(5)風さん
13時に(4)(5)投稿しました。
おばば様に“力持ち魔法”と“洗濯魔法”のことを話したら、「聞いたことも無い魔法だ」と首をひねっていました。
そして、カリンが洗濯の仕事が好きだと言うと、洗濯や掃除をしてお給金をもらえる仕事も有ると教えてくれたのです。
「小間使いだね。侍女と違って、ご主人様の身の回りの世話よりも、洗濯や掃除なんかの下働きをする仕事だよ。
お城の小間使いなんかになったら、きっと洗濯物も掃除する場所も山ほど有って、毎日洗濯と掃除に明け暮れるんだろうね」
おばば様はそう言って、うんざりしたような顔をしました。
⎯⎯小間使い……良いかもしれない。けど……。
「王都のお城……か」
少なくとも、今のカリンにとってはあまり近づきたくない場所です。
おばば様の話に出てくる貴族様は、カリンには親切にしてくれそうにありません。
水をお湯にする魔法については、その後も試行錯誤を続けていましたが、なかなか良い考えが浮かびません。
少しめまいを感じて、魔力を使い過ぎたことに気づいたカリンは、井戸の脇に椅子代わりに置いてある大きな石に腰かけました。
⎯⎯あきらめて、魔法学院で教えてもらうまで我慢するしか無いのかしら?
でもここまでが上手くいっていただけに、あきらめるのも悔しい気がします。
うーんと唸っていると、近くで魔力が動く気配がしました。
「風さん?」
思わず口に出してつぶやいてしまってから、カリンはそっと周りを見回しました。
すぐそばに、まるで小さな光る風のような、普通の目には見えない魔力の塊がいました。
いつも、まるで野生の動物のように少し離れた所からカリンの様子をうかがっていて、カリンがそちらを見ると、すぐに逃げて行ってしまうのです。
気がつくといつのまにかそばにいるので、嫌われているわけではないと思うのですけれど。
この不思議な存在のことを、カリンは“風さん”と呼んでいました。
カリンが観察していると、風さんはしばらくふわふわとただよい、溶けるように消えていきました。
少し前、カリンは風さんに助けてもらったのです。
◇◆◇◆◇
カリンの魔力感知のレベルが7になったのは、少し前のことでした。
その時、カリンの世界は変わったのです。
それまで見えなかった、感じなかった様々なものを感じとることができるようになりました。
カリンの世界が一気に広がったのです。
人の魔力をみれば、その人の感情の動きや健康状態まで⎯⎯怒っていたり喜んでいたり、痛かったり痒かったり⎯⎯顔に出していないことでもわかります。
物に残った“残留魔力”⎯⎯誰が持っていた物か?⎯⎯まで読み取れます。
小さな動物や鳥や虫、草や木まで、一匹一匹、一本一本の魔力の違いがわかるのです。
感知できる範囲も広がりました。
それはカリンに一気に襲いかかってきました。
突然の情報の氾濫に、カリンの頭と体が悲鳴を上げました。
大量の情報を受けとめられなかったのです。
激しい頭痛とめまいに倒れそうになった時、助けてくれたのが風さんでした。
急に音が聞こえなくなったような気がしました。
静かになった自分と自分の周りを確認して、音ではなく魔力が伝えてくる情報が無くなったのだと気づきました。
酷かった頭痛とめまいがかなり楽になっていました。
⎯⎯何が起きたんだろう?
周りを確認してみると、自分の周囲が薄い魔力の壁のような物で完全に囲まれています。
そして、その壁には感情というか、意識のようなものがあるように感じられるのです。
⎯⎯この壁、生きてるの?
最初は魔物なのかと思いました。
おばば様の話に出てきた、風の中を漂う魔物は、たしかゴーストという名前だったでしょうか。
⎯⎯あの時はおばば様の怖い話に引き込まれて泣き出す子供たちがたくさんいて大変だったわ。
ニールも涙目になっていたわね。
しかし、ゴーストという魔物は出現する場所がかなり限定されていて、こんな昼間の村の中には出てこない魔物だったはずです。それにこの壁の持つ魔力は魔物のものだとは思えませんでした。
カリンに対する敵意が感じられないのです。
壁からは温かい魔力を感じました。
おばば様や村長さんやヘレンから感じるものによく似ています。でも、1番似ているのは……。
カリンはいつの間にかペンダントを握りしめていました。
ペンダントにどこか似た温かさをこの壁から感じるのです。
⎯⎯私の敵ではない。というより助けてくれたのよね。
今はまず、あの頭痛とめまいを自分でどうにかすることを考えなくてはならないでしょう。
それが出来なければ、ずっとこの壁の中にいなければなりません。
いや、この壁もいつまでここにいてくれるかわかりません。
⎯⎯お願い。もう少しこのままでいてね。
スキルボードを見てみると、魔力感知のレベルが7。魔力操作のレベルは3でした。
今朝確認した時と違うのは、魔力感知のレベルが7に上がっていたことです。
⎯⎯今回、初めて魔力感知と魔力操作のレベル差が4つになったということね。
魔力操作のレベルを上げれば良いのかしら?
でも、それはけっこう難しいことだと、カリンにはわかっていました。
訓練で、魔力感知は上がりやすいのに、魔力操作はなかなか上がらないのです。
魔法学校できちんと学ばずに勝手に訓練していたせいなのでしょうか?
⎯⎯おばば様が心配していたのは、こういうことだったのね。
後悔しても、今となってはもうどうにもなりません。
自分で切りぬけるしかないのです。
⎯⎯この壁と同じような物を、自分で作ることが出来れば良いんじゃないかしら。
魔力の壁⎯⎯は無理でも、膜なら……。
カリンは自分の体全体を薄く魔力の膜で覆ってみました。
何度か失敗しながら、なんとか全身を覆うことができました。
「よし。心の準備も出来たわ。少し離れてもらっても良い?」
カリンが、通じるかどうかわからないと思いながら周りの壁に声をかけてみると、壁(?)は返事をするように1度フワッと光ると溶けるようにすうっと消えました。
とたんにまた一気に押し寄せる情報の波にカリンは打ちのめされました。
⎯⎯何これ……もう、もう、もう⎯⎯うるさーーーいっ!!
⎯⎯1度にたくさん入って来ないでっ。
私の魔力でできた膜ならもっと頑張りなさいよっ。
さっきの壁みたいになれっ!
頭痛と戦いながら魔力の膜に念じていると、無意識に握りしめたペンダントが温かくなりました。
⎯⎯あなたも私を助けてくれるの?
必死に念じていると、ものすごく大きな音が少しずつ小さくなっていくように、入ってくる情報の量が少しずつ減っていきました。
⎯⎯もう大丈夫……かしら?
頭痛もめまいも感じないところまで情報量を減らすことに成功すると、カリンはほっとため息をつきました。
いつの間にか、着ている物が汗でグショグショです。
スキルボードを確認すると、いつのまにか魔力操作のレベルが4になっています。
周囲を見回すと、少し離れたところに、さっきの壁と同じ魔力の塊が心配そうにふわふわと漂っていました。
「助けてくれてありがとう」
カリンがお礼を言うと、フワッと光って、すうっと消えてしまいました。
⎯⎯壁……というより風みたいね。
その日から、カリンが“風さん”と呼ぶようになった不思議な存在は、気がつくとカリンの近くにいるようになりました。
でも、すぐそばまで寄ってくることはなかったのです。
◇◆◇◆◇
その後、カリンの魔力の膜はまだ不安定で、カリンは今まで以上に人がたくさんいるところを避けて、村はずれのおばば様の家に入り浸るようになりました。
そして、風さんの正体は謎のままです。
なんだか最近は人に懐くようになった森の動物のようで、かわいいと感じるようになっていました。
さて、苦労していた“水をお湯にする魔法”ですが、その後、じつにあっさり解決してしまいました。
「このお水をお湯にしてください」と魔力に念じてみたのです。
すると、苦労したのが嘘のように、水の温度はどんどん上がっていって――――。
「あちっ」
あっという間に手を入れていられないぐらいの熱湯になってしまったのです。
⎯⎯それで良いの?
追いつめられたカリンが叫んだら、カリンの魔力が本当に頑張ってくれたので、もしかしたらとは思ったのですが……。
魔力はカリンのお願いを聞いてくれました。
そういえば、単純に“お湯にして”とは願ってなかったような気がします。
⎯⎯お願いを聞いてくれる……。私の中の魔力って、もしかしたら私とは別の“生き物”なの?
この時、カリンは初めて、魔力というものについて深く考え始めたのでした。