表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『E-de-n』 ~葬送の少女天使は《あい》を謳う~  作者: 雨色銀水
第二部「永遠よりも美しき、この一瞬を」
18/32

9.そして、舞台の幕は下りて

 ステージに押し寄せる歓声が、遠くなっていく。


 エデンは観客席から抜け出し、ミレニアの姿を探した。楽屋の扉を開いても、そこには紫色のカトレアが咲いているだけで――ミレニアの姿はどこにもない。


 きょろきょろと周囲を見渡したあと、エデンは扉を閉める。ここにいないとしたら、どこに行ったのだろう? 廊下を小走りにかけ抜けながら、エデンはふと思う。


 昨日渡した薬の効果は確かにあったようだった。そうでなければ、あんな風に激しく歌い踊ることなどできない。あの薬さえあれば、まだミレニアは生きていられる。再び舞台に上がることだってできるはずだ。


 並べられた舞台機材の間を抜け、エデンはひとつの扉の前に立った、それはドーム裏の庭園に続く扉で、ステージ終了直後の時間なら人気もほとんどない。


 少し考えたあと、エデンは庭園に続く扉を開く。ミレニアがいるかどうかはわからないが、確認する時間くらいはある。スチール製の扉を押し開け、短い廊下を駆けて行く。


「……あ」


 金色に彩られた木々が、幻想的に輝いている。視線を挙げれば、梢に吊り下げられたランプが等間隔に並んでおり、小道を優しく照らしていた。温かみのある色合いのライトがきらきらと光の粉をまき散らし、歩むたびに音もなく舞い上がる。


 そんな美しい光景の中に、ミレニア・オーレンドルフは佇んでいた。炎のように赤い髪を風になびかせながら、身に纏うドレスの裾を軽くつまむ。誰もいない場所であらゆるものに感謝をささげるような姿に、エデンは声をかけることもできずに立ち尽くす。


「やっと、ここまで来られたのにね。残念だわ」


 長い静寂を破り、ミレニアはそんな言葉を口にした。エデンが答えを返せずにいると、ミレニアは軽い動作で振り返り、優雅にお辞儀する。


「この度はミレニア・オーレンドルフのラストステージにお越しいただきありがとうございます。……なーんて、ね」

「ミレニアさん。もう、驚かせないでくださいよ」


 エデンは唇を尖らせる。良かった、昨日よりも元気そうだ。内心ほっとして、エデンはミレニアに歩み寄る。


 ミレニアはいたずらっぽく笑って、金色の梢を見上げた。夜の空に浮かび上がる木々は、この世のものではない美しさを放っている。その光景の真ん中にいるミレニアもまた、幻想世界の住人のように現実味がない。


「ふふ、ごめんなさいね。ライブのあとだからちょっと気が抜けちゃって」

「ほんとうにお疲れさまです、ミレニアさん。ライブ、とても素敵でした」

「ありがと。楽しんでもらえたなら嬉しいわ」


 ミレニアの声は少しかすれていた。歌い続けたせいで疲れているのかもしれない。隣に立ったエデンは、なるべく元気な声で話しかける。


「ミレニアさん、ここで何をしていたんですか? 楽屋にいないからびっくりしましたよ」

「ん? ああ、少し風にあたりたかっただけよ。あと、ちょっと考えたいこともあって、ね」


 曖昧に言葉を切って、ミレニアはゆっくりと小道を歩き出す。舞うような足取りは、いまだに彼女が舞台に立っているかのように見せていた。続いて歩むエデンは、声をかけようとしてすぐに口をつぐんだ。


「ねえ、エデン」


 ミレニアが笑う。それは、カトレアのように華やかで魅力的な笑顔だった。限りなく美しいのにどこか寂しげな笑い顔に、エデンは本当に何も言えなくなる。


「あたし、誰かのために歌えていたかしら」


 ミレニア・オーレンドルフは、多くの人の胸に光を灯していた。あのステージを見れば、誰だって目を奪われる。だから、ミレニアは人のために歌えていた。そのはずだった。


 それなのに、ミレニアの目には光るものがあった。まるで何かを悔いるかのようなまなざしで、どこか遠くを見つめている。


「ミレニアさんの歌にみんな心動かされていました。だからきっと」

「そうね、わかっているわ。だけどね、あたし……ちょっと失敗しちゃったわ」


 顔を両手で覆い、ミレニアは小さく肩を震わす。どうしてあなたが悲しんでいるの? 変化の理由がわからず、エデンは思わず手を伸ばす。


「ミレニアさ」

「触らないで!」


 強い拒絶に、エデンは伸ばした手を引っ込める。困惑したまま、触れられなかった指先を見た。どうしたの、ミレニアさん。再び前を見ると、歌姫は苦しげに呻く。


「ごめんなさい……だけど、あたしに触れちゃだめ」


 ミレニアは大きく息を吐き出し、エデンから距離をとった。どうして? 小さく呟くエデンの前で、ミレニアは顔から手を外す。


「……こんな風になるなんてね。エデン、あたしの顔、まだ見えてる?」


 エデンは悲鳴を飲み込んだ。ミレニアの赤茶色をした美しい左目が――輝く花に変わっていた。降り注ぐ金色の光を受けて、薄紫をした結晶は美しく輝く。


 混乱しながら視線を動かせば、ミレニアの喉元からも複数の結晶が顔をのぞかせていた。繊細なガラス細工のようなそれは、命を奪う毒花。激しくせき込みながら、ミレニアはその場に膝をつく。


「どうして……! ミレニアさん、あの薬を飲んだんじゃないんですか!?」


 駆け寄っても、手を伸ばすことはできなかった。輝くかけらはミレニアの全身を侵食していこうとしている。涙のように目からかけらを降らせ、ミレニアは笑う。


「ごめんなさいね、エデン。あたし、意外と根性なしだったみたい」

「どういうことです?」

「……これ」


 ミレニアは懐から青く輝く薬瓶を取り出す。中の液体は以前と変わらずそのままの状態で、エデンは意図が掴めずビンを見つめるしかない。


「ミレニアさん、どういうことなんですか」

「あたし、この薬飲めなかった。エデンのことを疑っていたわけじゃないの。だけど……先生に言われたのよ。その薬を飲めば、命は取り留めても二度と歌えない、って」

「え……?」


 どういうこと? ミレニアの言う『先生』は、レオンのことなのか?


 エデンはさらに混乱する。レオンはこの薬が危険なものだと判断した――のか? だとしたら、アサギはやはり噓をついていた? いや、わからない。どういうことなのか。


 だが、どちらの意見にも共通しているのは、命だけは守られるということだ。エデンは膝をつき、ミレニアに訴えかける。


「ミレニアさん、今からでもその薬を飲んでください! せめて、命だけでも」

「ふふ、だぁめね。もう、喉が」


 ミレニアの口元から血のように結晶が流れ落ちる。もうほとんど右目も見えていないのだろう。ミレニアはふらふらと視線をさまよわせる。


「……エデン。アステルはいないわよね」

「アステルさん……呼んできます! すぐに!」

「いいの。やめて」


 ふらつきながらも、ミレニアは立ち上がった。そして結晶化した指先を横にすっと伸ばす。


「エデン、お願い。笑ってよ。そして、ミレニア・オーレンドルフの最期を、見届けて」


 振り返れば 優しい言葉

 かけてくれた 記憶疼く

 けれど今では 届くことなく

 遠ざかる背中だけ 見送った


 温もり知ることなければ

 残された日々に また

 立ち止まること 出来たのに


 なぜ大切なものばかり 失ってしまうのだろう?

 幻でも美しい幼き夢よ

 痛みでも消せぬ想い

 愛すればこそ誰もが……恋しいほどにbreath less


 ミレニアは歌い踊った。ステージ上と寸分たがわぬ動きで、その体にガラスの花を咲かせながら。命を燃やし尽くすような凄絶な姿に、エデンの目に涙があふれる。


「やめて……もう、やめてください……!」


 エデンの悲鳴は届かない。ミレニアは最後に続くステップを踏む。すでに体の大半は結晶に代わり、その姿はガラスの偶像のようだった。儚げでありながら残酷なまでの輝きを放ち、ミレニア・オーレンドルフは歌い続ける。


 頰に触れて手のひら去って

 残される温かな記憶


 なぜ愛しさは切ない嘘で 誤魔化されてしまうの?

 硝子砕けカケラ刺さるよ

 傷ついても忘れられない

 君こそ私のすべてと知って……苦しいほどにbreath less


 ミレニアの指先がエデンを示す。歌姫は、止まっていた。全身を輝く病巣に冒され、もう二度と動くことも叶わない。それでも最後に残った右目だけでエデンを見て、そっと別れの言葉を紡いだ。


『あいしてるわ、エデン』


 砕け散る。多くの呼び声にも振り返らず、ミレニア・オーレンドルフは去っていった。


 エデンは呆然とミレニアだった結晶の破片を見つめた。ミレニアはもういない。理解が追い付くより先に、足元にあの薬瓶が転がってくる。


「ミレニアさん」


 薬瓶を手に取ると、まだ少しだけ温かかった。確かにミレニアが存在した記録――わずかばかりのそれを、エデンは強く抱きしめる。


「ミレニア、さん」


 どこに行ったんですか? わたし、まだあなたにちゃんとお礼も言ってないのに。


「う、っ……あ」


 ほおが震える。だめだ、泣いちゃだめだ。ミレニアは、『ミレニア・オーレンドルフ』として去っていったのだから。伝説の歌姫を涙で見送る人がいていいはずがない。


「ミレニアさん、わたし。わらえてますか?」


 いくつもの涙が零れ落ちて、エデンの顔はぐちゃぐちゃだった。鼻をすすり上げながらも、必死で口角を持ち上げ笑顔を作る。はた目から見れば無様な姿だっただろう。それでも、ミレニアに泣き顔だけを見せたくはなくて。


「……ミレニア?」


 不意に、背後から声が聞こえた。のろのろと振り返ると、そこに立っていたのは灰色の髪の男性――アステルだった。


「エデン、ミレニアは……ミレニアは、どこだ」


 何かの予感を感じたのか、アステルの目は結晶の残骸だけをとらえていた。エデンは首を横に振ると、誰にも言いたくなった言葉をそっと告げた。


「その結晶が、ミレニアさんです」

「は? 何を言ってる? さてはあいつ、またふざけているな。少し調子が良くなったと思ったらすぐこれだ。あとで文句を言っておかないと」


 エデンの言葉を否定するように、アステルは早口でまくし立てる。認めたくないなら目をそらせばいいのに、アステルはずっと結晶を見つめていた。


 きっと、アステルには何もかもわかっている。ミレニア・オーレンドルフが本当の意味で舞台を降りたことを。そして――最期の瞬間に自分を選ばなかったということも。


「アステルさん、ミレニアさんはいないんです」

「やめろ」

「もうどこにも……わたしたちのそばには」

「やめてくれ」

「わたしはミレニアさんを助けられなかった……!」

「やめろって言ってるだろ!」


 アステルは叫び、ミレニアだったもののそばで崩れ落ちた。エデンはただ、傍らに立ち続けることしかできない。こんな時ミレニアだったら、どう言ってくれただろう?


「これからだったんだ、あいつの夢は」

「アステル、さん」

「おれの夢はただずっと、ミレニアの歌を聞いていたい。それだけだったのに」


 ふたりっきりにしてくれ。そう短く告げたきり、アステルは動かなかった。エデンは少しの間で小さくなってしまった背中に、一礼をする。


 これ以上、何を言えるというのか。二人に背を向け、エデンは庭園の小道から歩き去る。途中、出入り口に黒い男が立っているのが見えた。しかし、エデンは無言で通り過ぎていく。


「無様だな。いい加減、お前には誰も救えないと知るべきだ」


 黒い男――アサギの言葉は痛烈な皮肉となって、エデンの胸を刺す。だがもう、エデンの顔に涙はなかった。決然と顔を上げ、かなしみの凝る庭園を後にする。


「ええ。確かに無様です。どんなに手を伸ばしても、誰も救えないって理解しても。それでもわたしは、誰かを救いたい。そう願うことだけは自由ですよね」


 アサギの答えはなかった。それでも構わない。この想いに、誰かの承認は必要ない。



 ――翌日、ミレニア・オーレンドルフの逝去が伝えられる。

 その早すぎる死に、多くの人が感謝と哀悼を捧げたという――。



 第二部「永遠よりも美しき、この一瞬を」~了~


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ