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(15)少女たちの進む道

 2冊の教科書はなぜ、あるはずの無い場所にあったのでしょうか? 


 教科書に足が生えて勝手に逃げ出したのでなければ、持って行った人がいるわけです。


 青い顔をしている侯爵領組の3人の中で、ロージィが上目遣いに、ラルクを見上げていました。


「どうした、ロージィ?」


 ラルクが声をかけると、サブリナとミリアがロージィを責めるようににらみました。


 ロージィは2人の視線に少し怯みましたが、オードリィが心配そうに自分を見ているのに気づくと、泣きそうな顔になりました。


 そして、ラルクとオードリィに正直に話してくれたのです。

 時々涙に声をつまらせながらもしっかりと、

 自分がしたことを、そして見たことを⎯⎯。


「ごめん……ごめ……さ、ぃ」


 ロージィは顔をクシャクシャにして泣きだしました。


 大粒の涙がポロポロこぼれます。


 いつの間にかそばに来ていた先輩事務官が、ロージィの手に新品の手拭いを持たせてくれました。


 彼はラルクのほうをチラッと見て、(まだまだだなぁ)とでも言うように首を横に振りながら、休憩コーナーに戻っていきました。


 ⎯⎯いたらぬ後輩で申し訳ありませんね。


 じつは、ここの先輩たちはラルクが新人事務官だった頃にお世話になった人たちばかりなのです。

 ですから、ラルクの性格をよく知っていますし、ラルクとしても、なかなか頭が上がらないのです。


 ラルクは気を取り直し、ロージィに声をかけました。


「話してくれてありがとう。

 よく頑張ったな。ロージィ」


 ロージィは手拭いに顔をうずめて、小さくうなずきました。


 オードリィの教科書を盗みだして悪戯書きをし、それをロージィに命じて洗濯場に捨てに行かせたのはサブリナとミリア。


 サブリナの教科書をオードリィの枕の下に入れたのもサブリナとミリア。


 サブリナもミリアも、観念したのか、それを認めました。


 2人とも魔法の勉強には自信があったのに、家庭教師もいないオードリィにぜんぜん(かな)わないことが悔しかったのだそうです。


 3人は、厳重注意処分となり、保護者に事情を説明することで決着しました。


 オードリィの教科書が無事に戻ったことと、オードリィ自身が3人の処罰を望まなかったことを考慮しました。


 甘い処分になったのは、オードリィが恨まれるのを避ける意味もあります。



 サブリナもミリアも悪い子たちではないのですが、少し想像力が足りなかった。

 いいえ、想像力以前に、思いつきもしなかったのでしょう。


 教科書の弁償代金を出してくれる大人がいないため、それを将来の借金として背負わなければならない子供が存在することなど⎯⎯。


 サブリナは真っ赤な顔で、ソッポを向いています。

 そしてミリアは泣きそうな顔でうつむいています。

 その2人の顔はどちらも年相応に幼く見えました。


 オードリィはおだやかに微笑んでいますが……。

 ラルクには、その表情がどこか寂しそうな、何かをあきらめたような顔に見えて、胸が痛みました。




 ラルクは2冊の教科書をそれぞれの現在の持ち主に返しながら、「そうそう」と、オードリィに話しかけました。


「この教科書の悪戯書きは、例の女神の井戸の水が綺麗にしてくれたそうだよ。

 こんなに綺麗になるなんて⎯⎯

 井戸の女神様は、オードリィのことをよほど気に入ったのかもしれないな」


 首をかしげて見上げてくる少女たちに、ラルクはニヤリと笑ってみせました。


「知ってるかい?

 女神様のお気に入りの小間使いを(いじ)めた連中がいてなぁ⎯⎯⎯⎯」


 つい最近まで学院中で大騒ぎだった噂について話しだすと、侯爵領組の3人はみるみる真っ青になっていきました。


 自分たちが女神の呪いを受けるかもしれない可能性に気がついたのでしょう。


(いじ)めを()めれば呪いも無くなるようだ」とつけ加えると、少女たちは女神に誓うように、コクコクと一生懸命うなずいていました。


 素直な子供たちではありませんか。

 もう大丈夫。

 この子たちの虐めは無くなるでしょう。


 何かあったとしても、この学院の従僕頭(じゅうぼくがしら)と優秀な従僕や小間使いたちが、この子たちを見守っていてくれるに違いありません。




「ありがとうございました」


 退室する時、オードリィは教科書を大切そうに胸に抱きしめ、笑顔でラルクに言いました。


 顔の恐いラルクにあんな笑顔を向けてくれる子供はなかなかいません。


 思わずラルクも笑顔になって手を振ると⎯⎯。


「笑うとよけい恐い顔になるという自覚は無いのかのぅ?」

「仕方なかろう。ああ見えて、本当は子供好きだからな」

「この前、頭を撫でてやろうとして盛大に泣かれていたな」

(あわ)れな……」


 少女たちが出て行ったあと、ようやく書類仕事に戻った先輩たちを、ラルクは横目でにらみました。


 仕事が早く優秀な人たちばかりなので、文句のつけようも無いのです。


 今もラルクをさんざんからかいながら、手は休み無く動いています。


 ラルクはあきらめて、あの4人の進路希望調査書を取り出しました。

 学院の基礎過程は、国の人材確保のための期間でもあるので、本人の希望もきちんと調査されるのです。



 ロージィの希望は“魔道具職人”。


 若くして“名人”と呼ばれる父親に鍛えられ、いつかきっと優秀な“女魔道具職人”が侯爵領に現れる日が来るでしょう。




 サブリナは“侯爵家の侍女”。


 そういえば、侯爵家で行儀作法を叩き込まれたあと、侯爵傘下(さんか)の男爵家に嫁に行くことが決まっているらしいと、従僕頭(じゅうぼくがしら)が“世間話”の中で言っていたのを思い出しました。




 ミリアの希望は“商会の使用人”。


 事務室を出ていく時、一番不安そうな顔をしていたのがミリアです。

 孫のサブリナと違って、自分は商会長に切り捨てられると思っているのかもしれません。


 でも話を聞く限り、商会長は今回のことでミリアを見捨てるような人ではないように思います。

 むしろミリアを自分の手元に置いて、自分の商売の考え方を叩き込もうとするのではないでしょうか。




 そしてオードリィの調査書を読み、ラルクはため息をつきました。


 オードリィの調査書の備考欄には、あまりにも短く、彼女の事情が記されていました。


『職人の父親は自殺。その後、母親は病死』


 先ほど怒りを爆発させたことから考えると、父親の自殺に商人が絡んでいるのでしょうか。


 ロージィのことは他人事(ひとごと)だと思えなかったのかもしれません。


 そして肝心のオードリィの進路希望は、“事務官”。


 事務官の募集規定には、たしかに身分や性別の項目はありません。

 平民や孤児院出身の事務官もそう珍しくはないのです。


 しかしこの国の歴史の中で、“女性の事務官”はただの1人も存在しません。


 女性は事務官ではなく、女官(にょかん)になるもの、という慣習があるからです。


 女官とは、王妃様をはじめとする女性の王族のために働く事務官のことを言います。


 ならばオードリィも女官を目指せば良いかと言えば、これもまた難しいのです。


 女官の選出規定は身分と血統を重視しているからです。


『オードリィなら、他に選べる職業はいくらでもあるのだから、事務官などあきらめろ』


 ラルクは、あの子にそんな言葉をかけたくはありませんでした。

 これまでにも、あの子はたくさんのものをあきらめてきたに違いないと思ったからです。


 それに、もしかしてあの子なら⎯⎯。

 そんな予感に、ラルクはなんだかワクワクするのです。


 書類から顔を上げると、窓の外には夏の光が溢れています。


 真っ青な空にそびえ立つ白い雲が、高い空の上からラルクの迷いを笑い飛ばしているような気がしました。




 ◆◇◆◇◆




 5ヶ月後のお話になります。


 秋も深まり、木枯らしが吹き始めた頃、王都の孤児院に貴族の女性が訪ねてきました。


 子供が生まれなかったため、跡継ぎのための養子が欲しいのだそうです。


 呼ばれたのは魔法学院から帰ってきたばかりのオードリィでした。


 まるで、はじめから決めていたようですが、心当たりはありません。


 院長室でオードリィを待っていたのは、とても優しそうな女性でした。


 40歳くらいでしょうか? 

 少しふっくらとして、美人というよりも上品でかわいらしい感じのご婦人です。


「あなたがオードリィさんね。

 夫に聞いた通り、本当にかわいい子ね。

 オードリィさん。うちの子になってみない?」


 ご婦人は、エリザベス・ラルクと名乗りました。

 ご主人のデイビッド・ラルク男爵は、あのラルク事務官です。


 オードリィが事務官を目指すための協力をしたいのだというありがたいお話でした。


 男爵家の娘になれば、ただの夢にすぎなかった“事務官になりたい”という思いを、現実の目標にすることが可能になるかもしれません。

 でも⎯⎯


「よろしいのですか?

 女の子では、爵位を継げませんよ。

 それに事務官にだって、なれるかどうかはわからないのに……」


 ラルク夫人はフフフッと可愛らしく笑いました。


「大丈夫よ。

 男爵と言っても、夫が長いことお城勤めを頑張ったご褒美の“おまけ”みたいなものなのよ。

 領地も無いの。年金はもらえるけどね。

 それから、事務官になれるかどうか、だったかしら?⎯⎯」


 夫人はもう一度、優しく微笑みました。


「それも大丈夫よ。

 私たちは事務官になる子供がほしいのではないわ。

 あなたに、私たちの娘になってほしいのよ。

 ああそうそう、忘れるところだったわ。

 あなたに、夫からプレゼントがあるのよ」


 そう言いながら夫人が取り出した物は⎯⎯。


「これ………」


 学院でオードリィが使っていたあの“魔力操作”の教科書でした。


「夫が買い取ったの。

 先生方もオードリィさんにならと、こころよく譲ってくださったのよ」


 初めて手にした時から、あの書き込みが気になりました。


 最後の“がんばれ”の文字が、本当に自分をはげましてくれているようで、なかなか提出できなかった書類に、つい書いてしまったのです。

『進路希望、事務官』と⎯⎯。


 教科書の書き込みが結んだ縁。


 この日から、男爵令嬢オードリィ・ラルクの事務官を目指す奮闘が始まったのです。










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