姫を攫った魔王は気付けば勇者と結婚する事になっていた
姫がいた。王国の姫であると同時に国王の一人娘であった。
魔王がいた。勇者に惚れていたその魔王は、勇者の婚約者たる姫を許せず連れ去った。
魔王は姫を鎖で吊し上げると、忌々し気に呟いた。
「ああ憎い。恨むぞ王国の姫よ。勇者といえばワタシを倒す事に人生を捧げたいじらしい人間。なのにお前はその勇者と一生を添い遂げるのだという。憎い、ワタシは本当にお前が憎たらしい。
しかしどうだ。お前を攫った。これならば勇者も二度とワタシ以外に目移りすることなどないだろう」
魔王は愉快そうに大口を開けて笑う。
姫をその様を見て、呆れたようにため息をついた。
「まぁまぁ魔王と言えば恐怖の象徴。子供でもその名を聞くだけで泣き出しますのに、正体を見てみればこんなに乙女だったとは。その大きなトカゲのような姿も形無しですこと」
「なに! トカゲだと!? 馬鹿者、ワタシは古き気高き孤高の竜だというのに、そのような侮辱……! このような姫と勇者が永遠に結ばれるなど、やはり許せん」
「その気高き竜が、勇者などという一人の人間に執着して、我が国から離れられないのですから滑稽ですこと……その大きな翼があれば、どこにでも飛んでいけそうですのにね。
わたくしからすれば、勇者の何があなたをそんなに縛り付けるのか理解出来ませんわ」
「なんだと姫。しかしワタシは聞いたぞ、お前たち人間は繁殖の為に共にいるのではなく、愛するから傍に居続けるのだろう。生涯を誓うとはそういうことではないのか」
「そうですわね、きっと多くの人間はそうなんですわ。けれど、わたくしは違いますのよ」
魔王と姫の間に沈黙が流れた。魔王は口を開く気配がない姫にやきもきすると、姫を鎖から解き放ち続きを促した。
「ええい、姫と勇者はほかの人間と何が違うのだ!」
「ふぅ、仕方ありませんわね。喋ってあげます。ところで、ここはお茶やお菓子はないの?」
「むぅ……なんと図々しい。人間の村から奪ったものならあるぞ。勝手に使ってのめ」
姫はこの大きな竜の身体でティーカップを掴めるのかと疑問に思ったが、そこは一国の姫。自分一人だけの茶とお菓子を用意するわけにもいかず、自分の前と竜の前に二人分並べることにした。
魔王はそれを興味深そうに眺めていたが、姫があらかた準備し終えたのを見ると、その大きな尻尾をしならせて話の続きを催促した。
「あなたが先ほど言った通りでしてよ。姫と勇者ですもの。わたくしは一人娘、次にこの王国を担う者。対して勇者は他を圧倒するほどの力を持った人間……わたくしと勇者は所謂政略結婚ですの。勇者がほかの貴族令嬢と結婚しては王家と貴族のバランスが崩れますわ。ましてや他国に行かれては戦争の火種になりかねません。ならば、一人娘で年頃も近いわたくしと結婚させて、この国に縛り付けあわよくば王家に勇者の血を取り入れようと思ってるんですのよ」
「む、むぅ……人間はいろいろなことを考えているのだなぁ……」
「……つまり、わたくしと勇者の間に、愛なんて存在しませんの。まともに話したことすらありませんもの」
「なんだと!? 一大事ではないか!! 姫、お前はそれでよいのか!?」
姫は口づけたティーカップをそのままテーブルに置くと、何度目かもわからないため息をついた。
「魔王、あなたはわたくしが憎いとおっしゃいましたね。わたくしもですわ、わたくしもお前が憎らしい。愛する人を手にするために手段をいとわないお前の情熱が、そしてそれを可能にしてしまうお前の力が……
まともに話したこともない男と結婚して、子を産む……よいわけがありませんわ。でも、これが王家に産まれた者の宿命ですもの。とうに覚悟はできていましてよ」
姫はため息をついた。まるで自分に言い聞かせるようにつぶやくその言葉を聞き、魔王はだんだんと憎いはずの姫が哀れに想われて仕方がなかった。
「でもね、魔王。わたくしはあなたに感謝もしていますの。あなたに攫われて、乱暴だし急だし本当に最悪でしたけど、自分だけで城を出たことなんてありませんでしたの。だから、少しわくわく致しましたわ」
姫の口角があがる。魔王は知っていた。これは、人間の笑顔だと。人間はよく笑う生き物だったと魔王は思い出したのだ。今思いだした理由はほかでもない、目の前のこの哀れな姫が、ずーっとしかめっ面だったからだ。
姫の笑顔を見て、魔王は無性に嬉しくなった。
「良い顔だ姫。お前はもっと笑ったほうがいい。人間はな、笑う生き物なのだ」
「まぁ、初めて言われましたわ。竜は笑わないんですの?」
「う~ん笑うというかなんというかなぁ。竜は群れをつくらないし、竜に会うとみんな怯えて逃げるからなぁ」
「そうなんですの。長年そんな生活でしたんでしょう、寂しくはなくて?」
「寂しいなんて思ったことないぞ。しかし……そうだな、勇者が姫と一生を添い遂げると聞いたときは胸のあたりがとてもモヤモヤしたんだ……もう勇者がワタシに挑みに来ないと思ったらいてもいられず姫を攫ってしまった。すまなかったな」
魔王はペコリと頭を下げる。竜の世界に謝罪なんてものはなかったが、竜である魔王は長年人里を見守っていたことから、人間が謝る時にこうすることを知っていたのだ。
「謝らないでください。わたくしと勇者が結婚するのも、王国に住まうあなたを魔王と言って恐れているのも、すべて人間の勝手なのですから。
ねぇ、ところで魔王、あなたって人間に化けることは出来て?」
「ワタシは出来ないが、そう言えば人間に化けることが出来る指輪があったな。それがどうしたと言うのだ」
「わたくし思いついてしまいましたかもしれませんわ。あなたの、勇者とずっと一緒にいたいという望みと、わたくしの好きでもない相手と結ばれるのは嫌、という願い。両方いっぺんに叶える方法が」
竜は目をまん丸にした。姫はにやり、と笑みを浮かべる。そうしてこの女子二人は、自らの欲望を叶えるための作戦会議を行ったのだ。
そして時は少し経ち、王国の王城へと姫は舞い戻っていた。傍らに見知らぬ少女を連れて。
「国王陛下、ご心配をおかけ致しましたわ。今戻りました」
「おお! 姫よ、怪我はないか? 勇者に嫁入りするお前の身に傷でもついたらこの王家の恥である。今すぐ医師に確認を……む? その傍らの少女は誰じゃ?」
「魔王、ですわ。国王陛下、いいえ。お父様」
見知らぬ少女は国王の側近を文字通り薙ぎ払うと、しりもちをつく国王を見下ろした。何がなんだかわからない、そういった顔をする国王に姫はまるで世間話でもするかのように、朗らかに話しかけた。
「まぁまぁ! 大変ですわお父様、気が動転していらっしゃるのね? ご気分も悪そうだわ……ねぇそうよね、お父様? とても国政を担える状態じゃないわ、ですからわたくしがお父様の体調が良くなるまで、代理を致します。だから安心してお休みになってくださいな」
有無を言わさない声だった。
見知らぬ少女、正体は変化の指輪で人間に化けた魔王は、自身の娘に心底怯えと驚きの顔をしている国王を哀れに思った。しかし、弱肉強食は世の常、命をとられないだけましかと魔王は国王を近くの兵士の元へ投げつけた。
そこからはとんとん拍子で事は進んだ。
姫は国王の行っていた執務を完璧にこなし、数々の政策を打ち出した。全てが成功することはなく、はじめこそ陰口を叩く貴族も多かったが、時には魔王による粛清を、多くは姫の懸命な姿を見て、次第に国王の復帰を口にする者もいなくなっていた。
そんなある日のことだった。
「姫、お前がワタシの『逆らう者は皆殺し』案を却下したときは、いったい統治に何年かかるかと思ったがまさかこんなに早くこの国を手中におさめるとはな。大した奴だ」
「ふふ、手中におさめるなんて言いすぎよ。この国はまだまだ大きく、強くなれる。いいえ、してみせますわ。でもここまでこれたのはあなたのおかげよ、魔王。わたくしの願いは叶いましたわ。あとはあなたの望みだけれど……それももう手を打ってあるの。大広間に勇者を呼んでるのよ」
「な、ななな!? なんだとぉ!? なんで勇者がここに!? そもそもお前、勇者を呼べば来るほど仲良かったのか!?」
「まともに話したこともないわよ、でもわたくしは実質この国で一番えらいんだもの。勇者だって呼んだら来る義務があるわ。それで、呼んだのはほかでもないわ。魔王、あなたには勇者と結婚してもらうの。人間として、ね」
「け、結婚だとぉ……ワタシと勇者が!?」
「これであなたの望みは叶うわ。勇者は永遠にあなたのもの。けれど、魔王だってバレたらそれも叶わないのよ。今だってあなたが魔王だと知るのはほんの一握りの人間だけなんだから。だからあなたは変化を解かずに人間として勇者と暮らしなさい」
「むぅ……まぁ確かに不便はないしなぁ。窮屈だが、それで勇者が手に入るならば……うむ! よかろう、姫よ。ではワタシはさっそく大広間に行っておるぞ!」
「ええ、わたくしももう少ししたら行きますわ」
姫はまるで幼子を見るような暖かい眼差しで魔王の走り去る姿を見ていた。そして一息吐き、後ろを振り返ると、少々冷たく言い放った。
「盗み聞きとはあまりいい趣味とは言えませんね、宮廷魔導士」
「ほっほっほ。あまりにお二人が楽しそうに談笑なさるのでな、邪魔してはと機会を伺っておったのですじゃ」
初老の男性だった。大きく曲がった杖をもち、蓄えられた髭を撫でる。彼は宮廷魔導士をしていた。この国で最も強い魔導士であり、魔王の正体を知る数少ない人間である。
「それにしても流石ですな姫君。まさか魔王と勇者、この二人をこの国に取り込むとは。確かにこの国はまだまだ広く強くなるでしょうなぁ。勇者と魔王がいるとなれば周辺の国への圧力にもなる。二人を結婚させて、その血と力を残せれば尚のこと……」
「……言いたいことはそれだけ? わたくしは大広間に行きます」
「ならば一つ年寄りの戯言を。相手は魔王、人外のものですぞ。そして勇者もまた、人外に匹敵する力を持つ者……飼いならせるなどと思わないことですじゃ」
姫は立ち止まることも、振り返ることもなく歩いて行った。宮廷魔導士はその背をみながら、変わらずひげを撫でている。やはりまだまだ子供……そう思いながら宮廷魔導士もまた、魔道の深淵に至るために自室へと歩を進めた。
時は正午、場所は大広間。
そこには数多くの貴族たちが姫に呼ばれ、立食パーティーを開いていた。そこに、勇者が一人。魔王は人混みからすぐに勇者を見つける。しかし、声を掛けることもできずにただ見守っていた。
何故、魔王は自分に問いかけた。緊張しているのか、いいや、胸は高鳴るが緊張ではない。ただ、見守っているだけで魔王は充分、そう思ったのだ。
「みんな、よく集まってくれたわね」
永遠とも一瞬ともいえる時間、勇者を見守っていた魔王の目は初めて勇者を離れる。そこには姫の姿があった。会場の照明が知らずに姫に絞られ、辺りは薄暗くなる。
「今日は国王陛下が倒れられた事により有耶無耶になっていた、わたくしの縁談について話があります。まず、わたくしと勇者の婚約は破棄させていただきますわ。かわりに、わたくしの友でありこの国一番の女戦士、マオとの婚約をここに認めます」
勇者、次に魔王へとスポットライトが当たる。周囲はざわめきと共に、盛大な拍手を二人へと送った。
そして、光に当たるお互いの目が自然とかち合う。瞬間、魔王は体中の血液が顔に集まったように熱を持ったことを自覚した。初めての感覚に戸惑いが隠せない、魔王は心底自分が情けないと思いながらも、顔を手で覆った。
それからパーティーは婚約パーティーとなった。お色直しと言われ魔王と勇者は別室へと移り、個室で二人は初めて人として対面したのだ。
「はじめまして。勇者なんて呼ばれてますけど、ちょっと剣が得意なだけの冴えない男です。マオさん……でしたか。噂には聞いてました、とても強い女戦士が王宮にいるって」
「そ、そんなことはないぞ勇者! 強さならお前もなかなかのものだろう!」
「な、なかなか、ですか……手厳しいですねマオさんは。あはは」
気まずい沈黙が流れた。
それはそうだ。謙遜してはいるが、勇者は他を圧倒するほどの力の持ち主。しかし相手は魔王、これでも魔王は譲歩した言い方だった。
ギクシャクした二人だったが、それでも迅速にことは進み、魔王は自分の正体を上手く隠しつつ数か月が経った。
そんなある日の事だった。魔王が姫の元に訪れたのは。
いつもは惚気話を聞かされる姫だったが、この日は魔王の様子がいつもとは違う事に目敏く気付いた。何かを思い詰めている……そんな魔王の様子に姫は優しく魔王に声をかけた。
「どうしたの?」
「うむ……実はな……ワタシの正体を勇者に明かそうと思うのだ」
姫は混乱した。秘密裏に監視していた勇者と魔王の仲はいつの間にそんなに悪くなっていたのだろう? 最後の報告では仲睦まじく暮らしていたそうだし、魔王だって多少の不満はあれどかわいい我儘だった。もしや、魔王が勇者に……あるいは逆が飽きたのか? 何にせよ、魔王と勇者、どちらかがこの国から消えては一大事だ。姫は焦り、どうしてそんな事を言うのか魔王に聞いた。
「勇者を……愛してしまったのだ」
姫は完全に頭が追い付かなくなってしまった。魔王が勇者に好意があったのは側から見れば一目瞭然だった。しかしわからない。その想いを自覚して、どうして正体を知らせる結論に結びつくのかが。
「……正体を知れば、勇者との今の関係は終わってしまうのよ?」
「そうだ。ワタシはこの関係を終わらせたいと思っている。勇者を愛しているからこそ」
「はぁ……魔王、あなた少し混乱して冷静な判断が出来なくなっているのよ……勇者には黙ったままでいなさい。そしてじっくり自分の幸せを考えることね」
「違うのだ! 姫よ!」
魔王は勢いよく立ち上がった。近くにいた護衛が身構えるが、姫はそれを視線で牽制する。取り敢えず座るように促し、姫は魔王の考えを聞くことにした。
「勇者と共に過ごした日々はワタシの一生の中でも特別に輝く思い出となった。しかし勇者が……ワタシに好意を伝える度に胸が痛むのだ……勇者の目に映るのはワタシではない。戦士マオなのだ……本当のワタシを知って欲しい。愛しているからこそ、これ以上勇者を騙すような真似は出来ぬ」
ぽつりぽつりと魔王は話す。考えを聞いても、やはり姫には理解出来なかった。欲しいなら、何をしてでも手に入れれば良い。この魔王はせっかく手に入れた宝物をみすみす手放そうとしている。
姫にはやはり、理解出来なかった。
「……話せば、勇者はあなたを殺そうとするかもしれませんわ。それを理解していて?」
「……ああ。何度も自分に問いかけた。悲しいことだが、これ以上勇者に嘘をつき続けるよりマシだ」
姫は迷っていた。
国の事を考えるなら、魔王を何としてでも引き止めなければならない。しかし一人の友人として、この不器用な友が考え抜いて選んだ答えを応援してやりたい気持ちもある。
姫の天秤は国に傾きつつあった。魔王と勇者がいる事は周辺諸国に既に知れ渡っている。しかしその両方がいっぺんに消えてしまったら? 小国である姫の国は蹂躙されても文句を言う術はない。
ふと、姫が魔王を説得しようと口を開いた時。魔王の目に映る自分を見て、姫は魔王とはじめて出会った時の事を思い出していた。
姫の口角は自然と持ち上がっていた。
「魔王、人間は笑う生き物なのでしょう。あなた、そんな顔で勇者に告白するおつもり?」
落とした肩を上げ、魔王は驚いたように姫を見つめていた。
「すまない姫。ワタシはお前が反対するものとばかり思っていた。ワタシが勇者を愛するように、お前はこの国を愛していたから……」
「わたくしがあなたと協力したのは、あなたのその自由な生き方を好いたからでもありますわ。だから約束。笑って勇者に告白なさい。乙女の一世一代の大イベントでしてよ」
その後、魔王はさっそく勇者に話して来ると慌てて出て行った。即行動するその姿に姫はやはり憧れのような感情を抱きつつ、魔王が居なくなっても、しばらくお茶を飲み続けていた。
「ほっほっほ。姫君、どうですかなこの老いぼれとティータイムと洒落込んでみては」
「宮廷魔道士……ふぅ、そうねたまには悪くないかも。
それで? また得意の盗み聞きでしょう? 何か言いたい事があるなら今だけは不問にしますけど」
「ほっほっほ。いやはや、おさまるところにおさまった、と言う感じではないですかな? 姫としては如何ですかかな」
「……魔王を見た時、思い出しましたの。魔王と出会った日の事を。あの日、勇者との政略結婚がお父様から一方的に告げられましたわ。許せない……そう思ったのに……わたくしのしている事が、あの日のお父様と同じだと……気付いてしまいましたの」
姫は静かにため息を吐いた。
「いつか宮廷魔道士……あなたが言っていたとおりになりましたわね。勇者と魔王を……いいえ。他人をどうこう出来るなんて……わたくし思い上がっていたのね」
「ほっほっほ! 破滅する前に気付いただけで大変結構。それに死んでも気付かない者や手遅れになってから気付く者もたくさんおりますじゃ。
さて、では姫様。まずは何を致しますかな?」
「そうね……随分待たせてしまったけれど、お父様のところへ行くわ。休養も充分でしょう。わたくしの考えを、しっかり聞いていただかなくちゃ」
宮廷魔道士は髭を撫でながら、満足そうに頷いた。
それから、魔王と勇者がどうなったかはわからない。一説には殺し合ったとも、仲睦まじく暮らしたとも言われているがどれも噂の域を出なかった。
しかし数年後、王国の女王が若くして民を導き後の世に名を刻まれる事となったとか、王国ではよく巨大な影が王宮に消えていく怪奇現象があったとか、周辺諸国でやたら腕のたつ傭兵夫婦がいただとか……それはまた、別のおはなし。
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