(13)面倒な落とし物(その2)
魔法学院事務室のラルク事務官は頭を抱えていました。
⎯⎯まったく……勘弁してくれよ。
目の前には4人の少女たちが座っています。
基礎課程の子たちなので、全員10歳です。
ちんまりと横に並んでソファーに座っている、“四者四様?”の少女たちを前にして、ラルク事務官は笑顔がひきつるのをこらえていました。
ラルクは50代に入ったばかり。
事務官としてはベテランですが、学院の事務室に配属されたのはつい、3ヶ月前のことです。
ここに異動になる前は、城の事務局にいました。
“事務官”は、貧乏な下位貴族の次男、三男以下という、家の跡を継げないあぶれ者たちに人気の職業です。
誰もが剣で身を立てられるわけではありません。
腕に覚えの無い者は、頭で職を得るしか無いのです。
あらゆる書類が回ってくる、激務を強いられる職場でもあります。
彼らのような苦労人でなければ、とても勤まらないでしょう。
その中でも魔法学院の事務室は、他で勤め上げた引退間近のベテランが配属される職場です。
魔法学院には、国中から様々な階級、境遇の子供たちが集まってきます。
そのため、事務官にとっても、なかなかに気苦労の多い職場なのです。
今、自分を見て怯えているような子供たちの顔を見ると、ラルク事務官は自分をここに送り込んだかつての上司を恨みたくなりました。
ラルクは事務官だとは思えないほど体が大きく、顔も大きくていかついのです。
⎯⎯だから、私は子供が苦手だと言ったのに。
基礎課程の入学は、10歳の誕生日の翌月になることが多く、その月に入学した者同士でグループを作って一緒に学ぶことになります。
この4人も同月入学のグループです。
3人は同じ侯爵領から来た子供たちでした。
領都にある大商会の商会長の孫娘、サブリナ⎯⎯少しプライドの高そうな少女です。
同じ商会の使用人の娘、ミリア⎯⎯いつもサブリナの後ろにいますが、なかなか知恵が回りそうな子です。
領都の職人の娘、ロージィ⎯⎯オドオドとした気の弱そうな少女です。
そしてもう1人は、王都の孤児院の子で、名前はオードリィ⎯⎯いつも静かに目を伏せていますが、話をする時はまっすぐに相手の目を見て会話をするのが印象的な少女です。
ソファーに並んで座る4人と、向かい合わせに座るラルクの間のテーブルには、一冊の教科書が置かれています。
この教科書が、今回の騒動のきっかけです。
長年使い回されてきたために、手垢で汚れてかなり黒くなっているこの教科書は、オードリィのベッドの枕の下から出てきた物です。
それが問題になっているのは、これがサブリナの教科書だと3人が主張し、オードリィも自分の物ではないと認めているためです。
3人の部屋とオードリィの部屋はけっこう離れていますので、間違って置いた可能性は無いでしょう。
部屋が離れているのは、部屋割りが入寮順になるためです。
おそらくオードリィは、入寮可能になった初日に寮に入ったのでしょう。
この寮は地方からやって来た子供たちのために用意された物で、王都に暮らす者に入寮資格は有りません。
ただし、孤児院の子供たちだけは例外として、入寮が認められています。
入寮中の食費その他は全て無料なのです。
孤児院には国から充分な補助金が出ています。
それでも1人分の食費が浮けば、それで他の子の、とくに育ち盛りの男の子たちの食事の量を少しでも増やしてやることができます。
そのため、孤児院の子供たちが学院に通う時には、いつも入寮可能な日数いっぱいいっぱいまで寮に滞在するのです。
一方の侯爵領組は、おそらく侯爵が出した馬車に乗り、護衛に守られてゆっくりとやって来たのでしょう。
サブリナの祖父はかなりやり手の商人だと王都まで噂が流れて来るほどの人物です。
侯爵がこの商会に多額の借金をしているという噂もあります。
少女たちの王都への旅は、旅費を気にして急ぐ必要も無く、さぞかし優雅な旅だったに違いありません。
テーブルの上の教科書は少女たちが言う通り、サブリナの物で間違いないでしょう。
証拠もちゃんとありました。
裏表紙の隅に小さく書かれた悪戯書きです。
サブリナが自分の字で、名前を書き込んでいたのです。
サブリナは、普段からオードリィに虐められているのだとラルク事務官に訴えました。
ミリアもサブリナの訴えを援護しました。
「オードリィが自分の教科書にひどい悪戯書きをしているのを見ました。
真っ黒になった教科書を捨てて、代わりにお嬢様の教科書を盗んでしまえば、教科書を捨てたのはお嬢様だということにできると思ったのかもしれません」
ロージィは真っ青な顔で震えながらうつむいているだけです。
そしてオードリィは⎯⎯顔色も変えず、2人の言うことをじっと聞いています。
2人の主張をオードリィに確認すると、伏せていた視線を上げて、まっすぐラルクの目を見ました。
目にも表情にも怯えの色はありません。
ラルクは彼女の澄んだ瞳の美しさに感嘆しました。
「私は大切な教科書に悪戯書きなんてしません。
教科書を捨ててもいないし、他人の教科書を盗んだこともありません。
虐めについては……感じかたは人それぞれでしょう。
だから絶対に彼女が嫌がることをしていないとは言いきれないかもしれません。
でも、サブリナさんを虐めようと思ったことは一度もありません」
オードリィの主張は、はっきりとした、冷静なものでした。
⎯⎯なんとも、わかりやすいものだな。
オードリィに虐められたと言いながら、サブリナとミリアがオードリィを見る目には、明らかな蔑みの色が見えます。
じつは、ラルク事務官の手元には、もう一冊の教科書があります。
今朝早く、従僕頭が自ら届けにきた物です。
わざわざラルク事務官を名指しで、直接手渡しで⎯⎯。
そのついでに、彼は少し話をして行きました。
最近、従僕たちや小間使いたちが見かけたという学院内の虐めの状況について、などなど……。
そのため、そのあとやって来た少女たちの訴えを聞くなり、事務室の事務官たちの目は全てラルク事務官に集中しました。
「頼んだよ、ラルク君」と、先輩に肩を叩かれれば、自分が対応するしかありませんでした。
ここで一番若いのはラルクなのです。
⎯⎯まったくっ! やっと下っ端をあごでこき使える立場になれたと思ったのに、また下っ端に逆戻りかよ!
先輩たちは向こうで仲良くお茶しています。
ラルクの視線に気づいた先輩はニッと笑って、見せびらかすように、お菓子を頬張りました。
⎯⎯こんのっ! タヌキ爺!
“タヌキ”とは200年前に現れた一類勇者の、前世の世界にいたという生き物の名前です。
とても変わった生態を持つ生き物だったそうです。
よく似ているという理由で、勇者様が“タヌキ”と名付けたその生き物は、可哀想に⎯⎯勇者の世界の“タヌキ”同様、人をたぶらかす生き物だと人々に誤解されたまま、広く伝えられているのです。
ちなみに、“タヌキ爺”というのは勇者様の世界と同じ意味の言葉で、決して“可哀想なおじいさん”という意味ではありません。
その時、ミリアが何かを思いついたような顔になり、ロージィを見ました。
「そうだ、あんた、見たって言ってたじゃない? オードリィが真っ黒な教科書を持って夜遅くに寮の外に出て行くのを」
「……えっ?」
ロージィは、愕然とした顔でミリアの顔を見ていました。




