第2話 不傷の呪い
「この本不思議ね、これだけページがあるのに文字が書いてるのはこのページだけ、それに汚れの一つもついてない」
「まるで、魔法にでもかけられてるみたいだわ」
鍵原夜月は笑うように言う。
しかし綾音は夜月に近づき、作り笑いを浮かべながら、
「ごめんそれちょっと大切なものだから、とりあえず私に返して」
なんて碌な言い訳も思いつかず、慌てて言う。
しかし夜月はこの申し出に応じなかった。
「うーん、じゃあこれについて教えてくれたら返してあげる」
そんな条件を出し綾音から情報を引き出そうとする。だが、綾音はこんな交渉に応じるほど軽率ではなかった。預言書の存在を知るのは、現在綾音本人と幼い頃からの親友である深言だけである。これは以前預言書の情報を逆手に取られて詐欺にかかり、綾音の両親が多額の借金を負った経験があるからである。もっともその預言書の情報知っていた詐欺師は交通事故で死亡し、借金はすでに返済を済ませているが。
そういったことがあるため、綾音にとって預言書の情報はできるだけ秘匿しておきたいのだ。
「アンタ、クラスのみんなと話してたみたいだけど、私の関する情報は得られなかったみたいね」
綾音はそう言うと夜月から力づくで預言書を取り返そうと試みようと歩みを進める。
やり方は無数にあるが、話題の美少女転校生に怪我をさせた事で噂になる事を恐れた綾音は1番安全なやり方で夜月を無力化しようと試みる。
相手は恐らく、本を無理矢理奪取しようと試みると想定する。だから本を奪取するように見せかけて腕を掴み、そのまま足を絡めて体勢を崩させ教室の床に倒して無力化し、そのまま本を奪取しようと綾音は考える。
しかし、その試みは予想外の形で失敗する事なる。
ズドン!
綾音は突然、何もない床の上で躓き転んだ。
これが普通の女子高生なただのドジで説明がつく。
だが、綾音は自身よりも体格上の男性を単独で複数人相手取っても勝利できるだけの個としての戦闘能力と身体能力を持つ。
そんな綾音が、しかも何もない段差で転ぶなど通常ではまずあり得ない。
「大丈夫?怪我とかない?」
綾音の目の前に立つ1人の少女は心配の言葉をかけて手を差し伸べる。
綾音はそれを隙と見て、その手を掴み相手を倒し、構図を逆転させようと試みるが、腕を掴もうと体を起こした瞬間再び体勢崩し床に倒れ込む。
ここまで来るとドジというレベルでは済まない、何か綾音の体に致命的な障害が生じてると誰も感じてしまう有様である。
「私に何かしようなんて考えてるうちはずっと立ち上がれないよ」
夜月は少し呆れたような表情で綾音に語る。
綾音は憤りながらもその言葉の意味を察し、立ち上がる。
今の自分では恐らく今、目の前にいる少女に対して何もできない、その真実を本能的に感じ取った綾音が、預言書を取り返すことの出来る唯一の手段は一つしかなかった。
「わかった、でも絶対に誰かに言わないでね」
そう言って綾音がその提案に応じると預言書に関する綾音が知る限りの事を話した。
「凄い!なんていうかまさにSFとか異世界ファンタジーに登場しそうな感じの本じゃない!」
「いいなー、それって仙童さんについてしか書かれないの?」
夜月はまるで初めて海に来た子供みたいにはしゃぎながらそんな事を言う。
「そんないいものじゃないわよ、この本は結局私にとって最低な事しか書かれなかかったんだから」
綾音は冷たく返す。
それは、預言書による影響を直に受け続けた者による確かな言葉だった。
しかし、夜月は笑いながら
「そう、じゃあ私もちょっとした秘密を教えてあげる」
「これでおあいこって事で」
そう言って屋上へ綾音を誘導した。
夜月は綾音を引き連れて屋上へ上がると、端にある高いフェンスをよじ上り始める。綾音が止めようとするが当の本人は気にせず登り、そのまま降りて外側に立った。
高所恐怖症でなくとも、その位置から下を見ると言うのはあまりにも恐ろしいことが容易く想像でき、また、何かの拍子に落下したら間違いなく取り返しの付かない事になる高さである。
「アンタ、流石にそれは危ないわよ…」
綾音が心配の言葉を述べ、こちらへ来るよう誘導するが、それに応じる事なく、夜月は
「よく見ててね」
そう言って屋上から飛び降りた。
綾音は慌てて夜月のいたところへ走るが、フェンスの手前で立ち止まり、下方を見る。
その瞬間、ものすごい勢いで風が吹き荒んだ。この周辺に渦を巻くように強い風が吹きそして、その渦は回転しながら地面に向かって吹いていた。そしてその渦の中心では強烈な上昇気流が発生しており、そしてそこには上昇気流によってその落下速度を大幅に減衰させられゆっくりと地面に着地する夜月の姿があった。
彼女が地面に着地すると風止み、まるで何もなかったかのような静寂が訪れた。
フェンスに掴まり一部始終を見ていた綾音は急いで屋上から階段を駆け下りで夜月の元へ駆けつけた。
「何…?、今の…」
驚きのあまり思わず声を漏らす綾音に対して夜月は答える。
「これが私にかけられた呪い、私はね、私を傷つける全てから遠ざけられてるの」
その表情はどこか悲しそうに見えた。
綾音は生まれて初めて、預言書以外の超常を目にした。
***
「私は痛みをほとんど知らない、少なくとも私は体の内外を問わず、一切の傷を負ったことがない」
夜月は、帰り道を共にする綾音に語る。
「それって予防接種とか血液検査とかもやってないこと?」
「ええ、どれを私に対して行おうとしても、その全てがあらゆる不都合によって無期限に延期されているわ」
「風邪とかひかないの?」
「そう言う類の病にも一度としてかかったことはないわ」
「それじゃあ…」
「ふふ、少しは私に興味を持ってくれたかしら、案外私たち似てるのかもね」
夜月は綾音の質問攻めを遮る形で言った。
綾音は思わず言葉を濁す。
夕日は未だ沈まずゆっくりと地平線へ向かっている。
“不傷の呪い”――曰く、夜月がそう呼ぶそれは、世界に存在するあらゆる物理的要因が鍵原夜月にあらゆる類の負傷を与えないよう動くというものである。
「ねえ、今度は預言書についてもっと聞かせてよ」
夜月はそう言って、綾音に対して先ほどの綾音のように質問攻めを開始した。
しばらく歩いていると、2人は十字路に着く、ちょうどここでお互いの家へのルートが分岐するため、帰りに挨拶を交わし2人は別れる。
先程まで、苦手意識を持っていた夜月と言葉を交わし、少しづつ打ち解けあっていた綾音だが、夜月と別れ1人になると途端に顔つきを変えた。それは確かな決意に満ちた絶対不変の運命に立ち向かう者の顔であった。
綾音は誰もいない家に着くと自分の部屋に向かい机に向かいノートを広げる。
自身の予算と自身が持つ物的リソースを書き出す。また預言の文言から推測できるあらゆる事象を書き出し、それら全てに対して一つ一つ実効性のある対策を練っていく。
これらは綾音にとって幾度とも繰り返してきた作業であり、そして綾音が行う対策のもっとも最初の段階である。
部屋の中には生活に必要な物資、膨大な資料やけに重いダンベルと一台のノートパソコンくらいしか置いていない簡素な部屋である。
仙童綾音は決して娯楽に手を伸ばす事なく、自身に降りかかるあらゆる厄災に備えて貯金をし、自身の肉体を鍛えてきた。
綾音は一通りやる事を済ませると、10時前には消灯し入眠する。
そして、朝5時過ぎ頃に起きると、手早く朝食を済ませて外へ出ると、およそ5kmほどの距離を足を止めることなく走った。
その後昨日書いたノートを見返し今日やるべき事を明確にする。
手早く支度を終えた綾音は、再び決意を固め、学校へ向かった。