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哀しみの泉

作者: 藍村 泰


 泣きもしないうちから枯れてしまった感情は何処に行き着くと思う?


 哀しみの泉だ


 たった一人、自分だけが深い深い絶望を味わっているとは思っていない

 それぞれに苦しみ、憤り、焦燥感はあるものだから


 ――……でも僕は、この哀しみの泉から己の身を引き上げることが出来ない


 ……心に負った冷たさは、なくならない……




 ロイにとって、二つ年上の兄――リイチは尊敬に値する人物だった。

 幼い頃から、何事もそつなくこなす兄は、赤の国の女神が産み落とした御子だと人々の羨望を一身に受けていた。

 凛とした立ち振る舞い、よく通る声、太陽に煌めく黄金色に似た赤褐色の髪と瞳。

 極めつけに、リイチは誰に対しても優しかった。

 だから――――…………

 緑の国へとリイチが捕虜として連れて行かれ、誰もが激昂した。

 民は怒り、勿論ロイも例に洩れることなく、緑の国に憎しみを覚えた。

 ロイは三年前――緑の国の兵士達がこの国へ攻めこんで来た時、リイチと共に王城の近くにある森に身を潜めていた。

 我が身のことを考えて震えるロイをリイチは粘り強く励まし、ロイが落ち着きを取り戻すとリイチは真っ直ぐに王城を見据え、

『父上や母上達を助けてくる。お前は民のことを頼む』

と言った。

 それが、兄との別れとなった。

 今、この赤の国は、ようやく緑の国の監視下ではあるが、復興しようとしている。

 ロイは、この国唯一の王族として、第二王子として、復興活動を先頭立って指揮してきた。

 赤の国の民は皆、ロイのことを、国に救いをもたらす第二王子と仰いでいる。

 ――時間がない……。

 ロイは、ぐっと奥歯をくいしばった。

 心の中で、暗い思想が日毎に大きくなっている。


 ――――ホロボシテシマエ、ゼンブ。


 赤い鳥が緑の国から戻ってくる。赤い鳥は赤の国秘蔵の宝でもある。

 ロイは急いで鳥の足首に巻き付けられた手紙を外した。

 何度も、緑の国を内面から潰せるような連携しようという旨を潟Cチに伝えているのだが、リイチからの返事はいつも、緑の国を攻めるな、の一点張りだ。

 赤の国にいた頃の、国と民のことを愛していたリイチからは想像できない答えだった。

 そして、今回の返事も何ら変わりない。

 ロイは思わず溜め息を漏らした。

(兄さん、あなたを惹き付けて止まないものが、緑の国にいるというのか――)

 毛先に向かうにつれ、クセがある銀色の髪が揺れる。彼が手を下ろすと、着ている鎧が金属音を立てた。

 ロイは外を眺めた。

 一時期は壊滅状態だった王城の窓から見る外の景色は格別だ。壊される前と同じように白い石を固めて造られた壁は古より変わらない、赤の国特有のもの。この何とも言えない石の冷たさを感じながら、窓の縁に腰掛け、眼下に広がる町並みを見ていると、この王城で父や母、リイチと笑い合って過ごした日々が思い出される。

「…………兄さん、もう、この国は要らないの?」

 自然と言葉が口をついた。

 リイチからの手紙には、そうとも受け取れる文章が書き連ねられている。

 すっかり沈み込んでいるロイに声がかかる。

「ロイー!」

 綺麗な声で彼の名を呼び、少女は王城の美しい階段を上がってきた。

「クリス……」

 ロイは自分に駆け寄ってくる少女を見て、少し笑んだ。

 クリスはロイの姉であり、リイチの双子の妹だ。赤の国では男女の双子は不吉とされているため、彼女は産まれると同時に庶民に託され、庶民の籍に入った。その事は彼女自身と彼女を引き取った庶民、そして王族しか知らない。

 しかし、クリスは度々王城へ遊びに来る。ロイの友達と兵士に告げて。

 が、今のクリスの表情は、いつもの優しいものと打って変わって厳しいものだった。憤慨している様子で腰に手を当ててロイに、リイチと同じ赤褐色の瞳を向ける。

「聞いたわよ! リイチ兄さんの手紙を無視して緑の国へ攻め上がる気なんですって!?」

 クリスの言葉にロイは苦笑した。一体誰がその事を漏洩したのだろうかと思った。

「兄さんが何を思っているか、伝わってきたのか?」

 ロイが聞くと、クリスは顔を歪めた。クリスは昔からリイチと意思の疎通することが出来る。双子故に、だ。

「別に……そういうわけじゃ……」

 クリスはロイの座っている窓の縁に手を置いた。風が彼女の頬を撫でる。

「何か……悲しい気持ちが込み上げてくるの。戦争を起こしたら……またロイが傷付くんじゃないの? ……折角、笑ってくれるようになったのに……っ」

 クリスはロイを見る。

 その真っ直ぐな瞳は、ロイには眩し過ぎた。彼の視線が白い床に落ちる。三年前のあの日、血が張った床を。

 ロイの目の前に、三年前の記憶が駆け抜けた。

「……クリスには、わからない!」

 いつもの無口で落ち着いたロイからは、かけ離れた乱雑な物言い。

 クリスは驚いた。

「あの時――この惨状の場に居なかった自分を……どれだけ呪ったと思う…………?」

 咲き誇る花々のように美しく、それでいて静寂に包まれた湖畔にかかる霧のように冷たい笑みが、ロイの顔に広がる。

「父さんや母さん達は殺され、兄さんは捕虜として連れて行かれたのに……僕はのうのうと生きているんだ! 救いの第二王子と皆に仰がれてね!」

 自嘲の笑い声が彼の口から溢れる。

「……皆、僕を敬い過ぎなんだ。僕には兄さんのような慈悲なんて……ないのに……」

「あるわ! 慈悲がないなら何故、復興活動をしているの!? ロイのおかげで、此処まで復興が進んだのよ!」

 ロイは力なく、ゆるゆると首を横に振った。

「ごめん。こんなの八つ当たりだ……。クリスだって、辛いのに。――でも、暫く、黙ってくれ」


 会話が途切れた。




 どのくらいの時間が経っただろうか。階段を駆け上がってくる無数の足音が聞こえてきた。重装備の兵士達がロイの前に整列する。

 クリスは何事かと慌てた。

 ロイは、来たか、と姿勢を正す。

 兵士の一人が一歩前に進み出た。その兵士が敬礼すると、それに(ナラ)って他の兵士達も敬礼をする。

「ロイ様! 只今、門前に国中全て、そして同盟国半数の兵士が集まりましたっ」

「わかった。直ちに行こう」

 ロイは兵士に差し出された兜を取った。横にいるクリスは見なかった。姉は、悲しい顔をしているだろうから。

「ロイ! やめて! リイチは貴方にそんなこと望んでない!」

 震える声がロイを呼んでも、ロイはそちらを見なかった。

 兵士達が、ぱっと道を開ける。

 ロイの開かれた両眼は、前を向いていた。




「ロイ…………」

 静けさの中、一人にされたクリスは座り込んだ。

 窓の外には溢れんばかりの兵士がいる。ロイは緑の国へと行ってしまう。

 クリスは虚脱感を味わった。彼女は気付いていたのだ。ロイが緑の国へ攻め込めば、彼にとっても、自分と双子の兄であるリイチにとっても悲しいことが起こることを。この国で三人が話を交わすことは、二度とないだろうことを。

「行かないで……ロイ……」

 クリスは両手で顔を覆った。長い髪が白い床に散る。

「私には、リイチ兄さんより――国より――貴方が大切なのに」



 尊敬する兄さん。

 僕には赤の国を統べることは出来ない。

 ――赤の国の女神は、僕に祝福をくれなかったみたいだ。

 僕の心は冷たい。

 負った冷たさ以前から存在する闇夜。

 ……このままじゃ、この国さえも滅ぼしてしまうかもしれない恐怖にいつも怯えている。

 そんな僕に、哀しみの泉は底知れぬ深さをもって語りかけてくる。

滅ぼしてしまえ、と。

 ――全てを。


 この国唯一の希望である兄さん。

 貴方が戻ってきてくれれば、少なくともこの国は僕の支配から解かれる。

 僕が今いる場所は、僕のための場所じゃない。

 兄さんのために用意された場所なんだ。


 ――受け入れて。

 この場所を。

 そして――――。


 もうそろそろ解放して。

 僕を――――……。




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