発表会、順番くじ1番で交差が成功した話
昔、発表会で「交差奏法」がうまくいった記憶が、ずっと心に残っていました。
その頃のことを思い出しながら、今また音楽に触れてみようと思ったきっかけを綴ったエッセイです。
安い電子ピアノだった。
スタンドもなかったから、机の上に無理やり置いて、イスの高さを調整しながら弾いていた。姿勢はいつも窮屈で、鍵盤は軽すぎた。家にあるのはそれだけだったし、親にそれ以上のものをねだる余裕もなかった。
ピアノ教室の先生は、そんな事情はたぶん知らなかった。
「発表会で、この曲を弾きましょう」と差し出された譜面。タイトルは、『シェルブールの雨傘』。映画の主題歌らしかったけれど、当時の私にとっては、知らない旋律、馴染みのないコード進行。なにより――難しかった。
指が届かない和音。転調の多い構成。
それでも、譜面を受け取ったからにはやるしかなかった。ピアノの先生は、発表会でこの曲を誰かに弾かせたかったのだと思う。そして、選ばれたのが私だった。
ただ、どうしてもできなかったのが、交差奏法だった。
右腕を左手の上からクロスさせ、鍵盤の高音側を打つあの瞬間。家の電子ピアノは鍵盤が軽くて、ミスタッチのたびに違和感が残った。指も弱かったし、タッチも浅かった。何度練習しても、その動きだけは身体に馴染まなかった。
しかも私は、過敏性腸症候群を患っていた。
常にお腹の痛みがつきまとい、特に緊張する場面では急激に襲ってきた。トイレの位置を確認してからでないと安心できず、レッスンもたまに休んだ。そんな状況だったから、「発表会」という言葉だけで胃がきゅっと縮むようだった。
発表会前日になっても、交差はうまくいかなかった。
ミスはする、体調は不安、しかも練習環境はボロボロ――心のどこかで、「もう無理かも」と思っていた。
当日。
控室で順番を決めるくじを引いた。
結果は、一番手だった。
終わった。そう思った。
だけど、ステージの上でピアノに座ると、不思議と心が静かになった。
足元のペダル、本物の重い鍵盤、客席のざわめき――すべてが鮮やかに感じられた。最初の一音を打ったとき、世界が少しだけ止まったように思えた。
交差の部分が近づく。
練習で何度も失敗した箇所。手汗で指先が滑りそうになる。呼吸を整え、腕を大きく回すようにして、右腕を左手の上へと差し出した――。
できた。
嘘のように、スムーズに鍵盤が鳴った。
その瞬間、心のなかで「何かがはじけた」音がした。
演奏が終わったとき、客席は静かだった。
そして、拍手が聞こえた。音楽の先生がにこやかにうなずいていた。
そのあとの記憶はぼんやりしている。
ただひとつ、ピアノが得意だったあの子が、緊張でミスを連発していたことだけ、妙に覚えている。彼女の方が技術は上だったのに、私の方がうまくいった。その現実が、嬉しいような、申し訳ないような気持ちを呼び起こした。
通知表の音楽の欄は、「4」だった。
授業はサボり気味だったし、テストは赤点だったから、自分でも驚いた。
あれから、何年も経った。
楽器からは遠ざかった。ピアノも、音楽も。
でも――ふとした夜、YouTubeで『シェルブールの雨傘』を聴くと、あのときの自分が浮かぶ。
小さな電子ピアノに向かって、指をこすり合わせていた自分。
くじを引いて「一番」を当ててしまった朝の自分。
ぶつけ本番で交差が成功した、あの奇跡の瞬間の自分。
音が流れると、不思議なほど風景が蘇る。
机の上のぐらぐらした鍵盤、暗い部屋の蛍光灯、遠慮しながら練習していたあの静けさ。今でも、指先がその感覚を覚えている気がする。
最近、また音楽に触れたいと思うようになった。
理由ははっきりしないけれど、ある日スーパーで流れていたアニメのエンディング曲が心に引っかかって、それがきっかけだった。
「今度こそ、自分の好きな曲を弾いてみたい」
そんな気持ちが、静かに湧いてきた。
もし、あのときの自分に手紙が書けるなら、こう伝えたい。
「あなたはがんばった。無理してたね。でも、音楽はちゃんと、あなたの中に残ったよ」
発表会のための曲じゃなくて、
“自分のための曲”を弾いても、いい。
今度はアニソンでも、ポップスでも、ギターでもいい。
自分の手で、もう一度だけ音を鳴らしてみたい。
あのとき弾いたのは「雨傘」だったけど、
今の私はきっと、**“晴れ間の曲”**を選ぶだろう。
ピアノの前に座る時間は、いつの間にか遠ざかってしまった。
でも最近、あの電子ピアノをもう一度手に入れてみようかと、本気で考えるようになった。
今なら、あの頃と違って、「自分の好きな曲」を選んでいい。
誰に何を言われることもなく、心が動いたメロディを、素直に音にできる。昔は先生に言われるがままだったけれど、今なら――アニソンでもゲーム音楽でも、なんだっていい。
それに、音を出すことそのものが、何かを癒してくれる気がしている。
誰かに聴かせたいわけじゃない。うまくなりたいわけでもない。ただ、自分の内側でずっと眠っていた“音楽を鳴らす感覚”に、もう一度触れてみたくなったのだ。
たぶん、あの交差が成功したときの記憶が、ずっと心の奥に残っている。
無理だと思っていたことが、奇跡のように成功した瞬間。あの一音を、身体が覚えている。もう一度、あの気持ちに触れられたなら、少しだけ自分を取り戻せる気がする。
たとえ、今はまだぎこちない音しか出せなくても。
いつか、またあの鍵盤の上で、自然に笑える日が来るように。
昔は、家にちゃんとしたピアノもなく、指の力も弱くて苦労ばかりでした。
今思えば、よくあんな難しい曲を弾けたなあと笑ってしまいます。
今度こそ、自分の好きな曲で、もう一度“音を鳴らす楽しさ”を見つけたいと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。