(22)小さな傭兵
森に近い集落から、人々が避難を始めました。
公爵の城へ向かう兵士たちの隊列を見かけた老婆が、村人たちに魔物の恐ろしさを語り、避難を呼びかけたのが始まりです。
その時は馬鹿にしていた若者たちも、家族そろって逃げ出す者たちが出るようになると、ソワソワし始めました。
必要最低限の荷物だけを持って、急いで出立する者。
家財道具を荷車に積み上げる者。
あわてる人々を馬鹿にして残ることを選ぶ者。
病人を抱え、逃げることもできず、不安に震える者。
街道に避難する人々がポツポツと見え始めました。
彼らは近くの城塞都市を目指しているのです。
でも、マーサたちは追われる身です。そこに逃げ込むことはできません。
知らず知らずのうちに、キャリーの手を握るマーサの左手に力がこもります。
西の国境へ。
そこを目指せと奥様に命じられました。
小さな女の子を連れて、そこまでたどり着けるのでしょうか?
肩にずっしりと感じるのは、荷物の重みだけではありません。
不安そうに見上げるキャリーに、マーサは優しく微笑み返しました。
やらねばなりません。
命に変えても⎯⎯いいえ、自分の命も簡単に捨てるわけにはいかないのです。
⎯⎯お嬢様を安全なところに送り届けるまで、できれば幸せを見届けるまで、私は死ねない。
マーサは遠い西の空をまっすぐに見つめていました。
その日の夜は避難する人たちと一緒の野宿になりました。
季節は秋。冷え込む夜を乗り切るために、火が焚かれています。
マーサは、焚き火の周りに集まる人々から少し離れた、炎の明かりが届かないところで休むことにしました。
自分たちの正体を他人に知られるわけにはいきません。
それに、以前狩人をしていたという年老いた下男に聞いたことがあるのです。
『魔物は焚き火を目印に襲ってくる。
そこに人がいることを、奴らはよく知っているからだ』
幸い、いざという時のためにしっかりとした野営の道具を揃えてありました。
保温効果の高い外套、薄手なのに暖かい毛布。
敷物の四隅には結界の魔道具。
この魔道具と2人が身につけた指輪の効果で、魔物たちから見つかり難くなるのです。
どれも奥様の助言で揃えた物。お金も奥様が出してくださったのです。
あの方は、もしかしたらこうなる未来を予知していたのでしょうか?
疲れていたのでしょう。
キャリーは毛布にくるまると、すぐに寝てしまいました。
焚き火の方では、男たちが火の番を兼ねた見張りの順番を決めているようです。
見張り以外が寝てしまう頃には、マーサもキャリーを抱きしめたまま、うつらうつらと睡魔に身を委ねていました。
明け方近い頃⎯⎯
ォォオオオォォーーーン!
遠くから聞こえた遠吠えに、マーサは叩き起こされました。
狼の魔物でしょうか?
聞こえたのは城の方角だったように思います。
城を落とした兵士たちと魔物との戦いになっているのかもしれません。
焚き火の周りの人々も、不安そうにざわめいています。
マーサとキャリーはあわただしく保存食で食事をし、手際よく荷物をまとめて出発しました。
今日は、避難する人々が目指している城塞都市の辺りまで行くのが目標です。
◇◇◇◇◇
たどり着いた城門は閉じられていました。
もう日が沈んでいます。
城門が開いている時間を過ぎているのです。
避難者たちの代表が城門の上の兵士と交渉していましたが、今日はもう、門が開くことは無さそうです。
皆、城門脇で夜を過ごし、明日の開門を待つことになりました。
今夜は自分たちも皆の近くで夜を過ごすとマーサが言いました。
魔物は、武器を持った兵士たちを警戒するはずだと言うのです。
避難者たちは少しホッとした様子で、顔色が明るくなっているのがわかります。
朝になれば、安全な場所に逃げ込めるからです。
でも、明日門が開いてもキャリーたちは中に入れないのだとマーサは言います。
はしゃいで親に優しく窘められている子供を見て、キャリーの胸の中がなんだか少しモヤモヤしました。
「ひっ……」
目が覚めると、すぐ目の前に誰かの顔があって、キャリーは悲鳴を上げそうになりました。
「やっと起きたか、泣き虫おチビ」
キャリーの寝顔をのぞきこんでいたらしい人物は、体をおこすとニッと笑いました。
子供です。
キャリーをチビ呼ばわりしていますが、本人もけっして大きいとは言えません。
12歳ぐらいの少年です。
少しほつれた、煤けたようなローブをまとい、ローブのフードを目深に被っています。
辺りはまだ薄暗い時間ですが、下から見上げたキャリーには少年の真っ白な歯とキラキラ悪戯そうに輝く瞳が見えました。
避難者の中に、こんな男の子がいたでしょうか?
「ほら」と手渡され、とっさに受け取ってしまった手拭いは、湿っていました。
「水魔法で湿らせたんだ。それで顔を拭け」
⎯⎯そういえば、さっき“泣き虫”って……。
あわてて手で触れた顔には、涙のあとがありました。
⎯⎯あんなに近くで知らない男の子に泣き顔を見られてしまったわ。
キャリーは急に顔が熱くなりました。
子供のぐずる声が聞こえて、そちらを見ると、キャリーと同じくらいの年頃の女の子が親に起こされているところです。
なんとなくぼうっとながめていたら、頭をポンポンと撫でられました。
あの少年がとても優しい目で見下ろしていました。
「そんな顔をするな。ちゃんと守ってやるから。
こう見えてけっこう強いんだぜ
⎯⎯⎯⎯俺の仲間たちは」
誰かに呼ばれてそちらに向かう少年の後ろ姿を見て、キャリーは驚きました。
背中に、大人が持つような立派な剣を背負っていたからです。
キャリーは剣がとても重い物だということを知っています。
マーサと一緒に護身術を習った時、短剣を持たせてもらったことがあるのです。
重くて、キャリーには持てませんでした。
若い兵士が剣の重さによろめくのを見たこともあります。
自分が持てなかった短剣よりもはるかに長く立派な剣を背負っているのに、少年はまるで重さを感じていないように見えました。
荷物を手早くまとめると、マーサが少年と彼の“仲間”を紹介してくれました。
仲間は2人とも大柄な戦士でした。
見上げるような大男でお顔が恐いけれど、目と声が優しい槍使いのウォルさん。
背が高くて細身で、いつも笑顔だけれど細められた目が時々怖く見える、弓使いのエクさん。
少年は“リーダー”と名乗りましたが、2人からは“坊っちゃん”と呼ばれているようです。
キャリーは少年がもうすぐ15歳になると聞いて驚きました。
3人とも渡りの傭兵で、マーサがお金で雇った護衛だと教えられました。
“渡りの傭兵”とはどこの組織にも属さず、文字通り、あちらこちらを渡り歩いて、お金で危険な仕事を請け負う戦士のことを言います。
目印は腕に巻かれた青い布。
その由来は、傭兵に助けられた娘さんが彼の腕の怪我を手当てしたエピソードからきています。
娘さんは着ていたドレスを破いた青い布で腕の怪我の血止めをしたのだそうです。
3人とも、左の二の腕に青い布を縛っていました。
城門の辺りで叫び声が聞こえました。
見ると、避難者たちが城門の兵士たちに向かって、何かを必死に訴えているようです。
「やはり門は開きませんね」
エクさんが、冷めた声で言いました。
彼らに向ける細い目は、ひどく冷たく見えました。
マーサを見上げると、つらそうな顔をしています。
キャリーに説明してくれたのは少年でした。
「さっき、公爵の城の方から援軍を求める信号が上がった。
あれは城を落とした部隊の物だ。
奴らは魔物に負けたんだ。
きっとこの街からも見えただろう。
おそらく、この街は避者を受け入れないと決めたのさ」
少年の顔を見上げると、彼はしかめっ面で城門の騒ぎを見ていました。
「援軍が駆けつけるまで、籠城することに決めたんだろう。
この国には、魔物との戦いかたを知る兵士は多くない。
食糧、水、薪などの備蓄は限られている。
外からの余計な人間を抱えるわけにはいかないんだろうさ」
昨夜、はしゃいでいた女の子が泣いているのが見えました。
「行くぞ。こちらに向かっている魔物もいるはずだ」
キャリーたちは騒ぎを振り切るように、西に向かって出発したのです。