(12)面倒な落とし物
⎯⎯傷薬に問題が無いようなら、次は体力回復薬を作って、マシューさんに飲んでもらうのはどうかしら?
⎯⎯チカッ
カリンはライラとシェリーに手荒れ軟膏を喜んでもらえたのが嬉しくて、ウキウキしていました。
でも、第5洗濯場の近くまで来た時、異変に気づいたのです。
何かおかしな気配がかすかに⎯⎯。
それに、井戸の女神様の様子がいつもと違います。
リンが女神様に尋ねると、どうやら昨夜誰かがこの近くまで来たようです。
女神様はやっと少し目が覚めてきたのか、カリンとの間にリンを挟めばなんとなく意志が通じるようになってきました。
まあ、女神像と会話ができるほうが普通はおかしいのですけれども⎯⎯。
女神様が気にしているのは、昨夜来た人間が、ここに来たくて来ていたようには見えなかったことと、それがまだ小さな子供だったことのようです。
『なんだか心配ねえ。心配だわ』
⎯⎯とでも言うように、ぽうっ、ぽうっと女神様の魔力がゆったりと揺らぎます。
女神様の性格がなんだか少しずつわかってきました。
ペンダントの“リン”がしっかり者の面倒見の良いお姉さんなら、女神様はのんびりした、おっとり系のお姉さん。
そしてどちらもかなりの子供好きだと思います。
カリンには、昨夜やって来たという子供が何をしに来たのか、なんとなく見当がつくような気がしました。
夏の夜、誰もいないような寂しい場所に、1人でイヤイヤやって来る子供。
⎯⎯村でもよくやっていたわよね。
⎯⎯チカッ
肝試しです。
カリンが村の子供たちのそういう遊びに混ぜてもらったことはありません。
でも、夏のある日、ニールがわざわざカリンの部屋まで意地悪を言いに来たのは、もしかしたらカリンを誘うつもりだったのかもしれないと⎯⎯今は思います。
昨夜やって来たという子供も、そんな子供らしい遊びなら良いのですが……。
女神様があんなに心配していたのは、何か良くないものを見たからなのかもしれません。
⎯⎯これは何かしら?
⎯⎯チカッ?
カリンはすぐに嫌な物を見つけてしまいました。
それは、草むらの中に捨てられていた教科書でした。
なにやら濁った魔力がまとわりついているように見えます。
表紙も中も、悪戯書きだらけ。
読める部分の内容を拾ってみると、どうやら“魔力操作”の教科書のようでした。
昨日の仕事の時にはこんな物はありませんでした。それははっきり言えます。
いろいろな残留魔力が残ったこの本は、草や木ばかりのここではとても目だつので、カリンならすぐに気づくからです。
学院の基礎課程の教科書は貸与のみ。使い回しです。
修了したら返還しなければなりません。
破損などで返せない場合はお金で弁償するのです。
そんな物を自分で捨てるわけがありません。
毎年何人もの学生たちが手に取り、学んできたのでしょう。
ずいぶんたくさんの人の残留魔力を感じます。
その中でも最近つけられた新しい魔力は⎯⎯。
⎯⎯4人、かしら? みんな女の子ね。
⎯⎯チカッ?
1人はおそらくこの本の持ち主のもの。
かなりの努力家のようです。
教科書のページ1枚1枚を真剣に読んでいた様子が感じられます。
⎯⎯でも、なんだか楽しそう。
⎯⎯チッカ
もう1人、ひどく怯えた弱々しい魔力があります。
おそらくこれが、昨夜ここにやって来たという子供のものでしょう。
問題は残りの2人です。
魔力が少し濁っています。
この濁りは……嫉妬、かもしれません。
教科書に悪戯書きをしたのはこの2人。
なぜわかるかと言うと、インクにも書いた人の残留魔力が残るからです。
⎯⎯これは虐めかしらね。
⎯⎯チカッ!
悪戯書きをした子たちが教科書の持ち主の女の子を標的にして虐めているのでしょう。
そして、見つかっても自分たちは言い逃れができるように、教科書を捨てに行く役目は“肝試し”と称して他の気の弱い子に押し付けた⎯⎯そんなところではないでしょうか。
カリンは悩んでいました。
たぶんカリンの“洗濯魔法”なら、この教科書を綺麗にすることができると思うのです。
ただ⎯⎯。
悪戯書きは虐めの証拠です。
このまま返せば陰湿な虐めを明るみに出すことができるかもしれません。
でも、本当にそうなるでしょうか?
2人の虐めっ子たちは、なかなか悪知恵が働く子たちのようです。
『悪戯書きをしてしまったから、自分で教科書を捨てて、誰かに盗まれたなんて騒いでいるのよ』とか言い出したりしないでしょうか?
⎯⎯こんなことを思いつく私って、かなり性格が悪いのかしら?
⎯⎯チカチカ…………チカッ?
リンが自信無さげなのが気になります。
それにしても、カリンは自分のどこからこんな発想が出てきたのか不思議でした。
もしや、記憶を失う前の自分は、誰かに虐められていたのでしょうか?
首を振って、変な考えを止めました。
答えの出ない考え事よりも、虐めっ子たちが次の行動に移る前に、とっとと教科書を返してしまいましょう。
カリンはこの教科書の今の持ち主の気持ちを大切にしたいと思いました。
あんなに楽しそうに読んでいた教科書です。綺麗にして返してあげれば、きっと喜んでくれるのではないでしょうか。
そして、あとのことは大人に任せれば良いのです。
学舎の事務室ではなく、従僕頭に届けましょう。
マシューさんなら、学舎から離れた第5洗濯場に教科書が捨てられていたという事実だけで、いろいろなことを察してくれるような気がします。
そうと決まれば、カリンがすべきことは教科書の洗濯です。
気をつけなければいけないのは“悪戯書きのインク”だけを落とすということです。
教科書の文字は魔法の道具による複写なので、洗濯で落ちるような文字ではありません。
ただこの教科書には、今回の悪戯書きとは別に、カリンが残しておきたいと思う書き込みがあったのです。
たぶん、この教科書を使用した先輩の誰かが書いたのでしょう。
授業の中で気づいたことや、魔力操作のコツについてのわかりやすい説明がメモされていたのです。
教科書の空いているところに、子供らしい文字で、とても丁寧に。
そして最後に、こう書かれていました。
『君にもできるよ。がんばれ』
きっと先生たちも、この書き込みに気づいていたはずです。
そして、特別にそのまま残すことにしたのでしょう。
書いた子供の気持ちを、微笑ましく、嬉しく思ったのかもしれません。
この書き込みが書かれてから、けっこう年月が経っているのでしょうか。
もう、インクからは残留魔力が抜けてしまっています。
つまり、今回は残留魔力の残った書き込みだけを落とすようにすれば、元通りの教科書に戻せそうです。
カリンが洗い桶に井戸の水と教科書を入れ、“洗濯魔法”を発動すると、すぐに水が真っ黒になりました。
中の教科書が見えなくなるほどです。
次に桶の中の水全部を魔力と一緒に別の桶に移してしまうと、洗い桶の中には綺麗になった教科書だけが残りました。
ちなみに、教科書は過去の一類転生者の賢者様が製法をもたらした“植物紙”の本です。
紙が水に濡れてしまうと、普通は、乾かしても元の綺麗な状態には戻りません。
紙が波打って、本がふくらんでしまうのです。
ところが、この教科書は水に濡れたのが嘘のように元の通りに綺麗になりました。
紙も波打っていません。
中を確認してみると、教科書の文字も残したかった書き込みも無事で、虐めっ子たちの悪戯書きだけが綺麗に消えていました。
それ以外の汚れも落ちてしまって、ちょっとやり過ぎた気もしますが、大成功です。
⎯⎯まあ、こんなものよね。
⎯⎯チカッ
カリンは急いで従僕頭執務室に落とし物を届けに行ったのです。
投稿は2日に一回になります。




