第6話 依戸の巫女
富士宮深言は椅子に縛り付けられたまま、抵抗する様子もなくじっとしている。
その視線は真っ直ぐとこちらを向いたまま、沈黙と保っている。
柏木は何もいうことなく、綾音の肩を叩く。
綾音は歩みを進めて、深言に言う。
「こうなった以上、みこちゃんが話さないと何もできないわよ」
綾音は深言に告げる。
深言は答えない。
「私が親友だからとか、信頼がどうとか言っても、アンタがそんな理由で話すとは思ってはいないわ。
だから、少し強引なやり方を取らせて貰うわよ」
綾音はそう言うと唐突に深言の胸ぐらを掴み、拳を硬く握りしめる。
深言は少し驚いた表情している。
柏木が後ろで何かを発声するが、その音を遮る様に
ドンっ!!
と音が鳴り響く。
深言の顔面からは血が流れている。
綾音は再び深言の胸ぐらを掴み拳を握りしめて、再び力強く殴りかかろうとする。
深言の顔からは明らかに恐怖の感情が読み取れる。
「わかった、わかったから、やめて…」
深言は怯えた様に言う。
彼女がどんな理由でこれらの事について黙秘を続けているのか、綾音には知る由も無かった。
故に説得は不可能である。
しかし、どんな生き物でも、死の危機に瀕すればそれを回避しようと本能的に動く。
綾音はこの死の危機を強引に誘発させる事で、証言せざるを得ない状況にしたのだ。
「じゃあ、アンタが隠してる事について全部話してもらうわよ」
綾音は全く表情を変える事なく答える。
こうして、富士宮深言の知る世界の真実の一端が語られる事となった。
「預言書、それは仙童綾音を適切なタイミング、適切な状態で死亡させる事で、異世界に転生させ、魔力凍結の呪いから解き放つ為の魔具であり舞台装置よ。」
「魔力凍結の呪い…?」
綾音は初めて聞いた単語に理解が追いついていない。
「この世界の生き物も、異世界に存在する生き物も例外なく、本来魔力と呼ばれる力を持っている。
この力は魂に依存するエネルギーで、個人が有する固有術式あるいは魔具に通す事で、現実に対してあらゆる作用をもたらす“魔法”という力が行使出来る。
おそらく貴方たちの組織が掻き集めてる物も、この世界に流れ着いた魔具の一種とかそんなものでしょう」
柏木は少し驚いたような表情をした。
それもそのはずである、おそらくだが柏木はこの人物にまだ組織について話していない。
だが、彼女はおそらく自身を取り巻く周囲の状況や断片的情報だけで、この組織の役割を見抜いたのだ。
「しかし、この世界の生物は全て、生まれた瞬間から自身の魔力の使用を禁じられる“魔力凍結の呪い”にかかる。ただ一人、依戸の巫女を除いて」
「その依戸の巫女ってのがみこちゃんなんでしょ」
綾音は富士宮深言の実家が管理する神社が依戸神社と呼ばれている事を知っている。
「そう、私が今代の依戸の巫女。それは生まれついた時より己の定に従い、世界の安定を保つ為に存在するただ一人の魔法使いって事。」
綾音はあの超常の力が魔力と呼ばれるなんともファンタスティックな力によるものだと知った。相変わらず実に現実味のない話だが、おそらく深言は嘘は言っていない、綾音は深言は情報を秘匿する事はあっても嘘は付かない人間であるとをよく知っている。
「なんで、わざわざ私だけ異世界に転生させて、魔力を使えるようにしようなんてするの?」
「それは、貴方がただ一人、無限の魔力を有し、魔法すらも及ばぬ絶対にして全能の力、“権能”を有しているから」
無限の魔力に権能。綾音からしてみれば、そんなものを持っていて、今までそれを自覚しないなんて実に不自然だが、彼女の言うことを整理するとなんとなく辻褄が合うような気がした。
要するに、自身は本来、無限の魔力を持っていてそれで全能の権能を使えるが、魔力凍結の呪いにかかっている為それが使えない状態にあるって事らしいと綾音は結論づけた。
「じゃあなんで、わざわざそんな力を私から解き放とうとするのよ」
「それは今、数ある異世界が危機に陥っているから。
例えば、昨日の朝、貴方が見たあの“亀裂”、あれは異世界とこの世界を繋ぐ空間の割れ目であり、数ある異世界を危機に陥れている原因。
貴方の持つ力を使えれば、それらの問題を造作もなく解決可能よ」
「じゃあそれをわざわざ預言書でタイミングを測るような真似をしたの?さっさと私を死なせて転生させれば良かったじゃない!」
「異世界に転生した貴方が、その力を悪用する事なく確実に役目を果たす為、因果を調整する必要があった。預言書はその役割を担っていたのよ」
つまり、あの本は結局、綾音を異世界に転生したからと言って自由にさせるつもりはなかったのだ。
しかし、同時に預言書が単に綾音を苦しめる為ではなく、むしろ世界を救う為動く舞台装置であるという真実は綾音によって不愉快なものであった。
「で、アンタはずっと私の友達のフリして預言通りなる様仕組んでたってわけ?」
綾音は深言に対して明らかに強い敵意を示して述べる。
「いいえ、私はただ預言が正しく成就されているか、監視していただけよ。
貴方が預言を変えられなかったのは、預言書が持つ純粋な因果に干渉する力によるものだけ。私は何もしていない」
深言は特に動じる事なく淡々と答える。
しかし、綾音が抱える疑問はこれでは収まらない。
「…わかったわ、まだ色々聞きたい事はあるけど、これでひとまず最後の質問。
なんでアンタは黙秘を続けていたのよ。今更黙ってたって、アンタが今言った様な事はあの亀裂を通していずれバレてたと思うわよ」
「別にそこの柏木さんには話そうと思ってた。でも、ここにあやちゃんがいる以上は話したく無かった」
「どういうこと?」
「どれもあやちゃんが知ったところで意味のない事だからよ。今の貴女は魔法も使えない、何か特別な力を使える訳でもない、そんな貴女が全てを知ってしまった所で、ただ自分の無力さに苦しむだけよ。
なら、せめて何も知らないまま、全てが単なる不幸のうちに終わった方が良かったと思ったから」
綾音は再び拳を強く握り締める。
綾音にとってその発言はあまりに受け入れ難かった。
すぐにに理解できる、それが深言の何年もともに過ごしてきた親友に対する慈悲である事は。
綾音はよく知っている、“自身が無力である”、その真実が如何に残酷で、それすら知らない事の方が遥かに幸せである事を。
それでも、綾音にとってそれは決して様に出来なかった。
綾音がただひたすらに憎かった、自身や自分にとって大切な何か対して、あらゆる理不尽を無機質に押し付ける世界の理、ルールあるいはそれらに類する全てが。
故に、彼女の根幹にあるのは決して勇気だとか信念だとか、そんな綺麗なものでは無かった。それは実に醜く、しかし何より強く、決して拭えぬ感情、それこそが憎しみであった。
綾音は再び、深言の胸ぐらを掴む。
深言は以前とは打って変わって全く動じない。
綾音はその拳を再び勢いよく振り下ろそうとするが、深言に直撃する前にその腕は背後にいる人物に掴まれる。
「やめろ、それ以上はただの暴力だ」
柏木はそう言って綾音を静止する。
冷静さを取り戻した綾音はただ黙って深言の胸ぐらを離し、拳を下ろし、手を広げる。手のひらからは血が滴っている。
「ここからの尋問は私が行う、君はここから出て、この廊下の突き当たりの部屋で休んでいろ」
柏木がそういうと綾音は黙って部屋を出る。
扉を閉めると、僅かな静寂の後に突然背後から声をかけられる。
「やっほー、見慣れない顔だね」
その声を聞いて振り返るとそこには、キレイなブロンドの髪を黒いリボンで縛ったポニーテールの少女が、優しい笑みを浮かべて立っていた。
「随分と浮かない顔をしているねー、さては柏木さんに酷い事をされたなー、しかも手怪我してるじゃん!医務室に連れてってあげるよ」
その少女は綾音の手を引いて、長い廊下を駆け抜ける。
「ちょっとアンタ、なんなのよ!」
その少女に手を引かれながら綾音は叫ぶ。
「私は八橋佳奈、ここのメンバーでメインアタッカーを務めてるよ♪」
そう笑いながら答える。
その立ち振る舞いは実に陽気で、幼さを感じさせるが、同時に掴みどころなく、その本質が見えないという僅かな不気味さを内包していた。