九月のネーム(前編)
「フクちゃんってさ、字面がユーチューバーに似てるよね」
私と彼女は、コンビで活動しているマンガ家だ。九月になり少し涼しくなってきたと思ったら、今日もマンションの一室で、パートナーである彼女が相変わらず訳の分からないことを言ってきた。今はお昼で、差し迫った仕事もないから付き合ってあげよう。
「よく分からないんだけど。そもそもフクちゃんって誰よ?」
「何、言ってるの。フクちゃんと言えば横山隆一先生が生んだキャラクターに決まってるじゃない! 八十年代にはテレビアニメ化だってされたんだから」
「いや、そう言われれば分かるけどさ。私もマンガ家の端くれだし」
フクちゃんと字面が似ているユーチューバーねぇ。先月に、そういう人がSNSでの問題発言で炎上したなぁと私は思い出した。なので尋ねてみる。
「それで貴女は、何の話をしたいの? マンガの話? それともユーチューバーの話?」
「両方よ、マンガを描くのが私たちの仕事でしょ。つまり私は、マンガという仕事を通して、先月にやらかしたユーチューバーの話題を取り上げたいの。ちなみにフクちゃんの話をしたい訳じゃないわ、ただ字面が似ているなぁと思っただけよ」
面倒くさいなぁ、というのが私の感想である。またパートナーが、おかしなことを言い出している。そういう時は大体、苦労をさせられるというのが経験から分かっているのだ。
「つまり時事ネタをマンガで描きたいのね。今、連載してるマンガの中で扱いたいの? それとも別の読切マンガを描きたいのかしら?」
「うーん……連載とは別の読切で描きたいかな。仮にマンガへの苦情が殺到して、連載が打ち切りになったら大変だもの。リスクは避けないとね」
「本当にリスクを避けたいのなら、危ないネタは最初から扱わない方がいいんだけど。分かってる?」
ふっ、と彼女が私を見て鼻で笑った。うわ、腹が立つ。
「マンガ家になっておいて、何を言ってるのよ。リスクを避けたいなら、今ごろ私たちは公務員になってるわ。面白おかしく生きてナンボの商売でしょうよマンガ家は! 私はスポーツカーで、かっ飛ばしたいのよ。『スピードの向こう側』に行きたいのよ!」
「暴走族マンガみたいな表現は、どうかと思うわよ今のご時世は。免許も持ってないでしょ」
「だからこそよ。人は空を飛べないからこそ、想像力の羽を広げてアメコミのスーパーマンが生まれたんでしょう。縮こまっていたら発想も小さくなる一方だわ。私は過度に、黙りたくないの。表現者や創作者は昔から、検閲ギリギリのラインを攻めて作品を発表してきたのよ。高速でカーブを曲がる、F1ドライバーみたいにね」
カーブを曲がり切れずに、車が大破して亡くなったF1ドライバーもいたなぁと私は思った。何を言っても、パートナーの彼女が考えを変えないのは分かっている。
「じゃあネームというか、マンガを描く前のアイデア出しから始めてみる? 言い出したのは貴女だから、アイデアは積極的に出してよね」
「任せておいて。やる気になった時の私は一味、違うわよ」
ネームというのは原稿を描く前の、ラフな下書きである。珍しく相方がヤル気マンマンなので、彼女の発想を見てみたくて、私は何だか楽しい気分になってきていた。
「扱いたいのは時事ネタだからさ。どうせなら最近の出来事を多く、混ぜていきたいのよね。で、最近の出来事と言った時に思いつくイベントはある?」
「それは……まあ先月のオリンピックかなぁ。今月にはパラリンピックもあったし」
「そうね、個人的に印象深かったのは女子ボクシングよ。男性ホルモンの数値が高い、女性選手が金メダルを取って。それでネットで中傷されて、その中傷相手を告訴したのよね。で、告訴された人のリストに、ハリポタの作者も含まれていたって話で」
「あったわね、そんなことも……。あの作者さん、以前からLGBT団体に発言を批判されてたけど。そのネタをマンガに入れるのは、ちょっと難しいかな」
男性ホルモンであるテストステロンの基準値について、女子の競技では今後も議論が必要だろう。でも、だからと言って、金メダルを取った人が中傷されて良いということにはならないはずだ。そう私は思う。
「つまりネットやSNSでの発言には、責任が伴うのよ。私たちも含めてだけど。で、件のユーチューバーというか芸能人の話よ。フクちゃんに似た名前の彼女ね」
「回りくどいなぁ、『名前を言ってはいけない』ハリポタの悪役じゃあるまいし。まあマンガで描くにしても、本名というか芸名は出せないだろうけどさ」
「当然でしょ。いつ、何処で私たちの会話が流出するか分からないんだから。打ち合わせの段階から慎重にならないとね」
そういうものかなぁ。面倒なので、いちいち私は逆らわない。
「それで? 読切を描きたいんでしょ。主人公は女の子で、名前はフクちゃんでいいの?」
「ええ。本名は福子で、あだ名がフクちゃんね。そのフクちゃんがヒロインで、問題を起こしちゃうという訳よ」
「フクちゃんが、別の女の子と仲違いしちゃう展開かしらね。相手の名前はどうする?」
「やす子、じゃ不味いわね。福子と、やす子の二人がメインキャラだと、名前の語感が被っちゃうし。『やす江』にしましょうか。スナックバス江ってマンガがアニメ化されてたし、今風の響きかもしれないわ」
彼女が私の前で、いい感じにアイデアを出していく。私は気楽なもので、見てて面白かった。
「フクちゃんとやす江が仲違いする原因は、どう設定するの?」
「何でもいいわよ。ヒロインたちは十代の女子で、その年頃ならケンカの一つもするでしょ。個人的なSNSでの遣り取りが原因、でもいいわね。あくまでも二人の間での問題よ。不特定多数にメッセージを見られちゃったら、話が大きくなりすぎるからさ」
なるほど。読切マンガで手堅くまとめるには、小さな事件の話にした方が簡単で良さそうだ。
「他にも何か、時事ネタは入れる? やり過ぎると不謹慎って叱られそうだけど」
「そうねぇ。パワハラ問題とか、扱えるなら扱いたいわね。別にギャグで入れる訳じゃないわ。時には自殺者だって出る問題だもの。事件が起きたなら、その事件を風化させないためにもマンガで描く意義はあると思うわ」
「じゃあ、ヒロインのフクちゃんと、友人のやす江は高校生ってことにして。パワハラ問題は、彼女たちが通う学校での出来事になるかしらね。その問題は、どうやって解決させるのよ」
「うーん、そこは偶然というか、ヒロイン達とは関係ないところで勝手に一件落着していいと思う。メインで描きたいのは、ヒロイン同士が仲直りする展開だからね」
「他のキャラは? 生徒や先生をあと何人か登場させた方がいいんじゃないの」
「うん、ストーリーは夏休みに入るくらいの時期にしたいな。夏休みに入る前、フクちゃんとやす江が仲違いして、夏休みが終わる頃に仲直りして終わりよ。それとは別に、夏には女子野球の大会があって、別の女子キャラが活躍する展開も混ぜるわ。名前は大谷ちゃんね」
ああ、そこはメジャーリーグで活躍してる選手と同姓なのか。分かりやすいけど。
「大谷ちゃんは、やっぱりピッチャーで、四番打者なの? ホームランも打ちまくり?」
「当然よ、高校生ならピッチャーで四番の選手も実在するんだし。まあ女子については知らないけど、そこはマンガだからいいでしょうよ」
アイデア出しが進んできた。メジャーの大谷選手は何番打者だっけ? 私は変わらず、相方の話を聞くだけの立場で楽である。