救国使の初仕事
晴天が仄かに風薫る街路を暖めながら、学校へ向う生徒を見下ろす。
しかし敦は大自然の恩恵など知ったことではなかった。
よもや人生が百八十度ひっくり返ることが起きるとは思いもしなかった。
翌朝、目が覚めても記憶は鮮明だった。カーペットには厳つい魔封銃が置かれていた。
家族に見つかったらまずいとばかりに、何処に隠そうかと思案していたところ、小人がカプセルから銃を出したことを思い出し、どっかに再カプセル化するボタンがあるはずだということに思い至った。
よく観察すると、銃の腹部にそれらしきものを発見した。
そんなわけで今カプセルは財布の中にある。
「おっすー。何だよ、朝から深刻な顔しちゃってさあ」後方から颯爽と登場した正義が繁々と顔を寄せる。
「そうか。野神の不良たちが怖いんだな。大丈夫だって、速攻で逃げればいいじゃん」
ぼんやりしたまま歩く敦は上の空で投げ返した。
「使命ってあると思うか?」
「はっ、使命?何だよ唐突に」
「人間は使命を持って生まれてくるのかってことだ」いつになく神妙な面貌で声を荒げる。
「ど、どうかな。使命か。うん。あるかも」
「じゃあ、お前の使命は何だ?」
「ええっ!俺の?ま、まあ。そうだな。映像スタッフになることかな。夢のデカさで人生は決まるんだ。その礎は一度しかない青春にかかっているのさ。だから高校生は毎日、とにかく面白く行かなきゃな」
「なら俺にも使命があるってわけか」敦は達観したように瞼を閉じる。
「でも、急にどうしたんだよ。宗教にでも入るつもりか?」
「いいや別に。聞いてみただけ」
今朝方から、自分の何かが変わりつつあるような気がする。何かが目覚めようとしているような胸騒ぎを感じるのだ。あの小人が言っていた。志が必ず自分を動かすと。
抱えきれないほどの重い十字架が自分に伸し掛かる。そんな運命の足音が聞こえるような気がしてならなかった。
「水上君。今度、大会は何時なの?私、絶対応援に行くから」亜季が敦の机に手を乗せて微笑む。いついかなる時も華やかで愛くるしい。多分どんな窮境に立たされても、その可愛さは喪われないのだろう。
その時。冷たく鋭い視線を感じた。斜め前の席で文庫本を手に持つ由美だ。次の世界史の後の三限目は彼女の嫌いな家庭科だから、ニ限目で早退するはずだ。ちなみに正義は我々とは別のクラスに在籍している。
このクラスで敦の話相手はほぼこの二人だけだ。男子からは空気のように扱われ、すっかり透明化している。
「二階堂さんはコンクールとかないの?」
「あるある。来てくれるの?」
「行ってもいいよ」
「嬉しい!私のお客さんは水上君だけだと思うから」幼児のような所作ではしゃぐ。
「そうそう。エイズウイルスの事件、すごいね。何かアウトブレイクみたいになったら恐いわ」
「多分平気だよ。あれは」口が滑りそうになった。こんな与太話真に受ける人間はいない。例え亜季のような純真で穢のない素直な少女でも無理だ。
「あれ?」
「いや、何でも無い。感染源は封鎖して感染経路も遮断してるからね。広がらないと思うよ」
「そうね。これが初めてじゃないもんね。何とかしてくれるわ。ねえ、新巻さん。ニュース見た?」亜季が明るい挙動で由美の席に寄りかかる。
「興味ないわ。どうせまた下らないテロかなんかでしょ」無感動に答える。
「でも人が死んじゃったら大変だけど」
「運が悪かっただけじゃないの」目を文庫から外さないまま素っ気なく言う。いつも通り、自分の世界を時間を妨害しないでくれと言わんばかりの冷淡さだ。
「二階堂さん、あんまり邪魔しない方がいいよ。それより、微分の宿題少し見せてくれる?」
「はいはい!待ってて。今ノート持って来るね!」何事も率先垂範かつ天衣無縫。亜季は心底優しい子だ。
魔物が地球を破壊しようとしていて、自分はその救世主になる。こんな子供騙し、誰も信じてはくれない。誰とも共有できない悩みを得ることは甚だ苦しいものだ。
孤独に打ち勝つ。その自信がなかった。現況はとにかく投げ槍になることしかできない。どうにでもなれ。知ったことか。敦は溜息を吐くばかりだった。
その夜、ベッドで物思いに耽っていると、また黄泉の小人マゴヒルコが現れた。やはり大和神話に出てくる皇子のような服を着ている。
「決心は固まったか。明日、作戦決行だ」
「明日!何だよ、作戦って!」
「破壊獣を黄泉に強制送還させるのがお前の今回の任務」
「本当に俺がやるのか!でもどうやって?」
「魔封銃は冥界屈指の神器だからな。標的に当てれば一網打尽だ」
このハリウッドSF映画を彷彿とさせる大袈裟な武器で、凶暴な魔物を?
だとしても、やはり何故その役目が自分なんだ?
「なあ、最大の疑問なんだけど、そんなに世界を悪から救いたいなら、黄泉の使者のあんたが自分でやればいいんじゃないのか?」
「私にはその責務はない」
「随分と身勝手だね。なら、どうせ冥界には魔物ハンターよろしくレンジャー戦隊みたいなのがいるんだろ?そいつらに任せればいいんだ」
「分かっておらんようだな。地球の問題は地球人自身の手で解決しなければならん。我々黄泉の存在が助けてしまってはお前たちのためにならんのだ」
「どうしてだよ!地球の危機なんでしょうが!」
「一度助ければ、事あるごとに地球人たちは我々に助けを求めてくる。何か問題が生ずれば、すぐに何とかしてくれ、助けてくれと縋り付いてこよう。それではこの世界の存在意味がなくなる。依存心があっては、お前たちの成長を阻害してしまうからな」
分かったような理屈を捏ねる小人め。どうあっても俺に責任を被らせるつもりか。
「この武器を使えば、本当に倒せるんだな?」
「倒せる。自信と勇気を持て。お前は天津神の一族だ。どんな艱難をも突破できる強靭な魂を有している」
「マジかよ。強靭な魂って言われてもな」敦は観念したようにベッドに寝そべる。
「敵の居場所は分かる。奴は病院での事件の生き残りを追いかけている最中だ。学生五人。しぶとく逃避行を続けている。というのも、内一名が霊能力者で、敵を撃退する術を具有しているようだ。だが追い詰められている。現在地は春日山の山中だ。急いで出動してやれ」
息苦しくなった敦は、思い切り深呼吸をして立ち上がった。
不思議だが、何となく自分がその学生を救わなければならないという思いが湧いてきた。
これが神魂を受け継ぐ者の定めなのか。淡い諦念に似た感情が初々しい救国使の胸裏を去来する。
「いつまで粘るつもりなんだ?」聡太が迸る汗を拭き取る。
「しょうがないでしょ。街に戻ったら沢山の人が巻き添いになるわ。私たちで食い止めないと」愛が気炎を吐く。
合気道部の五人は正体不明の化け物から逃れるべく、山の中を逃げ回っている。
途中、川を渡ったり藪を抜けたり崖を越えたりして辛うじてここまで来た。全員服は泥に塗れ、靴は水が染みてぐしょ濡れだ。
「あいつ、ホントに浄霊なんかできるのか?四次元の幽体なんだろ?」聡太が疲れ切った声で問う。
「そのはずだけど。ちっとも言う事聞かないのよね。でも何とかして見せる」愛は霊媒としての自負を堅持する。生まれた時から父親に霊能者としての教育を受けてきた。どんな物の怪を見ても怯むことはないと自尊していたが、あいつは別格だ。並の悪霊や妖怪じゃない。
昨晩からの雨は止んだが、一同は空腹に苛まれていた。川の湧き水を飲んだ以外、もう丸三日何も食べていない。気休め程度の仮眠はとったが、心身とも既に限界に達している。
「俺たち、ここで化け物にやられちゃうのかな?」仲間の一人が弱音を出して泣き顔になる。
「何言ってるの。大丈夫よ。必ずあの世に帰らせてやるわ」
その時だった。突然頭上の空間から暴音が生じたかと思うと、黒い穴が広がった。そして何者かが躍り出て来たのだ。
「霊能力者にどうにかなる相手じゃないよ」何者かはそう言って一同の前に堂々と屹立した。
「だ、誰だあんた!」聡太が期せず奇声を張り上げて驚倒する。
「信じられない。異次元から人が。で、でも私は信じるわよ。霊がいるなら宇宙人だって存在するはずだもの」愛も驚き呆れて仰ぎ見る。
水色のパーカーにジーンズ。フラットスニーカーという、ごく平凡な若者の井出達だ。しかし一点珍奇に映ったのが、スワット特殊隊員が扱うような派手なライフル銃を装備している様だ。
「生憎、幽霊でも宇宙人でもないんだ。俺は黄泉の神様から密命を賜わった救国使、水上敦。ヨロシク!」
学生一同は只只茫然と敦の顔を見つめる。
「びっくりさせてゴメン。ちょっと子細があってさ。四次元装置で皆のいる場所までワープして来たんだ」敦は照れ笑いを浮かべてしゃがみ込んだ。
「そんなことが。一応霊能者が友達だから超常現象は信じてたけど。あ、あいつを何とかしてくれるの?」聡太が怖々質問する。
「ああ。この魔封銃でね」
「黄泉の神様?あなたは三次元の人?」愛が興味津々尋ねる。
「そう。俺はこの縦横奥行、つまり三次元に住む普通の人間。説明は省くけど、とにかく立て込んだ事情で悪から地球を救うヒーローに任命されたんだよね。もう寝耳に水で困ってるんだ」
あまりにあっけらかんとした自然体に一同は魂消るばかりだった。
それでも同世代だという共通項もあり、しばらく話すとすっかり打ち溶け合うことができた。
「だからか。あれは、邪霊じゃないのね。どうりで祓えないんだ」敦の提供した情報に愛が納得げに相づちをうつ。
「あの獣は黄泉の魔王が放った悪魔でね。この秘密道具でしか倒せないみたいなんだ」敦は雨露を浴びた木の葉から魔封銃に付いた水滴を手で拭き上げる。
愛たちによれば、敵は自在に姿形を操ることができ、擬態を駆使して獲物に憑依しようとするらしい。
愛が自前の呪法を唱えて、化け物を遠ざけることでどうにか魔の手を回避してきたようだった。もっとも、部活で合気道を嗜む彼等だからこそ、機敏にかわすこともできたのだろう。
「へえ。あの野郎、呪文を嫌がるんだ。大したことないかもな」敦が得意顔になって笑う。
「油断しないで。霊力は凄いわよ。私の霊能経験の中では圧倒的に最強の悪霊だわ」愛は悲壮感のある口調で表情を曇らせる。
「だけど、魔王はどうしてあいつを派遣したの?この世や人間に恨みを持ってるのかな?」聡太が質朴に尋ねる。
「そう言えば聞くの忘れてたな。あの小人、っつっても解らないか。まあ、上の人間がいい加減でさ。何の了承もなしに、あれをやれこれをしろだから、こっちも混乱してるんだ」
「そうなんだ。あなたも大役を任されてるのね」
「愛さんに特殊能力があるのはラッキーだったよ。この銃弾を的に当てるための囮になってもらおうかな」
「望むところよ。足でまといにはならないから」
それからしばらく敦たちは、木陰で息を潜めて破壊獣の出現を待った。
「そうだった。俺としたことが」肝心な事を思い出した敦は、リュックから彼等が空腹にあえいでいるだろうと予め持参した五人分のおにぎりとペットボトルの水を出し配った。
「すげー、何日ぶりかの食事だぜ!」仲間の一人が涙ぐみながら叫んだ。
一同かぶり付くようにおにぎりを頬張り、水をカラカラの喉に流し込む。
「やっぱ米はいいなー。敦さんはまさに救世主だ」聡太が感無量の賛辞を述べる。
「水って大事ね。命が細胞に染み込んでいくわ」愛が生き返ったように目を瞑って感動を味わう。
五人はまさに天国にいるような幸せな顔だ。
やがて食べ終わり、皆が談笑に入りかけた時。
「しーっ。来るわよ」愛が霊感を作動させて人差し指を立てた。
「大したもんだ。気配を察知できるのか?」敦が魔封銃を担ぎ直して臨戦態勢をとる。
「まあね。感応するっていうか。波動で感知するの」
すると風がざわめき、周囲の木々が揺れ始めた。
奴が来る。敦の第六感も発動した。焦げた、もしくは腐敗したような臭いがする。敵は近い。
風がさらに強まり木々が折れんばかりに撓る。
そして次の刹那。敦は一瞬目を疑った。目前にシャボン玉のような透明の泡がプカプカと漂って来たのだ。
五人はもう慣れっ子になっていた。
泡はどんどん増殖し、次第に頭、胴体、手足。所謂五体の態になった。
そしてそこから狂気めいた眼光と牙が顕現した。
「貴様が破壊獣か?とっとと里に帰ってもらうぞ」敦が魔封銃を構え、射撃態勢に入る。
「人間め。お前たちの時代はお終いよ。これからは我ら冥界の魔獣が現世を治める。まずはこの街を頂こうか」
「てめえが病院にウイルスをばら撒いたんだな?」
「そうだ。まずは挨拶代わりに人間への警告を行ったまでよ。俺様の魔力でエイズウイルスを空気中でも生きられるようにゲノム編集したんだ。お前たち人間にもお馴染みの得意芸だろう。ウイルスによって滅びるのがお前たちの末路かも知れんが、その前に我ら魔族がこの世界を牛耳るというのが魔王の青写真。目的は人間を恐怖で血祭りにするためよ。これからどんどん祭りは派手になっていくぞ」破壊獣はけたたましい唸り声で嘲笑した。
「そうはいかないぜ。俺を誰だか知ってるか?天津神の子孫、黄泉の救国使だ。おめえなんか、この神器でイチコロだよん」敦は焚き付けるように、余裕のはにかみ笑いを返して見せる。
「愚かな小僧が。俺様のデーモンバブルで窒息させてやろう」
言うや、破壊獣が全身から泡飛沫を大量に放出した。
「敦君、危ない!」
愛の声に危険を悟った敦は、横に反転して攻撃を避ける。
立て続けに泡の放流が襲いかかる。敦は樹木を隠れ蓑にしてかわしていく。
意外に厄介だな。狙撃するには正確に照準を絞らなくてはならない。それには空気中を素早く舞う、この悪魔の動きが止まるチャンスを伺う必要かありそうだ。
くそったれ。どうやって弾をぶち込むかだな。
「私が陽動するわ!ほら、獲物はこっちよ!」愛が手を広げて敵を挑発する。
「愛さん、気をつけろよ!」女子高生なのに。敦はその勇敢さに驚いた。
合気道で鍛えた足腰、反射神経。さらに霊的能力。偶然にもいい助っ人がいてくれた。一人なら大苦戦するとこだった。
愛は左右に移動しながら破壊獣のバブルをいなしつつ、何やら言葉を唱えて威嚇する。
「このクソガキの小娘!」敵は畳み掛けようと突進するが、裂帛の気迫で退魔の言霊を呟く愛の間合いには入れない。
「よし。いいぞ。もうちょい粘ってくれ」その斜向かいで破壊獣の背後に回った敦が狙いを定める。
そして破壊獣が一思いに愛の肉体へ取り憑こうと、宙空で静止したその時。
敦は気合いを込めて銃弾を打ち放った。それは虹色の艶やかな光波を帯びたエネルギー弾だった。
ところが魔物は咄嗟にブラックホールのように身体に丸い穴を拵えて、銃弾をすり抜けさせてしまった。
「げっ、何だよ!」敦は地団駄を踏んで悔しがる。
「生身の生き物じゃないわ。命中させるのは無理よ」愛が落胆の表情で言い捨てる。
「これじゃ、こっちの体力が先に参っちゃうな。何とかならないのかよ」傍観者の聡太も同様に悲嘆にくれる。
「残念だったな。そんな遊び道具じゃ、俺様は倒せないぞ。いよいよこの世界の終焉も秒読みだな」
畜生め。本当にこのアイテムで奴を始末できるのか。あの小人、まがい物をくれたんじゃないだろうな。偉大な神の末裔だとかぬかして、仕事は全部人任せの丸投げで、自分は高み見物ときてやがる。
形勢が危うくなり、恨みがましい不平不満が沸き立ってくる。
敦は決してよくない己の頭をフル稼働して対応策を考えるしかなかった。
「おい、悪魔!何で今この時代にこのタイミングで地球侵略なんだよ?」
「フッフ。お前、黄泉の使い手のくせにそんな事も知らんのか。いいだろう。滅び行く者へのせめてもの情だ。教えてやる」
破壊獣は悠然と空中に浮遊しながら語り始める。
「我ら黄泉の魔王軍が侵略するまでもなく、もうこの地球は破滅に近づいている。それはお前たち人間自身が一番知っていよう。例えを出せば、お前たちが掲げる、脱窒素、脱炭素などという、からかい半分のような環境対策。もはやそんな愚策では焼け石に水だ。おまけに、宗教戦争、経済戦争により、お前たちが生きる糧としてきた、絆や愛はどこ吹く風。人間は互いを信じることができす、憎み合い疑い合う有り様だ。末世もいいところだろうが。それなら、いっそ我らが完膚無きまでに厭うべき世界を破壊してやろうというわけだな。お前たちの積年の願いを叶えてやるんだ。ありがたく思うがいい」破壊獣は幽体を明滅させながら獰悪にせせら笑った。
「馬鹿かてめえ。誰もそんな事願ってねえだろうが。貴様の社長か会長か知らねえが、魔王って奴は相当イカれてるみたいだな」敦が飽きれた調子で面罵した。
「地球は滅亡なんかしないし、人間が愛や絆を喪うわけないでしょ!」愛も痛烈に反駁する。
「お前たちはいつもそうだ。他人を愛し社会に奉仕するなどと嘘をつく。お前たちの本音は自己愛。それだけよ。他人や社会などどうでもいいのだ。大事なのは自分だけ。その本心は狭い卑屈な偽装愛だな」再び醜悪な声で笑い飛ばす。
「だからどうだってんだよ。それでも人間は人間だろうが。そうじゃない奴もいるさ」
「ほう、ならば連れて来い」
「もう来てるだろうが間抜け!俺や彼女。その仲間もそうだ!」敦が咆哮するように言い放つ。
「その通りだわ!私たちは愛を理解する人間よ!」愛も追従して叫ぶ。
破壊獣はその剣幕に些か臆したように押し黙る。
「表層だけの美辞麗句を言ってももう手遅れだ。魔王の計画は既に動き出した。目撃者は全て消すまで」
魔物は全身に泡を漲らせて攻撃姿勢をとった。
戦意を奮い立たせる敦に向けて、これまでにない夥しいまでの泡ブクが押し寄せる。
とても逃げられず、敦はデーモンバブルに取り囲まれて、宙に持ち上げられてしまう。
「水上君!」どうにかしなくてはと愛が助太刀するが、此方にも泡が放散され、敢え無くバブルに取り込まれてしまった。
両者とも木立の先端近くの高さまで宙釣られ、多量に集積した泡に捕縛された状態となった。
「くそっ。どうしたらいいんだ。神の武器も霊能も通じないのか。俺たちの合気道なんかじゃ無用の長物だし。頼みの綱は二人だけなんだ。しっかりしてくれ」憔悴した聡太たちが棒立ちになって、酸鼻な光景を見上げる。
「愛さん。ごめんな。俺の任務なのに、こんなピンチになって」
「こっちこそ、迷惑かけてごめん。私根性だけは図太いから安心して」
「そっか。まあ何とかするから任せて」
俺は生え抜きの救国使だ。こんな事でくたばるわけがない。
とは言ったものの、どうすればいいんだ。倒す方法は唯一つ。隙を突いて魔封銃をあの軟体にブチかますしかない。
何か策はないか。奴を油断させる手段。突拍子もない作戦。
敦はしばし考えた。挙句、一興を思いついた。よし、これなら簡単だぜ。
「なあ、破壊獣さんよ。あんたの言ったことは正しい。俺は他人のために自分を犠牲にしたくはないんだ。頼む。俺だけは助けてくれ。あの女はもうどうでもいいからよ。お願いだ」敦は居直った諦観口調で吐露する。
「水上君?」愛が驚きを露にする。
「そんな。この期に及んで裏切るのかよ?騙したなアイツ」聡太が絶望したような蒼い顔で凝視する。
「ハッハッハ。ようやく本性を表しやがったな。所詮は自己保存と自己愛に生きる人間。それでこそ、我ら魔王軍の家畜となるにふさわしい存在よ。その正直さに免じてお前だけは俺様の配下にしてやる」
そう言うと、束縛していた泡は解けて霧散し、敦はドサリと地面に落下した。
「うわっ。痛えな。仲間なんだからもっと労ってくれよ」
「そうだ。裏切りの証にこの女の制裁はお前にやらせてやる」
破壊獣の提案に、敦はにやりと笑みを洩らす。
一方、愛は悲しい眼差しこそ見せたが、どこか達観した面容で言った。
「いいわ。あなただけでも助かって。仕方ないのよ。自分の命だもの。大切にしなくちゃ」
「悪いな。あんたには何の怨恨もないけどさ。俺が代わりに生きてやるから、潔く成仏してくれ」敦は決然と魔封銃を向ける。
「そんな・・・。俺たち、ついに死ぬのか。短い人生だったな。せめて親にはなりたかった」聡太が痛々しく跪く。他の面々も生気を失くして狼狽する。
敦は愛に銃口を定める。
「よしよし。お前は優秀な悪魔になれるぞ。さあ、撃て」耳元までせり寄って来た破壊獣が囁やく。
「急かさないでくれよ。ワクワクするんだ。狩人の血が騒ぐっつうかな」
「そうだろ、そうだろ。人間は元来残酷で猥雑な猛獣だからな」
敦と破壊獣の絶笑が山間に儚く響き渡る。
「この時を待ってたんだ。行くぜ。三、二、一、ズドーン!」
くるりと振り向いた敦が、まさに眼と鼻の距離から勢いよく銃火を巻き起こした。
「グオアー!」エネルギー弾が敵の身体に命中し、イカズチの如き虹色の波動がその身体中に燃え広がった。
「クソ坊主ー!裏切ったなー!」断末魔の藻掻き声に、涼しくすまし顔の救国使。
「裏切りの裏切りは正義だよ。つまり俺は誓いを果たすヒーローってことだな」
破壊獣は地に墜ち、一同から勝鬨の歓声が奏でられた。