転生
眼前にある小さな紅葉ならぬ赤ん坊の手を、自分自身のものだと自覚するのにそう時間は掛からなかった。意識が覚醒していくのにつれて、記憶が蘇ってきたからだ。
私はエマ。前世が大魔導師である転生者だ。それも自ら術を行使し、望んだ形での転生だった。魔術及び転生術研究の第一人者として最期の自分自身を使った実験に、見事成功したようだった。
そうか、これが転生。成功したのか。
覚悟していた事とは言え、やはり皆にもう会えないと思うと何かくるものがあるな。
しみじみと感傷に浸りながら慣れない高い天井を見つめ、前世の大魔導師としての人生について、想いを巡らせていた。
私は人生の大半を魔塔と呼ばれる魔術の研究機関で過ごし、魔術研究や魔術師の育成、魔道具の開発などにその人生を費やした。
魔塔は私の暮らすルーモア皇国で様々な功績を残し、国から政治利用される事は決してなかったが、魔道具開発という人々の生活の発展を助ける重要な役割を担っており、国からは手厚く保護されていた。
魔術研究は私の生きがいであり、魔塔の魔術師たちは志願者2割、私が勧誘した孤児8割だった為、皆家族のように過ごし、晩年は穏やかにやりたい事だけをし、沢山の家族に見守られながら天寿を全うした、そんな私の人生は、概ね幸福だったといえるだろう。
たが、決して幼少期から順風満帆な人生を送ってきたわけではなかった。
私は戦争孤児だった。
最早どのようにして家族を失ったかは覚えていないが、気付いた時には街のスラムで一人ひっそりと生きていた。毎日が空腹だった為、常に食べ物の事しか考えていなかったが、病気にだけはかからなかった。
運だけは良く、何とか一人でも餓死しない程度に生きていけていた。
そんなスラムで暮らす私に転機が訪れたのは、7歳の時だった。
いつものように街を訪れた観光客の雑用をこなし日銭を稼ごうと、大通りの端から往来の人々を眺めていた時、身なりの良い中年の男が声をかけてきた。傍らには無表情の少女が男の半歩後ろに控えていた。
「やあ、お嬢ちゃん。ちょっとした用事を頼みたいんだけどいいかい?」
笑顔で物腰の柔らかい口調に、私は懐疑的な眼差しを返す。
「いいけど。おじさん旅の人?」
「いや、この街には最近越してきたばかりなんだ。」
「ふぅん。悪いけど、一見さんには街の案内くらいしかやってないよ。それでもいいの?」
私は自らの身の安全を考え、顔見知りの街人以外には街のガイドのみを引き受ける事に決めていた。
「もちろん。行きたい店がいくつかあるんだが、何せこの辺は入り組んでるからね。是非案内を頼みたい。」
確かにこの街は入り組んでいて、一度裏路地で迷ってしまえば、簡単には元の道に戻れなかった。だが、そう言って無害そうに微笑む中年男に警戒を解くことはしなかった。
「OK。ただし時間は4の鐘まで。街の外へは出ない。これが条件。」
「ああ、それで構わないよ。」
文字や数字を習う環境が無い平民の為に、どこの街や都市でも定時の知らせとして、現在の時間と同じ回数だけ鐘が鳴る仕組みだった。4の鐘は陽が落ちる一歩手前、平民の仕事終了の合図だった。中年男の終始穏やかな様子に、危険はないと判断し、時間いっぱい働くことに決めたのだった。
中年男の指示通りにはじめは薬草の店から、そして魔石や魔道具の店、食材の店、衣服の店と順番に案内していった。
その道中で中年男は先程話した通り、最近この街に越してきたばかりで、この街から近い所で建てた施設で、何やら研究や実験をするのだと話をした。
引っ越し後の荷物の整理も落ち着いて来たため今日初めて街に出て買い物をするのだとか。
そのような話を話半分に聞きながら、街の中であれば塀に守られて魔物に襲われず、夜も安全に過ごせるのに何故わざわざ街の外で丁度良い物件を借りるのか、どうにも腑に落ちないそれが気にかかっていた。
終始会話には参加しなかったが、付き人のようにぴったりと男の傍に控えていた少女の表情が虚ろで、見るからに身体も満足に栄養が取れていないような状態だったことも気掛かりで、明らかに具合が悪いであろう様子の子供を、体調を気にする素振りもなく連れ歩き、話しかけもせず、まるでいないものかのように振る舞っている。
何の理由があるにせよ、子供をこんな風に扱うこの中年男を信用することは、私には出来なかった。
一通り案内し終わった後、丁度良く鐘が4つなった。
それに気付き代金を徴収するため声を掛けようとしたその時、中年男の傍の少女が、何の前触れもなくパタリと倒れた。
地面にぶつかる軽い体の音が、狭い裏路地に響いた。
突然の出来事で酷く驚いた私が身動き出来ずにいると、中年男が倒れた少女を素早く横抱きにし、
「すまない。この子は体が弱くて。この症状が出た時に飲む薬を今日は研究所においてきてしまったんだ。申し訳ないが時間外料金は払うから、研究所に一番近い街の東門まで案内を頼みたい。」
と必死の形相で頼み込んだ。
額に汗を滲ませながら腕の中の少女を心配そうに抱えているその姿は、今まで疑いの目を向けていた私ですら、この少女は中年男から大切にされている、先程までの街での対応は何か事情があったのでは、と思い到る程に自然だった。
「わかった、こっち。」
懇願する中年男に応えるように小走りで街の東門まで先導した。