(16)落とし物は歌う
「面白いですね。水魔法の新たな可能性ですか?」
まるで子供のようにワクワクした様子を隠さない男は、ロバート・アークライン⎯⎯魔法学院の学院長です。
「そういえば、君の適性も水魔法でしたね。
どうです? 同じことができそうですか?」
問いかけられたマシューは、柔らかな苦笑を浮かべながら首を横に振りました。
「いいえ。
私には、魔力も水もあそこまで自在に操ることはできません」
学院長は少し残念そうにうなずきました。
「君の魔力操作でも駄目でしたか」
マシューの魔力操作はレベル5⎯⎯カリンと同じレベルなのです。
ただ、魔力感知のレベルはマシューがレベル2なのに対してカリンはレベル7。
それが原因なのか? それとも⎯⎯
「やはり1類……でしょうか?」
「わかりません」
マシューの答えは間を置かずに返ってきました。
“わからない”⎯⎯それ以外に答えようがないということもあります。
彼女が学院にやって来て2ヶ月。
それからずっと見守り続けてきましたが、その言動から1類を匂わせるものは一切出てきていません。
かといって、3類だとするには、彼女の魔法の使い方は規格外過ぎるのです。
「面白いですね。
もしも1類だとしたら、私の技能鑑定をだましていることになる。
まあ、良いでしょう。これからも見守りをお願いしますよ。
ああ、そう言えば⎯⎯」
学院長はやや身を乗り出すようにしてマシューに問いかけました。
「あの薬はどうなりました?」
それは、上級魔法薬並みの薬効があるということが“たまたま”証明されてしまった“手荒れ軟膏”のことです。
とある戦闘員が矢傷を受けた時に、薬瓶の破損で手持ちの傷薬が無くなり、持っていた“手荒れ軟膏”を塗ってみたところ、見る間に傷がふさがってしまったと言うのです。
しかもその軟膏は、その時点で作られてからもう5日以上経っていた物。
あり得ません。
どんな魔法薬にも使用期限があります。
たとえ上級薬でも、作って5日も経てば下級薬並みの薬効すら残っていないはずなのです。
ビンに残った軟膏を少し分けてもらい(その戦闘員はかなり渋っていましたが、高値で買い取りました)鑑定させたところ、原材料は薬草と獣脂と水のみでした。
魔石の粉も保存期間を延ばすための植物も、何も使われていないことがわかったのです。
使われた薬草も、第5洗濯場付近でも採取できるような安価な薬草だけです。
本来なら、下級魔法薬しか作れないはずの薬草なのに……。
王都魔法局錬金術課の研究者たちは、残る水に注目し、密かに女神の井戸水を汲み上げて調薬に使用してみましたが、思うような結果は出ませんでした。
この時、一部の研究者から『女神の加護』の言葉がちらほらと出てきましたが、「研究者の敗北を意味する言葉に逃げるな」という先輩たちの言葉に封殺されました。
しかし、じつはこのあと、研究がかなり進んだ頃、製作者Xの魔法薬の保存期間と薬効についての驚くべき結果が発見されることになります。
それは、保存期間も薬効も、使用者と製作者Xとの親密度によって大きく違う結果が出るというものです。
つまりXと仲が良ければ良いほど薬が良く効くし、長持ちするということです。
この発見は、錬金術課を含む魔法局全体をパニックに陥れることになるのですが⎯⎯それはもう少し先のことになります。
花の香りのする、この不思議な手荒れ軟膏は、今はまだ小さなビン2つ分しか無いのですから⎯⎯。
学院長もマシューもほのぼのと語り合っていますが、
「そろそろ馬鹿者どもの興味も引いてしまったようですね。困ったものです。
学院に手を出すほどの度胸も無いでしょうし、備えもありますが、万が一ということもあります。
そちらは君たちに任せますよ」
「お任せください」
ニッコリ笑って腰を折った人物の笑顔には、悪意も陰も何も感じられません。
付き合いの長い学院長にも、一点の曇りもない心からの優しい笑顔にしか見えないのでした。
◆◇◆◇◆
カリンは第5洗濯場のかなり手前で、今回も異変に気づきました。
⎯⎯歌? 誰かが歌を歌っているのかしら?
⎯⎯チッカ?
胸元のペンダントが1つ瞬いて、自分にも歌が聞こえると“リン”が教えてくれました。
なんだか不思議な歌声ですが、空耳ではないようです。
でも、これはおそらく⎯⎯
⎯⎯人の声じゃないわね。魔力の声?
⎯⎯チカッ!
女神様の魔力は、なんだかとても楽しそうです。
歌声の主は悪いものではないのでしょう。
そういえば、大きな水筒に入れた井戸の水を背負い袋で持ち歩くようになってから、どこにいても女神様の声や気持ちが伝わってくるようになりました。
まるで、離れていても水の中の魔力が繋がっているようです。
とりあえず、あわてる必要は無いかもしれませんが、少し急ぎましょう。
この前拾った教科書の時のようなこともありますからね。
◇◇◇◇◇
歌声の主はすぐに見つかりました。
“それ”があるらしい場所の周りが、なんともにぎやかなことになっていたからです。
今日もカリンは女神様の井戸水で体の周囲に膜を張っています。
女神様の魔力に“かくれんぼ”したいとお願いして自分の気配を消し、そっと近づいたカリンは、不思議な光景を目にすることになりました。
たくさんの蝶が踊るように舞い飛んでいます。
木の枝には、魔力の歌声に合わせて囀ずる小鳥たち。
リズムを刻むように鳴くカエルたち。
歌声に聞き惚れるように集まった小さな動物たち。
そしてこの不思議な空間を照らす小さな光の玉がいくつも、フワフワと浮かんでいます。
⎯⎯あの光の玉。なんだか雰囲気が風さんに似てるわ。
⎯⎯チカッ!
風さんの子供?
いや、もしかしたら“風さん”はこんな小さな光の玉がいくつもいくつも、たくさん集まってできた存在なのかもしれないと、カリンは感じました。
気持ちの良い歌声を、カリンはしばらく聞いていたいと思いましたが、唐突に魔力の歌声が途切れました。
小さな生き物たちは我に返ったようにあわてて逃げて行きます。
カリンが見つかってしまったのでしょうか?
いいえ、見つかってしまったのは、カリンを見守っていた誰かさんでした。
歌声の主はよほど魔力の揺らぎに敏感なようです。
歌声に夢中のカリンはそのことに気づきませんでした。
いくつもの魔道具を使って気配を隠していても、見つかってしまう。そんな手強い相手はなかなかいません。
カリンは隠れていた茂みから出て、歌声の主に声をかけました。
「素敵な歌をありがとうございます。
私はカリン。ここで洗濯の仕事をしている小間使い見習いです。
そばに行っても良いですか?」
魔力が優しくカリンを招くように揺らめきました。
⎯⎯行っても良いということよね。
⎯⎯チカッ!
カリンがゆっくり近づくと、“それ”が何かわかりました。
大きな木の根本に落ちていた歌声の主は、キラキラと輝く美しい腕輪でした。。




