(21)カロライン
残酷なシーンがあります。
ご注意ください。
左右違う色の瞳を“祝福の瞳”と言います。
そしてそれを持つ者を“精霊の愛し子”と呼ぶのです。
“祝福の瞳”を持つ者は多くの精霊たちに愛されると、人々は信じています。
それは“祝福の瞳”を持つ者が例外無く大きな魔力を持っているからです。
絵本には、“精霊の愛し子”の住む場所は多くの精霊たちによって守られ、栄えると書かれていました。
でも⎯⎯。
⎯⎯絵本は嘘だったの?
マーサに手を引かれて必死で歩く、小さなカロラインの後ろでは、遠くに公爵家の城から火の手が上がるのが見えました。
◇◇◇◇◇
じつは、カロラインがあの城の中を見たことは一度もありません。
カロラインは“幻の公爵令嬢”、“隠された公爵家末子”と噂される存在でした。
カロラインの母親は小間使いでした。
酒に酔った公爵の、ただ一度の過ち。
そのただ一度で小間使いが身籠ったことはすぐに判明しました。
この世界には、妊娠の有無を判定する魔法や魔道具が存在するのです。
大きな魔力を持つ子供を出産する場合、母親の魔力が小さいと母体への負担が大きくなります。
魔力をほとんど持たない平民の小間使いが、国で一番魔力が大きいと言われる“祝福の瞳”を持つ公爵の子を産む。
命がけどころか、命を捨てるようなものです。
公爵はじめ関係者は、小間使いに子供をあきらめるように説得しましたが、彼女は産むことを希望しました。
自分の出世に目がくらんだわけではありません。
彼女は、嫁入り先から離縁され、実家にも戻れず、小間使いになった女性でした。
離縁の理由は子供ができなかったことです。
今回子供を堕胎したら、おそらくもう2度と子供を授かることは無いでしょう。
だから命を懸けても生みたいと言うのです。
彼女の思いは誰にも止められませんでした。
伯爵家は万全の体制でお産に臨み、そして、彼女は言葉通り自分の命と引き換えに、女の子を産みました。
女性は赤ちゃんの顔を見ることも無く息を引き取りました。
産声を聞きながら微かに笑みを浮かべていたと言います
女の子はすぐに、信頼できる侍女を付けられ、森の中の離れ屋敷に隔離され、そこで育てられることになりました。
銀の髪。青と琥珀の“祝福の瞳”。
父である公爵から全ての色を受け継いだ女の子はカロラインと名づけられ、人々の目から隠されたのです。
物心がついたカロラインは、自分はお父様とお義母様に嫌われているのだと思っていました。
どちらも、一度もカロラインに会いに来たことが無かったからです。
お立場やお名前、どんな仕事をなさっているかはマーサが教えてくれました。
でも、肖像画の1つも無いので、お顔も知りません。
ある日お城の庭に迷い込んだ時、ただ一度だけ見かけた2人は、カロラインに気づいても笑顔を見せてはくれませんでした。
そしてそれが、カロラインがお父様とお義母様を見た、最初で最後の機会になったのです。
◇◇◇◇◇
5歳のカロラインの目の前には今、真剣な顔の侍女がいました。
たしか、お義母様のすぐ近くにいた人です。
彼女はカロラインに指輪を、マーサにお金を手渡すために、息を切らせて走って来たのです。
指輪は“姿変えの指輪”、そしてお金は逃げるための旅費です。
どちらもお義母様が用意してくださった物でした。
「奥様からの伝言です。
西へ、国境を目指せと⎯⎯。
……どうか……どうか無事にと⎯⎯」
どうして逃げなければならないの?
何がおきているの?
これからどうなるの?
お父様とお義母様は?
何も聞けませんでした。
お義母様の侍女は、
「指輪が間に合ってようございました。
私は戻ります。どうぞ、ご無事でっ!」
鮮やかな笑顔を残して、振り向かずに走り去って行きました。
いつになく厳しい顔のマーサにも、質問をするのはためらわれました。
マーサはあっという間に2人分の旅支度を調え、カロラインの手を引いて出発しました。
カロライン5歳の、逃避行の始まりでした。
森は案外すぐにぬけることができました。
2人とも魔力量が大きいので疲れにくいのです。
でも、魔力に頼るのはここまで。
マーサは魔力遮断の指輪を、カロラインも先ほど渡された“姿変えの指輪”をはめました。
この先は、誰に出会うかわかりません。
体が少し重くなったような気がしました。
“姿変えの指輪”にもマーサの指輪と同じような、魔力の感知を妨げる能力がついています。
こういう感知を無効にする魔道具を使用すると、なぜか魔法が使えなくなってしまう。
それは、魔法研究の大きな課題の1つでした。
指輪をはめたとたんに髪が白銀から薄い茶色に変わるのを見て驚いていると、瞳のほうはマーサが確認してくれました。
ちゃんと左右同じ茶色になっているようです。
「わかっていますね。キャリー」
森の中を歩く間に、マーサと話して決めたことです。
カロラインの名前は今日から“キャリー”
キャリーはマーサのことを“母さん”と呼ぶこと。
「はい。母さん」
その時、なにげなく振り向いたマーサの顔が歪みました。
キャリーがマーサの視線の先に目をやると、森の向こうに黒い煙が上がっているのが見えました。
あれはお城の方角です。
「なんということを……」
お城が燃えています。
公爵家の城はこの日、新国王からの召喚状を携えた使者と兵士たちの騙し討ちによって落とされました。
公爵家は、末端の小間使い、下男にいたるまで全滅。
まだ幼い男の子2人を含む公爵一家4人は首をはねられてしまったのです。
『悲劇は魔物を呼ぶ』
古くからの言い伝えです。
誰かが非業の死を遂げると、その近くに魔物が生まれると言うのです。
魔物は、もともと普通の獣です。
それが変異して魔物になるのですが、変異の原因は解明されていません。
魔物は一目見てわかります。
まず、大きさ。
どういう仕組みかはわかりませんが、獣が魔物に変異した瞬間に、巨大化するのです。
2倍、時には3倍にもなります。
そして、魔物の一番の特徴は、その行動です。
獣も人を襲うことがあります。
テリトリーを守るため、あるいは餌として食べるために。
しかし魔物は違います。
人を殺すために襲うようになるのです。
自分たちの身を守るためでもなく、食べるためでもなく、ただ殺すために人を探し、狩るようになるのです。
それはまるで、人間全てを憎み、皆殺しにしようとしているかのようでした。
この国は長く平和が続きました。
賢王の下、他国との戦争も内乱も無く、数十年。
若者たちの中には、魔物の言い伝えをただのおとぎ話だと考える者たちもいました。
でも、魔物は本当にいるのです。
燃え落ちる城に近い森の奥では、今、兎が、猪が、狼が、そしてヒグマが⎯⎯その姿を魔物に変え、人間の血を求めて、移動を始めていたのです。