちは集団で暮らす弱い幻獣なので、徐々に仲間を喚んでしまうそう。個であって全、みたいな不思議な群体化性質をもつ彼らは、勝手に個の契約を全に適用してしまう。
たくさん集まってくれば、役に立たない割に食費のかかる、厄介者に成り下がる。
だから、こんなにかわいいのにハズレなんて言われるんだね。
ディアンに言わせれば、役に立たない時点で十二分にハズレらしいけど。
「だったら、君はハズレじゃないよ。僕の役に立っているもの」
ふんわり丸々した身体で、むんと胸を張る姿に、じんと身体が温かくなる。
ちっちゃい同士、役に立たない者同士、頑張ろうね。
師匠やディアンみたいに、カッコよくなりたいなと思っていたけど、君みたいなふわふわも素敵だね! だったら僕、そっちでも良いかも。きっと、撫でたくなるに違いない。
だけど、ふわふわの僕を撫でる師匠が想像できなくて、くすくす笑った。
「師匠……ちゃんと朝ご飯食べてるかな?」
僕、こんなだけど。それでもやっぱり、いないよりいた方がいいと思う。
師匠が我慢できるなら、お手伝いさんを呼んでくれればいいのだけど。
「あ……呼んだことはあったんだっけ」
数年前――最初の頃の僕は、もっと出来が悪くて小さかったから、本当に何もできなくて。
だから、本に書いてあった『メイドさん』を呼ばないのかと聞いたことがある。
でも、呼んでも師匠より先にメイドさんが我慢できなくて、いなくなっちゃうらしい。ホントかな。
どうして、メイドさんもディアンも師匠が嫌いなのかな。
「師匠も、ディアンみたいにお話をたくさんすれば、もっとみんな好きになるのに」
「る……」
あれ? グリポンも好きじゃないのかな?
少々難しいですね、みたいな顔をする小さな相棒をつついた。
「君は、好きになってくれると嬉しいな。あのね、師匠は言葉が少ないし、選び方が下手だけど――」
でも、僕を傷つけようとしない。
傷つけようと放たれる言葉と、そうでない言葉の区別くらい、僕はつく。
言葉は、姿かたちも大事だけど、その中身だって、きっと大事なんだよ。
あまり残っていない、小さい時の記憶。だけど本当に怖い人は、酷い人は、どういうものかって、それだけは覚えている。
「る?」
「あ、ごめんね。ふふ、師匠はね、何も言わないし、すぐにうるせえ! って言うけど、大丈夫なんだよ。うるせえって言葉で伝えたい意味は、『黙れ』じゃないんだ」
僕が大きな物音を立てた時、師匠は部屋で耳を澄ませている。
じっと、息を殺して次の音を拾おうとしている。
僕が、うめき声でも上げようものなら、すぐに気付いてしまう。
すぐに、大丈夫だったよって伝えてあげなきゃいけない。
「あの時の『うるせえ!』は、何だろうね? うーん、翻訳するなら……『大丈夫ならいい、俺はちっともそんなこと気にしてない!』かなあ?」
確かに、腹は立てている。でもそれはきっと、自身に向けて。
だからそう訳したのだけど、グリポンの目が、とても疑り深くじっとり細められた。
え、違うかな……僕は、そうだと思ってるのだけど。
でも……そうじゃなくたってきっと、師匠の少ない言葉には、いろんな意味が入っている。ディアンの『悪い』が、『ごめんね』だけじゃなく『ありがとう』だったりするみたいに。
古代魔法文字に、複数の意味が含まれるように。
僕、学んでいるから分かるよ。解読だってするからね! ここはどういう意味かなって考えて、複数の意味から本当の意味を選ぶんだよ。
「そっか、ディアンは古代魔法文字を知らないもんね。だったら、しょうがないよ」
結論づいた答えに満足して、くすっと笑った。
今頃、師匠は僕が来ないと言って怒っているだろうか。
ディアンは、おやつのカゴの意味に気が付いたろうか。
なんとなく枝葉の天井を見上げ、空を探す。
薄暗い、森の中。だけど、天気はいいはず。
魔物が出ないのはきっと、魔物避けだけでなく、お天気が良くて朝早いことも影響しているんだろう。
やっぱり、それを教えてくれた選書魔法は偉大だ。
僕なら、見つからないように夜の方がいいかなって考えちゃうもの。
ふいに、視界の端に動いたものがあった気がして、視線を戻した。
何か……、いたろうか。
「動物……かな。それとも、木が揺れただけ?」
きっと、そう。だって、ちゃんと魔物避けを持っている。僕は今、魔物にとって嫌な臭いのする虫みたいなもの。近づいては来ないはず。
少し早くなる呼吸を感じて、こっそり頼りになる魔物避けを取り出してみる。
「わ……大丈夫かな? 森、あとどのくらい続くんだろう」
専用携帯具に入れた魔物避けが、既に半分ほど減っている。
急に、自分の心臓の音が気になり始めた。
静かな森の中、とくとくいう音は随分大きく響いているよう。
魔物避けが、もし、なくなったら……。
走った方がいいだろうか。でも、僕そんなに長い間走れない。
思わず振り返った先は、ただただ、うっそうとした森。
ううん、と首を振って前へ歩き始めた。
ここが半分の地点なら、あと半分、魔物避けだってもつはず。それに、浅い場所に差し掛かれば、魔物だって弱いのしか出ない。
……ここが、半分の地点なら、だけど。
魔物避け、蚊取り線香みたいですね……




