(17)記憶のかけら
精霊憑きとは何なのでしょう。
人間と同じように、それぞれ性格も違うのです。
カリンはこれまでにいくつかの精霊憑きたちに出会ってきました。
カリンにとってペンダントのリンと井戸の女神様は、それぞれ性格は違いますが、どちらも友達のようなお姉さんです。
カリンの良い話し相手になってくれています。
村長の短剣はもっと神聖で怖い存在でした。
剣を持って戦う者以外はけっして触れてはいけない。
そんな厳しい雰囲気をまとっていました。
もしかしたら、子供が刃物に触ると危ないので、注意するためだったのかもしれませんが……。
今回出会った精霊憑き、目の前に落ちている腕輪は、カリンにはまるで誇り高い貴婦人のように見えました。
男爵家の奥様に、雰囲気がよく似ています。
村長と一緒に領民証明書をもらいに行った時に、遠くからチラッと見ただけですが、魔力の雰囲気は覚えているのです。
はっきり言ってしまうと、男爵家の奥様よりこの腕輪のほうが、かなり貫禄があるような感じもします。
美しい腕輪がそこにあると、苔むした木の根元もまるで立派なソファーのようです。
腕輪はそこに腰掛けて、カリンが挨拶するのを悠然と待ち構えているように見えました。
「素敵な歌をありがとうございます。
私はカリン。ここで洗濯の仕事をしている小間使い見習いです。
そばに行っても良いですか?」
カリンは大人の人に向かって話すように、腕輪に声をかけました。
貴婦人に対するマナーなど、習うどころか目にしたこともありません。
でも、どうやら腕輪に宿る貴婦人はカリンのことを気に入ってくれたようです。
カリンを近くに招くように魔力が優しく揺らいでいます。
カリンは近くにしゃがむと、腕輪にそっと触れました。
その時です⎯⎯。
突然カリンの頭に鋭い痛みが走りました。
まるで何か固い物にひびが入ったような、パキッという音がしたような気がします。
周りの音が消えました。
女神様やリンの魔力も感じられなくなりました。
周りの景色も消え、そして、何も見えなくなってしまったのです。
◇◇◇◇◇
私はどうしてしまったの?
どうして私は“1人”なの?
ここは……どこ?
**様? **様?
⎯⎯ねえ、こんどはどこに行くの?
***はどこかの道を弾むように歩いていました。
小さな***は1人ではありません。
右手は大きくて力強い手が、左手は柔らかくて優しい手が握ってくれているのです。
何も怖いものはありません。
だって***が見上げれば、そこには…………。
⎯⎯チカッ、チカッ、チカッ、チカッ、
胸の辺りが急に熱くなりました。
何? 誰かが私を呼んでいるの?
⎯⎯ポウッ……ポウッ……
⎯⎯チカッ! チカッ! チカッ! チカッ!
「…………リン? 女神様? どうしたの?」
⎯⎯チカッ! チカチカッ?!
気がついたらカリンは木の下にしゃがんでいました。
いいえ、しゃがんで腕輪に触ろうとしていたのは覚えています。
でも、そのあとに何かが⎯⎯。
地面にポタリと滴が落ちました。
⎯⎯汗? 夏だけどまだ早朝なのに……。
汗を袖で拭おうとして、初めて、自分が泣いていることに気づきました。
⎯⎯私、どうして泣いているのかしら?
⎯⎯チカッ……チカチカッ?
ペンダントが温かくカリンを気づかってくれています。
女神様の魔力も心配そうに揺れています。
何かを見たのでしょうか?
ぜんぜん思い出せないのです。
とても大切なものだったような気がします。
忘れてはいけない何かを見つけたのに、どこかに落としてきてしまったような⎯⎯。
もどかしくて、悔しくて、懐かしくて、切なくて⎯⎯。
ふと、腕輪にもう一度触れたら“それ”がわかるのではないかと気づきました。
気づいたとたんに、胸の鼓動がいきなり早くなりました。
腕輪はすぐ目の前にあります。
カリンは震える指を腕輪に近づけました。
なんでこんなに怖いのでしょう?
⎯⎯そういえばさっき、頭が痛くなったのではなかったかしら?
なんだか、腕輪の貴婦人も心配そうにカリンを見守っているような気がします。
リンと女神様の見守りにも勇気づけられ、カリンは覚悟をきめて腕輪に触れました。
………………何もおきません。
頭も痛くなりませんでしたが、何も……何も見えませんでした。
こらえていた涙があふれました。
涙がポロポロこぼれて、止められません。
何が悔しいのかも、何を悲しんでいるのかもわからず、カリンは制御できない激しい感情に、ただ翻弄されていました。
⎯⎯ルゥールルルルゥールー⎯⎯
カリンの中の嵐をなだめるように、優しい歌声が聞こえてきました。
⎯⎯子守唄?
⎯⎯チカッ
カリンは自分がまだ腕輪を手に持ったままだったことに気づきました。
それは、カリンの手の上の腕輪の貴婦人が歌う魔力の歌声だったのです。
優しい歌に耳を傾けるうちに、カリンの中の悔しさも悲しさも少しずつ薄れていきました。
そして残ったのは、いつもカリンとともにあった、静かな切なさだけでした。
その時、ファサッと何かがカリンの頭の上に降ってきました。
手にとってみると、新品の手拭いのようです。
振り向くと、そこにライラとシェリーが立っていました。
「ああもう、こんなに泣いて。目が腫れちゃうじゃないのぉ」
カリンの顔をのぞきこんでライラが嘆くと、シェリーはカリンが握っていた手拭いを取り上げて、涙のあとを優しく拭ってくれました。
「出てきても良かったの?」
おとなしくされるままになっていたカリンが2人に尋ねると、ライラはしかめっ面になりました。
「ほらやっぱり。完全にバレてたじゃない?」
シェリーは肩をすくめて、フフフッと笑っていました。
カリンは“おいかけっこ”や“かくれんぼ”が得意です。
それは逃げたり、隠れたりすることだけではありません。
“見つける”ほうも得意なのです。
ですから、いつも自分のことをこっそり見ている人たちがいることは、なんとなくわかっていました。
あくまでも、なんとなく、時々気がつくぐらいですけれど⎯⎯。
今回の“かくれんぼ”の相手は、カリンにとってもなかなかの強敵でした。
見られていることに、初めは緊張していましたが、だんだん気にならなくなりました。
悪意は感じられませんし、3人ともとても良い人たちですから。
3人です。
手拭いからはもう1人、ベンさんの魔力を感じます。
ベンさんはこれが最終試験だと言っていました。
相手は試験官なのですから、見つけてしまったことは言わないほうが良いのだろうとカリンは思っていたのです。
試験で見るのはあくまで性格と人格? だと言っていましたから。
涙を拭いた後の腫れたまぶたは女神様が水で冷やしてくれました。
腕輪の貴婦人は、人数が増えてしまった娘たちの様子を見ながら、楽しそうに笑っているような雰囲気です。
「あんまり出てきちゃいけないんだけどね。その腕輪を見たら、出てこないわけにもいかなくなっちゃったのよ」
ライラが腕輪を指差すと、腕輪は『まあ、無作法ね』と言いたげに、少し不機嫌そうに魔力を揺らしました。
「私の情報によれば、それって、今学院で話題沸騰中のあの腕輪よね」
「話題ふっとう?」
カリンが首をかしげると、ライラは「うそ、知らないの?」と、愕然とした表情で大げさに後ずさって見せましたが、シェリーは冷静にライラに指摘を入れました。
「カリンの情報源はライラなんだから、あなたが話してなければカリンが知ってるわけがないじゃないの」
「それはそうか」と気を取り直したライラがカリンに話してくれたところによると、この腕輪は“花嫁の腕輪”という、とある伯爵家に伝わる家宝なのだそうです。
ライラが情感をたっぷり込めて話してくれたのは、とある小間使いに訪れた夢のような恋物語でした。




