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『E-de-n』 ~葬送の少女天使は《あい》を謳う~  作者: 雨色銀水
第一部「箱庭の向日葵は夕方に咲く」
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3.誰のためでもなく、あなたのために

 レッカとの会話のあと。

 エデンはひとり、職員寮の廊下を歩いていた。


 窓からは薄赤い光が差し込み、リノリウムの床に不思議な模様を描き出している。空調が効いているとはいえ、肌にあたる日差しはどこか鋭い。


 ふう、と息を吐き出し、エデンは足を止める。考えるまでもないことだが、たった数日でレッカのすべてを知れるはずもなかった。あの黒い瞳が何を見ているかも、わたしは知らなかったのに。思い上がりだった。頬を叩き、大きなため息をつく。


「わたし、本当に未熟ですね……なーんにもわかってなかった!」


 言葉を吐き出しても、胸の奥に残るよどみはかき消せない。目を閉じそばの壁に額をつける。冷たくて気持ちいい。だけど、この季節にとっては偽りの温度だ。


「ばかだなぁ」

「誰がばかなんだい」


 突然の反応に、エデンはびくりと壁から額を離す。さっきまで誰もいなかったのにどうして。と思いきや、すぐ脇の扉からぼさぼさ髪の男性が顔を出している。


「何してるの、そんなところで。壁とお話はさすがにちょっとまずいと思うよ」

「れ、レオン先生……なんでここに」

「なんでって、ここは私の部屋の前でしょうが」


 当然のことのように事実を告げられ、エデンはぐっと声を詰まらせる。無意識とはいえ、恩師の部屋の前で落ち込んでしまうとは。何も言えず、エデンはがっくりと肩を落とす。


「別に壁とお話してもいいけどね。何かあったのかい。君がそんなに落ち込むなんて珍しい」

「何かあったというか、そのぅ。ちょっと、どう飲み込めばいいかわからないことがありまして」

「ふむ?」


 相変わらずのぼさぼさ髪の下で、緑の瞳が瞬きを繰り返す。髪の毛さえ整えれば、なかなかにきれいな顔をしているのにもったいない――脈絡もなく考えたエデンに、レオンは静かに手招きをする。


「立ち話もなんだし、ひとまず部屋においで。お茶くらい出すよ……といっても、例のごとくコーヒーしかないんだけどね」

「は、はい。ありがとうございます。すみません、お邪魔します」


 レオンに促され、エデンは部屋の扉をくぐる。


 足を踏み入れた室内は雑然としていた。本棚にはぎっちりと分厚い書籍が詰め込まれ、収まりきらなかった本は床に積み上げられている。見渡す限り、本、ほん、本の山。電子化が進んだ現在で、ここまでの書籍を持っている人は珍しい。


 ベッドの上にまで本が積んである状況に、エデンはぼんやりとした目を向ける。あの状態で、一体どうやってベッドで寝るのだろう。まさか床で……と視線を落とすと、マットレス下の空間に、ミレニア・オーレンドルフの顔写真が見えて変な気分になる。


「適当に座ってよ。今、コーヒー持ってくるから」

「はい」


 適当に、と言われても、テーブルやいすの上にも本が陣取っている。少し考えた末、エデンはいすの上の本を床に降ろし、空いた場所へと腰掛けた。


「で、どうしたの。レッカ君とケンカでもしたかい?」


 レオンがコーヒーサーバーとカップを持って、テーブルへと歩み寄ってくる。独特の苦い香りが室内に広がり、エデンはそっと息を吐き出す。


「ケンカ、ではないです。特に意見がぶつかったとかでもないですし。ただ、わたしがレッカ君の言葉をどう受け止めたらわからなくて」

「世界が終わる、とでもレッカ君に言われたのかな?」


 言いにくかった本題をさらりと言われ、エデンは動きを止める。レオンは唇に不可思議な笑みを張り付けたまま、コーヒーの入ったカップを差し出してきた。


「どうしてわかるんだ、って顔してるね」

「いえ、あの。どうして、わかるんですか」

「ひとまず一口飲んで落ち着きなさい。そんなに特殊な話じゃないから」


 カップを受け取り、エデンは黙ってコーヒーに口をつける。苦味が強く、力強いコクも感じられる。しかし後味はすっきりとしていて、雑味は感じられない。


「おいしいです」

「それは結構。実はコーヒーにはこだわりがあってね。自家焙煎屋で豆を仕入れて、手動のミルでひいているんだ。本当は豆も自分で焙煎したいんだけど、ちょっと時間的に難しい」


 がりがりと頭をかきながら、レオンはいすの本をはたき落として腰かける。おおざっぱにも程があるのでは。思わずジトっとした視線を向けてしまう。


「ミレニア・オーレンドルフ関係の投稿をする時間はあるんですよね……」

「ぶ、な、なんでそれを。ああああ、レッカ君だな! 見たな、見ないで! 忘れて!」

「ファンなんですか? あんなにハート」

「うわわあああああぁ、やめてもう言わないで! あれは私の闇というか裏というか! い、いいじゃないか! 何を好きになる権利は『僕』にだってあるんだよ!」


 レオンは顔を覆ってしまう。私、でなく僕、と言ってしまっているあたり、我を忘れるくらいに動揺しているのか。うんうん唸っている恩師に、エデンは冷静にとどめを刺す。


「そうですね。何を好きだったとしても、レオン先生の頭は鳥の巣です」

「どういう……? 見た目が鳥の巣は人間として終わってるってこと……?」


 これは拡大解釈? 首を傾げるエデンに、レオンは乾いた笑い声を立てる。そのままばたりとテーブルに倒れ込んで、積んであった本をなぎ倒す。


「別にいいんだけどね。どうせ私は鳥頭だ」

「意味変わってますよ、先生」

「わ、わかってるよ……で、それはともかくとして」


 身を起こしたレオンの顔は、いつも通りの落ち着きを取り戻していた。ぼさぼさした前髪をかき上げ、切れ長の緑の目を細める。怜悧な表情に、エデンの背は自然に伸びていた。


「なぜレッカ君が言ったことを知っているかというと、以前、私も聞いたことがあるからだよ。たぶん、来年の今頃は誰もここにいない、みたいな感じじゃなかったかい」

「はい、そうです。レッカ君はそういった、終末論的なものを信じているんでしょうか」

「君はどう思ったの?」

「ええと、あの。はっきりとはよくわからないですけど。普段のレッカ君を見ていると、世界が終わるなんて思っているようには見えなくて」


 いつものレッカは賑やかで明るくて、病気を感じさせないほどはつらつとしている。そんなひとだから、世界が終わるなどという思想に傾倒しているようには思えなかった。


 正直にエデンが告げると、レオンは手の中で自分のカップを回転させる。何か深く思いめぐらせているように、緑の目は手元を見つめていた。


「ふむ。私の意見もエデンとほとんど同じだよ。レッカ君は、別にこの世界が終わるとは思っていない」

「そう、ですか。じゃあ、レッカ君はどうして」

「どうしてかぁ。そうだね。ここから先は私の想像になるけれど、レッカ君が『終わる』と言っているものは、この世界のことじゃないんじゃないかな」


 レッカはこの世界が終わるとは思っていない。けれど、何かが終わると感じている?


 カップを両手で包み、エデンはじっと黒々とした液体を見つめる。言葉にならない何かが、心に重くのしかかっていく。レッカは何を考えて、あんなことを口にしたのだろう。


「当たり前に、終わってしまうから」

「うん?」

「レッカ君の言い方です。わたしにはそんな風に聞こえました。当たり前に終わってしまうから、どうでもいい、みたいに。レッカ君は来年の今頃、誰もいなくても関係ない――」


 言葉にしてみて、はっとした。何かの予感とともに顔を上げ、レオンを見つめる。


「どうしたんだい」


 レオンはわずかに笑って、カップに口をつける。恩師は自ら答えを与えようとはしない。エデンは頭に浮かんだ答えに戸惑いながらも、言葉を唇にのせる。


「もしかして、レッカ君は……来年の今頃、自分はいないって思って」


 語尾が震えた。すがるようにレオンを見ても、否定の言葉は出てこない。エデンは胸に手を当てる。なぜだろう、胸の奥がずきずきと痛む。


「レオン先生、嘘ですよね。レッカ君はあんなに元気なのに、どうして」

「そこまで驚くべきことではないと思うけどね」


 レオンは静かにカップを置いた。緑の目に浮かぶ感情はどこまでも平らで、悲しみも苦しみも痛みさえも感じられない。


「レッカ君、彼の症状は非常に特殊なものでね。全身がガラス状の結晶に侵食されるというものだ。世界で他に症例報告はなく、現時点で有効な治療法もない」

「不治の病、ってことですか」

「簡単に言えばそうなる。ガラス化した患部を切除するなど、考えうる限りの処置を行った。だが、病巣は全身に広がっていき、今となっては手の施しようがない状態だ」


 レオンは淡々と、レッカの現状を語る。確かに、レッカの腕にはガラスの花のようなものが輝いていた。奇妙には感じたが、それがレッカの命を奪うものだとは。


「なんとかならないんですか? いろんな薬とか、試せるものはきっとありますよね?」

「希望ならいくらでもあるって言ってあげられるよ。しかし医師としては、これ以上の治療は患者の苦痛にしかならないと考えている」


 目頭が痛い。遠くない未来にいなくなってしまう人のことを思うと、やり切れなさが心を苛んだ。レッカは笑っていた。自分に訪れる未来を知りながらも、笑っていた。


「わたしに何ができるんでしょうか。レッカ君のために、何が」


 レッカのためにできること。考えたところで、出てくるのは変わり映えのしないものばかり。楽しくゲームをするとか、一緒にご飯を食べるとか。当たり前に出来そうなことですら、不可能だと言われてしまう。


「何もしなくていい。今のままでいいんだ」

「だって、それじゃ! あんまりにも寂しい」

「エデン」


 レオンは指先でエデンの額をつついた。細められた瞳には、少しだけ悲しい色が浮かんでいる。納得できないのは同じだと、むしろ医師であるからこそ、無力を感じているのだと、緑の目は語っていた。


「何も今までと変わらなくていいよ。ただそばにいて、いつも通り笑ってくれる。たぶんレッカ君に必要なことはそれだけなんだ。もしレッカ君が悩んだり苦しんだりしていたら、話を聞いてあげなさい。エデン、君にできるのはそれだけだけど、それは君にしかできないことだよ」


 たとえそれが何にもならなくても、良いっていうんですか?


 唇を震わせても、それだけは言葉にできなかった。レッカにとって、エデンの存在自体がごまかしでしかない。


 言葉をかけるだけでいいなんて、嘘だ。

 本当の意味でレッカを救えないなら、どんな言葉も耳障りが良いだけの、まやかしだった。


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