間話「曇りのち、如何に」
バレナ首都
淀藩、またの名を京の都。
その隣にある高槻藩の領地のきわ。
そこには広大な草原がある。
だが今、上から見下ろすと、ぽっかり穴が空いているかのように見える、黒い箇所がある。
よく見るために高度を落とすと、うじゃうじゃと群れる人の集団であった。
誰もが革の鎧と、武器を身につけている。
そう、この者達は軍団である。
だが何故、こんな所に宿営地を設けているのか気になる所だ。
すると、宿営地の中央にある一際大きく、豪華な天幕。
そこから男が1人出てきた。
かなりの巨漢であり、
その背には等身程の大剣。
漂う雰囲気は歴戦を思わせる。
そんな彼を追って、呼び止める者がいた。
「待て、スサノオ!
吾輩の話はまだ終わっていない」
スサノオは振り返り、面倒くさそうに言った。
「イナリ、お前の言い分はわかっている。
だがな、俺様は従うつもりはねぇ」
イナリと呼ばれた男は、
身なりの良い服の袖から出た、華奢な腕を払う。
「なぜ分からない。
都市ルナが落とされ! さらには陛下が病に伏せられた今!
攻めるのではなく、守りに徹するべきなのです!
ですから、そなたには1度王都に戻っていただきたい」
「くどい!!」
イナリの懸命な呼びかけも虚しく、スサノオは一瞬で断ち切ってしまった。
「イナリ、何をそんなに心配することがある」
「……」
「お姫様かぁ?」
「……ええ」
「それとも、お姫様の護衛をしているアマテラスがかぁ?」
「……それもあります。
あの引きこもりに、護衛が務まるとは思えません。
人の話は聞きませんし、口どもるし、湯浴みも滅多にしない」
イナリは知らない。
スサノオがアマテラスにちょっかい出して、泣かせてしまい、それ以来城に引きこもった事を。
スサノオはそれを言うこともできたが、する訳がなかった。
目の前の口うるさい者が、もっとうるさくなるのが目に見えてるから。
ただ、そうなると。
イナリに言いたい放題されてるアマテラスが、あまりに不憫に思える。
なにせ、護衛と何ら関係のないことで文句を言われている。
だからか、スサノオは少し彼女の肩を持つことにした。
「アイツを姫さんの護衛にしたのは陛下だ、ならば問題あるまい」
「あの娘は1度も戦場に出たことが無いのだ、まともに戦えるものか」
それは関係がない。
強い者は最初から強い。
凡人には到底超えられぬ何かを持ち合わせている。
要するに才能だ。
そして、アマテラスはそれを持っている。
初めて彼女に出会った時、己と大差ない力量を感じ取った。
しかし、
剣を握ったことがないイナリには到底分からないことだと、
スサノオはイナリを嘲るように言った。
「フン、戦を知る前の陛下とすら、比肩する者はいなかった」
その言葉で、イナリは心得がいった。
なるほど、アマテラスは陛下と同じ類かと、すぐに理解したのだ。
それを表現するように、頭を大きく、ゆっくりと縦に振った。
スサノオはそんなイナリを見て、続けて言った。
「その陛下も、心配する必要などない。
いや、誰も心配などしてねぇか。
陛下が病に伏せられたと聞いても、ここの連中は敵陣ど真ん中で酒盛りしてやがる」
そこでスサノオはふと思った。
この俺様抜きで酒盛りしてるなど、
許せねぇ、混ぜろ、と。
だからすんなりと、言葉が出た。
「どれ、俺様も宴に乗じよう」
遠ざかろうとする後ろ姿。
だが、イナリはそれを良しとはしない。
「そなた、毎日しこたま呑んでいよう!
陛下にもしものことが起きた時ーー」
「そんなに病が心配なら、神職でも呼んでお祓いしてもらえば良かろう」
イナリはため息をつきながら俯く。
目の前の巨漢は病というものが、未だにもののけや怨霊、悪鬼によるものであると思ってるらしい。
この場にヒワシが入れば、スサノオが言い返す間も与えないで、呵責したであろうに。
だが今回ばかりは、スサノオの案も悪くないと思うイナリであった。
というのも、
陛下の病状が、ヒワシが突き止めた幾つもの病と照らし合わせても、合うものがない。
発熱する訳でも、どこかに痛みがある訳でも無さそうなのだ。
ただ、ずっと眠っている。
まるで、日の光が当たらず、華が咲かない睡蓮のように。
そして、病状で最も気になる所は、
時々『ごめんなさい、ごめんなさい』っと、うわごとのように言っていることだ。
一体誰に対して許しを求めているのか、想像もつかないが、
決して他の者に見せられるお姿ではないことは確かだ。
あれほど無様な陛下は見たことがない。
どうしてあの様なことになったのか。
倒れた陛下を担いで戻って来た兵士が言うには、
戦場で出くわした、たぬき顔の女の仕業らしい。
その女は糸に石ころを垂らし、振り子のように、右へ、左へ、と揺らした。
それを見た陛下は途端に膝から崩れ落ちてしまっただとか。
イナリにとって、実に信じ難い話であった。
たかだか振り子で、何ができようか。
せめて振り子を持つ者が傾城傾国の女で、ようやく耳を傾けようと思える。
ゆえに、兵士の話など最初から受け入れず、
勝手に流行病だと決めつけていた。
だが、それもお終いだ。
もののけや怨霊の類によるものと考え、
神職を呼び、陛下を診させる他ない。
本当はヒワシを先に呼び寄せたかったが、出した文の返事が来ない。
上手くいかない事が続いている。
曇った先行き。
そんな時でも、否、そんな時だからこそ。
イナリはありとあらゆる策を思い浮かべる。
それを頼りに、俯いた顔を上げる。
すると、
遠ざかったはずのスサノオが、まだいたそこにいた。
「……そなた、何を呆けている」
当然、不思議に思ったイナリは尋ねた。
スサノオは振り返らず、ある所に指を指す。
「あれを見ろ」
言われた通り、指された所に目を向けると。
そこには黒い鳥がいた。
鴉だ。
鴉が差し立てられていたウルスの旗に止まっている。
一見なんてことはない。
少々普通より大柄ぐらいだ。
しかし、そんなことでスサノオが鳥を眺めるような者でないと、イナリは知っている。
イナリは目を細め、改めて注意深く観察した。
「……3本足?」
「ああ、縁起が悪いな」
縁起の善し悪しについて、イナリは信じてないゆえ、どうも思わない。
イナリが勘ぐっているのは別で、
奇形で成鳥まで育つとはなんと珍しいことか、や、
さぞ、たくましく生きてきたのだろうと思っていた。
「こっちを見てねぇか?」
スサノオは不快感を表すように言った。
果たしてそうだろうか。
確かに顔はこちらを向けているが、どこを見ているかは分からない。
イナリには、自分やスサノオと言うより、自分達の後ろにある天幕を見ているように思えた。
瞬間。
3本足の鴉は大きな翼を広げ、羽ばたく。
飛び立ったかと思えば、
一直線にイナリとスサノオの頭上を飛び越える。
それを目で追おうとするイナリと、スサノオは、
振り返りざまに、鴉が天幕の入口の幕を掻い潜って中に入って行くのが見えた。
「そこは陛下の!」
万が一にも陛下に危害を加えられたら、堪ったもんのじゃない。
この汚らわしい害鳥が!
そう思いながら、イナリは慌てて天幕に入った。
中に入ると、バサバサと羽を羽ばたかせる音がし、
そこらかしこに、黒い羽毛が飛び散っている。
直ぐにでも鴉を捕まえて、放り出さくてはならないのだが、
イナリは驚愕に打たれ、立ち尽くしていた。
なんと、鴉は首根っこを捕まれ、既に捕獲されていたのだ。
誰に?
1人しかいないだろう。
この天幕は1人だけのものだ。
ウルスで最も尊い御方。
「おはよう、イナリ。
……それとも、こんばんはか?」
先程まで病人だった男は、右手にじたばたする鴉を気にすることなく持ち、
物静かに言った。
「お、おはようございます、陛下」
務めて冷静を装いながら、イナリは一礼をするも、
内心ではかなり動揺していた。
害鳥が入ってきた事を、咎められる恐れがあるからでは無い。
何やら陛下の様子がおかしい。
この薄暗い天幕の中で、それは著しく目立つ。
王の双眸が鈍い黄金に輝いていた。




