メリット
ドンノからの圧に、ぶり返した緊張が喉の奥に詰まったが、それでも昨日までのリリーを、子供たちを思い出すと自然と口をついて出た。
「魔力提供量を元に戻してほしいんです。」
私の言葉とともに、あの独特な甘い香りが強くなるのを感じた。
「・・・君は、納得していたと思うが、私の間違いだったか。」
足を組み紅茶を啜るドンノは、こちらを見ることはなく、飾り棚の小物をじっと眺めていた。
「はい。納得してましたが、状況が変わりました。」
「ほう、状況か、確かに。」
向き直ったドンノがこちらに鋭い視線を向ける。
「今の魔力量だと、今まで通りの仕事量をこなせるのは数えるほどの子しかいません。だから、魔力提供量を元に戻してほしいんです。」
「確かに、今の状況のままではノルマに満たないな。だからと言って、戻したところでメリットにはならない。今の魔力提供量から得られるメリットを考えると・
「私がその分を補います。」
被せるように言ったそれを聞くとドンノは大きく目を開いた。
「君一人で出来るとでも?」
「なんとかします。」
私の決意は固く、皆をこの地獄から開放出来るのであれば自分のことはどうでも良かった。
「ふむ。」
ドンノは暫く考える素振りを見せると、さらにむせ返るような甘い匂いが部屋に充満した。
「確かに君の魔力量であれば、皆の不足分を一人で補えるかもしれない。そうして皆が以前のような気力と体力を取り戻せば仕事のノルマもこなせるようになる。君の考えているメリットとはそういうことだとは思うが、それだけでは現状とは変わらないのではないかな?こうは思わないかい?そもそも、今の子供たちはただ、怠けているだけだと。以前は出来ていたことが急に出来なくなるなんておかしいだろう。それに、数人ではあるが君も含め以前と変わらない仕事量をこなしている子もいるんだから、出来ない子供たちはちと、環境や君の好意に甘えすぎではないかな?前回も話した通り、魔力量は使えば使うだけ増えるんだ。だから皆、その実感をしてきている頃だと思うが、現状は変わらない。だとすれば怠けているのではと思ってしまうのは当然ではないかな?」
ドンノに問われ、確かにそうかもしれないと思いはじめた。魔力が増えているはずなのに変わらない仕事量。そこでふと、私に対しての嫌がらせなのかもと思い至り、だから時折それを伝えようと、リリーが声を掛けてこようとしていたり、しきりに私に近づけさせまいと他の子たちが見張っていたのかもしれないと考えた。その事に気付いた途端、心臓がバクバクと音を立て始めた。もう孤児院にいた頃のような思いをするのは嫌なのに。せっかくリリーたちと家族のように仲良くなれたと思っていたのに。そんな想いとともに涙が溢れそうになるのを必死で堪えているとドンノが口を開いた。
「ただ、魔力量の変化には個人差もあるから、一概に皆が皆怠けているとは言い難いか。変化を実感出来ていない子たちにとってはまだ、苦しい時期なのかもしれない。」
その言葉を聞き、荒くなった鼓動が少し落ち着いた。そうか、じゃあ嫌がらせではないのかもしれない。そういえば、食堂でも居室でも元気そうな子は見かけなかったし、皆にとっては一番大事な魔術の授業でも、覇気がなくつらそうな子が多かった。
「君は責任を感じているんだろう?」
そんなドンノの言葉にまた、大きく心臓が跳ねた。
「自分が私の相談に、軽々しく頷かなければと、そんな風に思っているのかい?」
「…はい。」
あの日を思い出して俯いた。そうだ。私があの日、いいと思うなどと言わなければこんな事にはならなかったのに。もっとよく考えてから答えていれば…。この状況を作り上げた自分に腹がたった。
「そうか。だが、私は非常に君に感謝しているんだよ。」
「え?」
思わぬ言葉に顔を上げる。
「君が後押ししてくれなければ、研究が大きく発展し今回の貴族様からの大幅な融資増額も無かった事だろう。」
「そうなんですか?」
「ああ。今回私が出かけたのはいつも贔屓にして頂いているある貴族様のところだったんだが、研究が大きく発展した事に関していたく喜ばれてね。融資額をいつもより弾んでくださったんだよ。それは偏に、君のおかげともいえる。だから私は、君に感謝しているんだ。改めて、ありがとう。」
先程の鋭い視線とは打って変わり、微笑みを向けるドンノに、まさか褒められるとは思ってもみなかった私は、沈んでいた心が一気に軽くなるのを感じた。
「だが、君の言った条件だと結局現状維持という事になるな。仕事量も今まで通り、魔力量も個人の負担量が変わるだけであって、総合的にみれば変わらない。という事は、今回の君の提案にはメリットがないという事になるんだが、どう思うかい?」
ドンノの言葉が頭をぐるぐると巡り、メリットがないという一言が反響した。すると急に、確かにそうかと腑に落ちる。私の提案ではメリットがないから今のままでは受け入れてもらえない。焦りの汗が全身に吹き出してきた。ドンノの反響する声を聞きながらどうすれば良いか考えていると、
「君の魔力量であれば、今の1.5倍の魔力量でも可能ではないかな?」
そんなドンノの言葉が思考を遮った。新しく反響し始めた言葉をどうにか咀嚼しようとしていると
「君が初めて魔力提供を行った時の様子も詳しく聞いたんだよ。君は意識して魔力を込めるまでもなく、あっという間にランプを6つも光らせたってね。それと君が最初に光らせたグリフォンの瞳も見事なものだった。あれだけの光を放つくらいの魔力があれば、今の1,5倍の魔力提供量でも君になら任せられると思ってね。むしろ君にしか任せられない。それであればこちらにも大きなメリットが見込めるし、かつ君の今回の要求にも応えられる。どうだろう、やってくれるかな?」
と追い打ちをかけるように頼まれた。ドンノの期待する目と視線が合う。頭の中では君にしか任せられないという言葉がぐるぐると巡っている。
「これは、君にしか頼めないことなんだ。どうだろう、やってくれるかい?」
「…はい。…やります。」
すべてドンノの言う通りだと思った。メリットがなければ変える意味はないし、魔力提供料を増やすこと、それが私にしか出来ないことで私にしか頼めない事だと言われたら、頼られた事が誇らしくて引き受ける以外の選択肢はなかった。何故か鈍く重くなった思考を何とか働かせると、私はいつの間にかこれは絶対に引き受けなければいけないという使命感に狩られていて、頭で考えるより先に肯定の返事をしていた。