1 使い魔とルルアの決意
ねえ師匠。
僕、『外』に行こうと思うんだ。
黒からうっすら色のつき始めた窓の外を見上げ、僕は足音を忍ばせて小部屋へ向かった。
大丈夫、もうずっと練習しているのだから。
きっと、うまくいく。
頑張るよ。だって一人で行くのは、心細いもの。
僕……師匠の選書魔法も、古代魔法文字も、凄いことだって思ってた。
だけど。
『そんな役に立たねえもんより、普通の魔法をやった方がいい』
衝撃だった。まだ僕の胸にくすぶり続ける、彼の言葉。
……だから、知ろうと思うんだ。
静かに扉を開き、ゆっくりと、息を吸い込んだ。
小部屋に満ちた紙と木、そしてインクの香り。僕の、好きな香り。
そうしてひとつ瞬き、手元に視線を落とす。
「ナ・ウアーク・サラ・ラ……」
震える唇から不思議な音律がこぼれ出し、呼応するように文字列が金色に光る。
重厚な皮表紙の、大事な本。
そのページに手をかざし、淀みなく、たゆみなく続ける不思議なことば。
やがて徐々に光が強くなり、ページが、本自体が光りはじめる。
応えてくれてる……!
どきどきする胸を押さえ、ぱらり、心地いい紙の音を頼りに長い長い詠唱を続けた。
――ぽた、と。こめかみを伝った汗が、顎先から落ちてハッとする。
あと、少し。
まばゆい光で、もう文字が見えない。
大丈夫――僕、覚えてる。
いっぱい練習したから、見えなくても読める。
大丈夫。だって、この胸に感じている。
『何か』との繋がりを。
ふいに、ガタタッと遠くで音がした。
あ……、しまった。師匠が起きたかもしれない。
でも、きっと間に合う……!!
魔力の圧が、僕の髪を、服をはためかせる。
「――イ・ルシュ・アウラーク・ランダ!!」
「ルルア?! 何をしているっ?!」
最後の呼びかけと、師匠の声、そして乱暴に開かれた扉が、ほぼ同時。
次いでぐらっと傾いた身体と、一瞬胸に走った小さな痛み。
そして、ほとばしるような魔法の圧を感じた。
まばゆい光を堪え、まぶたを持ち上げて。
渦巻く中心にいた『何か』と視線が絡んだ。
「……君が、僕の使い魔……?」
くりり、と首を傾げたふわふわのそれが、ひとつ瞬くのを見て、笑みが浮かぶ。
よろしくね、僕の、相棒。
これで、準備は万端だ。
――ねえ師匠。僕、外に行くよ。
師匠の価値を――証明できるのが、僕だから。
***
鼻の頭が冷たくて、ぼんやり目が開いた。
あったかいお布団の中で、ひんやりした空気を吸い込んでにっこりする。
いつもの朝の、いい匂い。
朝露の、しっとりした香りがする。きっと、いいお天気になる。
僕はうんと伸びをして、勢いよくベッドから飛び出した。
さあ、今日の体調はどうだろうか。師匠、何だったら食べるかな?
耳を澄ませながら小鍋に水を入れ、火にかける。
小窓から差し込むささやかな朝の光に目を擦り、ぐう、と鳴ったお腹をさすった。
僕のお腹はこんなに元気なのだから、少し師匠に分けてあげられたらいいのに。
踏み台を飛び降り、きのこのカゴから、2つ3つ掴み出して匂いを確認した。
「うん、鮮度はまだ大丈夫!」
刻んで鍋に放り込んだところで、家の中から、僕以外の音がした。
ゆっくり寝台から体を起こす音。
身体の痛みに舌打ちする音。
そして、咳をする。
僕は急いで乾燥葉を数種類掴み、別の小鍋に放り込んで煮出しておく。
今日は、喉が痛そう。きっと、この薬湯が効くだろう。
熱くならない木の器にスープを注いで、盆に乗せ薬湯を添える。
そうだ、苦いから、はちみつだ!
とたた、と軽い音を響かせて奥の食品庫に駆け込むと、そっと大事な瓶を取り出した。
小さなスプーンで、琥珀色の液体をすくいとって小皿に乗せる。思わずごくりと喉が鳴った。
溢れてくるよだれが零れ落ちそうになるのを拭って、慎重にお盆を持ち上げた。
「師匠! おはようございます! 朝のスープができたよ!」
一応、ノックするけど返事が返って来たことはない。
遠慮なく扉を開けると、淀んだ湿気の匂いがする。
サイドテーブルにお盆を乗せ、まずは奥の窓に駆け寄って大きく開放した。
「ねえ師匠、見て、今日もいい天気! お腹すいたでしょう?」
にっこり笑みを浮かべて振り返ると、寝台に掛けていた師匠がじろりと僕に視線をやった。
「朝からうるせえ……。天気と腹に何の関係がある」
「え、あるよ! だって、お天気がいい方がお腹空かない?」
「空かねえわ」
鼻で笑われて、むっと頬を膨らませた時、また師匠がむせ込んだ。
慌てて駆け寄り、広い背中をさすってみる。
大きな背中。
しゃんと立ち上がったら、随分背が高いと知っている。
無造作に伸びた無精ヒゲを剃ったら、途端に若々しくなることを知っている。
「はい、今日はノノ乾燥葉が多めの薬湯だよ。きっと、効くから」
「いらん」
「だめだめ、ちゃんと飲んで! あのね、見て! はちみつだよ?!」
両手で小皿を掲げて見せたら、師匠がへっ、と皮肉気な顔を向ける。
「俺はガキじゃねえんだよ、はちみつ欲しさに飲むかよ」
「じゃあ、子どもじゃないんだから、ちゃんと飲んで! 作ったお薬がもったいないよ」
「……うぜぇ」
伊達に何年も一緒にいないよ? 不機嫌な顔をする師匠に薬湯を押し付け、はちみつのスプーンを口元へ近づける。
渋々開いた唇にするっとスプーンを滑りこませ、素早く引き抜くと、師匠は渋面で薬湯を飲む。
大急ぎで小皿のはちみつをかき集め、カップが唇を離れると同時にスプーンを差し入れた。
「甘い?」
「苦いわ、馬鹿か」
そうなの? だってはちみつはあんなに甘いのに。
師匠がもういらんと言うので、喜び勇んで丁寧に丁寧に小皿をこそげて、大事にそのとろける甘みを味わった。あとで、こっそり小皿も舐めておこう。
あまりの美味しさにうっとりしていると、またお腹が鳴った。
「師匠! お腹空いたでしょう、これ、スープ!」
「俺は減ってねえ。それはお前の腹だ」
「知ってるよ?! でも師匠が先に食べなきゃ」
「食いたきゃ勝手に食え」
押し付けたスープを抱えたまま、スプーンを持とうとしない師匠にしびれを切らし、自分のスープを抱えて師匠の寝台に腰かける。
「じゃあ、師匠、今日も一緒に食べよ!」
「うぜえ……」
「だって、師匠ちゃんと食べないんだもの。僕、見張ってるよ」
ふんわり香るきのこの香りを吸い込んで、むふ、と笑う。
しっかりかき混ぜて、ふうふう冷ましたひとくちを、ぱくっと咥えこんだ。
空っぽのお腹に染み渡る、あたたかい塩気。
「おいしい! スープ、美味しいよ! 僕、あとでおかわりしようかな? あっ、師匠。今日はね、お洗濯したら西の森で採取してくるね! それで、罠をチェックして、戻ったらお掃除して――」
僕しかしゃべらないけれど、師匠は以前のように黙れと怒鳴らなくなった。
だから、きっとおしゃべりしてもいいってことだ。聞いているかどうかは、分からないけれど。
開いた窓から、柔らかな風が入って、白黒混じった師匠の長い髪を微かに揺らしていく。
元々黒かったらしい髪は、病に伏してから随分白が増えたよう。そのせいで、40代のはずが随分老けて見えるのだとか。
でも、密かにこれはこれでカッコいいと僕は思っている。
溜息を吐いた師匠が、いつも通り不機嫌にスプーンを口に運ぶのを見ながら、僕は湧き上がる笑みを隠さずきらきら笑った。
新作です! どうぞよろしくお願いいたします!!
予約投稿うんぬんで間違えて投稿しました!!!!!! 告知ゼロ!! 泣いていいですか?!
どうにもならないので、今日から投稿します! 本日3話まで投稿しますね!
たぶん毎日投稿する……予定でした…