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普通の青春

 床が烈しく擦れる音とともに、竹刀が面の頭頂を完璧に捕えた。

 文句のつけようのない一本が鮮やかに決まる。

 東青高校の大将である水上敦が格上と目されていた野神高校の中堅副将、そして大将を破り見事団体戦勝利を収めた。

「カッコいい!敦、最高ー!愛してるよー!」まず歓声を寄越したのは、同級生の石垣正義。敦とは古い幼馴染で、いつも生霊のように側にくっついて来る奇策な奴だ。

 コミュ下手な敦の唯一無二の親友である。

「水上君、おめでとう!私、勝つって信じてたわ!」その対岸から次に賞賛を投げかけたのは、同じクラスの美少女、二階堂亜季だった。ポニーテールに結んだ紫のリボンが映え、大きな目が爛々と輝く奥ゆかしい顔立ちは、有名雑誌のモデルオーディションに出場してもグランプリを獲れるかも知れないほどに可愛らしい。

 敦とはよく会話をし、宿題を見せ合ったり、漫画や映画の話で盛り上がることもある。しかし、残念ながら恋人というフレームには入らない関係だ。

 敦は被った面の中で、嬉しさと恥ずかしさの混じり合った表情をひた隠しにする。

 やった。念願の野神戦初勝利だ。弱小剣道部の自分たちが県内中位レベルの実力校に勝った。厳しい練習の成果がやっと出たんだ。

 もっともこれは大会ではなく、あくまで自分たちの剣道場に相手を招いて行われた練習試合だった。それでも勝ちは勝ちだ。

 礼を終えて試合場を出ると、敦の周りに部員が駆け寄り盛大な祝福の輪ができる。一同は飛び跳ねながら笑顔を咲かせる。

 勉強もできずスポーツも駄目で、剣道だって下手でセンスがない。だがこの半年間、顧問にしごかれて朝練と夕方の居残りで延々と体力強化に取り組んだ。

 鍛錬は嘘をつかなかった。取り柄のない劣等人間でもやればできるのだ。

 というのも、敦は密かに大学へのスポーツ推薦を狙っていた。勉強で中級偏差値レベルの大学に合格するのは難しいので、せめて剣道を極めて進学の道を切り拓こうと模索しているのだった。

 だが一人、不貞腐れた面相でその光景を眺める女子がいた。同じくクラスメートの新巻由美だ。こちらも魅惑的なサラサラヘアのモデル顔で、男子受け抜群のルックスを誇る。敦とは、まあ一応話すには話すが、決して仲良しではない。いや、正直人間的には嫌悪している。

 敦が面を脱ぎタオルで汗を拭っていると、その由美が不機嫌な相貌でスタスタとやって来た。

「似合わないわね」腕を組みつっけんどんに言う。仏像のように無表情だ。

「は?何が?」ぶしつけな物言いを浴びた敦は、正座で首にタオルを掛けてから反問した。

「笑顔よ。練習試合に勝ったくらいで、ガキみたいにはしゃいじゃって」

「それがどうか?別にいいじゃんか」

 なぜか由美は腕組みを解かないまま、威圧するように意地悪げな視線を放つ。

 するとそこへ満面笑顔の亜季がやって来た。

「新巻さんも嬉しいんですよ。だって野神高校に勝っちゃったんですもの。ねえ、新巻さん?」微笑ましいまでの上機嫌な口調で顔を向けて見せる。

「ウザい顔見せないでくれる」由美はそう言い捨てて歩き去る。

「水上君。私、何かいけないことしちゃいましたか?」

「関係ないよ。生理周期か何かじゃないの」もう一度顔と髪を拭いて敦が立ち上がると、一転ハイテンションな声色が飛んで来た。

 演劇部万年裏方役の正義が傍若無人にじゃれ付く。

「ヤッホー!感動した!よかったなあ!さすがエースだ。柳生十兵衛みたいだったぞ」

「じゃあ私、オーケストラの練習あるから行くね。水上君、ホントにおめでとう!」

「ありがと。あ、二階堂さん。剣道やるわけじゃないから、わざわざ靴下まで脱がなくていいよ。寒いのに」

「あ、ごめんなさい。道場だから脱がなくちゃ失礼だと思ったから。じゃあ、さよなら。石垣君も」亜季はそう言って遠慮がちに素足で床を踏み鳴らしながら道場を出て言った。

 ちなみに敦は、この二人の女子のどちらにも懸想してはいない。ガールフレンドではなく、単なる喋り友達なだけである。


 それから着替えを済ませて正義と談笑しながら下校していると、不意に殺気立った男連中が面前に立ち塞がった。数にして七人。

「おいてめえ、よくも恥かかせてくれたな。弱雑魚の東青に負けるなんてのは、俺たちにとりゃあ一生の不覚なんだ。分かるか?」

 強力な脅しを込めたガンをかけられて、敦は慄然と立ち竦む。そうだった。野神は生粋の不良が跋扈するガラの最悪な高校なのだ。

 番狂わせで格下に不覚をとった奴等の屈辱感は相当なものだろう。

「そ、そんなこと言ったって。試合は試合だろ。言い掛かりはやめてくれ」敦は恐々と強がって言う。

「何だと!東青の弱虫が野神に逆らうのかよ?ただじゃすまさねえぞ!」リーダー面のアフロヘアがさらに凄んで、敦の胸倉を掴み上げた。

「お、おい、おい。止めなよ。たかが練習試合じゃないか。何でそんなに怒るのかなあ。君たちも充分強かったよ。うんうん」正義が最大限の愛想を振り撒いて宥めかかる。

「何だ貴様!なめてんのか!」アフロヘアが正義を軽々と道路脇に突き飛ばす。

「やめろ!」今度は敦がアフロヘアに肩から体当たりをお見舞いする。

「このクソが!襤褸雑巾にしてやる!」取り巻きが一斉に敦の四囲に集まり四面楚歌となる。

「あ、敦・・・」電柱にもたれ掛かって腰を抜かす正義は、何もできずに見遣る。

「やっちまえ!」アフロヘアの怒号で、野神の生徒が敦に絡みかかる。

 くそったれ。勝利も束の間。袋叩きの報復に会うなんて最低だ。軽い怪我ならいいが、骨折とかしたら部活もできない。

 せめて一人か二人ぐらい道連れにしてやろうか。いや、そうなればこいつ等も自分も停学処分になる。大学の指定校推薦は諦めるしかなくなる。

 こんな馬鹿相手に人生台無しだぜ。ネガティブな思いばかりが脳裏を駆ける。

 両者揉み合いながら、蹴りが一発敦の脛に入った時。爆弾のようなどデカい罵声が沸き起こった。

「何さらしとんじゃ野神のクズがー!」

「相模さん!」正義が生き返ったように叫ぶ。

「大丈夫か石垣!どけ、任せろ水上!」相模豪太。東青の柔道部主将。身長197センチ、体重130キロ。高校生離れし過ぎた巨躯は見る者を震え上がらせる。

 相模は不動明王像のような厳つい顔相でアフロヘアを睨みつけ肉迫した。

「何だお前・・・」気合に気圧されて相手はズルズルと後ずさる。

 仲間も唖然と距離を開けていく。まるで虎を前にした野良猫といった感じだ。

「水上!ぜ、絶対に仕返ししてやるからな!」アフロヘアたち不良は恐れをなして散開していった。水を得た如くに雄叫びを上げる正義。

「有難うございます!チョロいもんですね!」頭を下げて感謝する。

「お前ら情けないぞ!あんな阿呆の愚連隊にやり込められちゃ、東青の恥ってもんだ!」

「あんな大勢じゃ無理ですよ」敦が乱れた制服を整えながら安堵の息をつく。

「あほんだら!数の問題じゃねえ!お前には男気がないのか!舐められたらお終いだぞ!」

「そんなもん現代っ子にはありませんよ」かぶり付かんばかりに強面を近づける相模から、身体を引いて視線を泳がせる。

「まあいい。もしリベンジに来たら、今度は正式にボコってやるさ」相模は大声で身体を反らして笑う。筋肉漲るその威風は依然猛虎のようだ。

「お前には貸しができたな水上。今週一週間、昼飯驕れ」

「一週間も?」

「そうだ。俺が追い払わなかったら、鼻血程度じゃ済まなかっただろうが?病院代が浮いたんだ。安いもんだろ」

 軽い恐喝じゃねえか。正義の味方も内実は奴等と同類だ。でもこの巨漢に歯向かえば、次は野神一党の餌食になる。今月はとことん節約するしかない。

「安い安い。助けて貰ったんだ。いいじゃないか敦」正義が背中を叩いて元気づける。

「じゃあな!蒼い顔のお坊ちゃん、剣道頑張れよ!」高笑いを響かせながら、怪物は校舎の方向に闊歩して行く。これから部活なのだろう。

「いつでもどこでも強いからな。あんな人間に生まれ変わりたいよ」正義は背伸びをして欠伸をする。

「努力って何なのかな」

「え?何だよ、いきなり思想家みたいな顔して」

「せっかく努力して成果を出したのに、何も得られないし。借金ができるわ、不良のターゲットになるわ。いいとこなしだろ?」

「でも勝って気持ち良かったじゃんか。みんなで騒いで楽しそうだったしさ」

「それだけだよ」

「それだけって何よ?」

「それだけなんだよ!」敦は声を荒げて足早になる。

「待ってくれよ。分かった。僕が昼飯代半分出すからさ。青春だ。楽しく行かなきゃ」

 午後の陽射しが幾分穏やかになり、春を告げる薫風が街路を吹き抜ける。

 敦はいつになく複雑な気持ちで、高校生活最後の一年を迎えようとしていた。


 


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