(6)女神の加護?
『なんだか魚とかカエルみたいな顔ね。鼻が無いわよ』
⎯⎯鼻ならちゃんとあるもの……ちょっと低いけど。
⎯⎯チカッ!
『肌が白くないわ。呪い?』
⎯⎯いっぱい日焼けしていた狩人のおじさんだって、べつに呪われてなんかなかったわ。
⎯⎯チカッ!
『ずいぶん小さいな。小人族か? あれって魔物だよな?』
⎯⎯これから大きくなるのよ……たぶん?
小さいと魔物なら、この人は子供のころ魔物だったのかしら?
⎯⎯チカッ!
おおらかで心優しい村の人たちとの3年間がどれ程幸運なことであったのかを、この1か月でカリンは思い知らされていました。
この広く大きな王都において、自分達と異なる容姿のカリンを差別する人はけっして少なくなかったのです。
頭から足まで嫌な目つきでじろじろとながめ回す人。
蔑んだ目で見下す人。
「人間の言葉は理解できるのか?」と野蛮人扱いする人。
肌の色の違いを気持ち悪がったり、カリンが自分の服を洗濯することを拒否する小間使い仲間がいたり……。
ひそひそと囁かれる声や視線⎯⎯。
カリンは何を言われても、怒ったり、怯えたりもせずに顔を上げて普通にしていました。
ただ、心の中ではあと一言だけ⎯⎯
⎯⎯読み書きだってできるもん。字は下手だけど……。
⎯⎯チカ………
とりあえず、今ここでカリンに悪意を向けている魔力はすべて記憶しました。
これからはこの魔力を避けるようにしていきましょう。
カリンは鬼ごっこもかくれんぼも得意なのです。
いじめっ子たちとの追いかけっこが、こんな形で自分を助けることになるとは思いませんでした。
もしも、拾われてから最初に預けられたのが王都だったらどうなっていたでしょう?
カリンはいきなり多くの悪意にさらされ、人に対して心を閉ざしてしまっていたかもしれません。
しかも、その多くは無意識の悪意です。
自分が他人を傷つけているなどと思いもしない。
悪いことをしているという認識が無いのです。
彼らの中では、女の子を差別して虐める意地悪な人たちも、いじめられている女の子も⎯⎯どこにも存在しないのです。
カリンには、村で過ごした3年間があります。
その3年が、自分はうつむいて隅っこにいなければならないような人間ではないと教えてくれました。
自分が正しいと思うことを信じて良いのだと励ましてくれました。
真っ正面からぶつかってきてくれる男の子に出会わせてくれました。
そして、自分を嫌いにならずにいられるようにしてくれたのです。
うつむかないことで、いろいろなものが見えることに気がつきました。
カリンを見下す人たちを、離れたところから軽蔑した目で見ている人がいる。
心無い言葉を投げつける人をたしなめる人がいる。
カリンの気持ちに余裕があるから、そんなことに気づくこともできたのです。
…………とは言っても、よく見えるということはカリンを見下したり嘲笑ったりする人たちの顔もどっっさり見えるということなので…………。
⎯⎯やっぱり無理せず逃げるのが一番よね。
⎯⎯チカッ!
魔力感知のレベルを上げまくった過去の自分にも、カリンは心から感謝するのでした。
カリンを1人の普通の女の子として優しく接してくれる人もたくさんいました。
たとえば、マシューさんやベンさんはカリンを他の小間使いたちとかわらず平等に扱ってくれます。
2人の態度や表情はもちろん、魔力にもカリンを嫌悪するような感情が見えたことはありません。
マシューさんは若い頃にあちらこちらを旅していたそうで、異民族に出会ったこともあるといいます。
「この国とは異なる文化を育てた人々からは、学ぶべきところがたくさんありました」と、懐かしげに微笑みながら話してくれました。
残念ながら、その人たちはカリンには似ていなかったようですが……。
「困ったことがあったらいつでも相談に来なさい」と穏やかに話すマシューさんが、カリンに向ける眼差しも魔力も温かい物でした。
ベンさんは「カリンが魚やカエルに似てるって言うなら、あいつらが見たのはきっと⎯⎯見たことも無いようなとってもかわいい魚やカエルだったんだろうさ」
そう言っていつものように明るく笑いながら、カリンの頭をポンポンと撫でてくれました。
⎯⎯ベンさんはとっても良いお兄ちゃんだったのでしょうね。
⎯⎯チッカ。
小間使いの先輩の中にも、カリンへの嫌悪を隠さない人もいましたが、小さなカリンを可愛がってくれる人たちもいました。
とても小柄なライラは「やっと私よりも小さな子が入って来てくれたわ」とカリンを大歓迎してくれました。
噂好きの彼女は、この職場のことをいろいろと教えてくれる一方、カリンのことにも興味津々のようです。
イヤミが無いので、カリンもすなおに何でも話してしまうのです。
⎯⎯なるほど、こうやって噂がたくさん集まってくるのね。
⎯⎯チッカ。
時々ライラと一緒に第5洗濯場に“手伝い”という名の“さぼり”に来るシェリーもカリンをとても可愛がってくれます。
針仕事が得意なシェリーは8人兄妹の1番上のお姉さん。
カリンを見ると「弟妹たちが目にうかぶ」と言って抱きしめにきます。
彼女は小間使いをしながら、針仕事の内職で手間賃を稼いでいます。
大家族の繕い物で裁縫の腕が鍛えられたのだそうです。
小間使いの仕事着を、あちこち詰めて、小さなカリンでも着られるように直してくれたのもシェリーです。
シェリーは、繕い物の手間賃としてせしめたお菓子を、時々カリンにも分けてくれる優しい美人さんなのです。
食事が出るのは朝と夕の2回だけです。
洗濯仕事を魔法で手早く済ませ、めったに人が来ない洗濯場で、シェリーからもらったお菓子やその辺でとった木の実でのんびりお昼にする⎯⎯。
そんなのんびりした時間がカリンの日々の楽しみだったのですが……。
初めは、洗濯物を運ぶ係が毎回違う人に交替している様子に、⎯⎯綺麗になった井戸を見に来ているのよね。
それとも、新しい見習いを見に来たのかしら?
そんなことを考えていたのですが⎯⎯。
やがて、休憩時間を利用して、学舎や学生寮の小間使いたちも時々第5洗濯場にやって来るようになりました。
ここを訪れる人は皆、女神像? に祈りを捧げたあと、なぜか井戸の水で顔を洗ったり、何かの容器に井戸の水を入れて持ち帰ったりしているようでした。
⎯⎯井戸なら、もっと近くにたくさんあるのにね。
⎯⎯チカッ
水はけっこう重いのです。わざわざ遠くから運ぶのは大変でしょうに。
やがて貴族のご令嬢の侍女たちまで、井戸の水を求めてやって来るようになると、カリンの仕事にも支障が出るようになってきました。
「ちょっと!」
乱暴に呼びかけられて、もしかして自分のことかしら?⎯⎯と、カリンがふりむくと、侍女がカリンをにらんでいました。
「何をぼさっとしているのよ。さっさと水を汲みなさい! 私たちは忙しいのよ。急いでちょうだい」
どうやら、井戸の水を汲んで彼女たちが持ってきた瓶に入れろ⎯⎯という命令のようです。
カリンはべつにぼさっとしていたわけではなく、洗濯の仕事の真っ最中だったのですが……。
⎯⎯井戸の使い方がわからないのかしらね?
⎯⎯チカチッカ!
⎯⎯うん、でもほら、侍女さんの中には貴族のお嬢様もいるっていうから…………生まれて初めて井戸を見たとか?
⎯⎯チカチッカ!
念のため⎯⎯リンの返事は1回で「はい」、2回で「いいえ」と決めています。
たとえば「チカチッカ!」なら「まっさかあ。そんなわけ無いじゃない」という意味かもしれませんね。
まあ、水汲みくらいなら、力持ち魔法でたいして疲れることもなく、いくらでもしてあげられるけれど……。
そう思ったカリンがさっさと水を汲んであげると⎯⎯それを見ていた他の人たちからも、当然のように水汲みを要求されるようになりました。
しかもその頼み? には、いちいちカリンを見下すイヤミな言葉が添付されてきます。
べつに、水汲みはカリンにとってはたいしたことでも無いのですが、困るのは人の目が途切れないことです。
カリンはおばば様から『あまり人前で魔法を使わないように』と言われていたのです。
⎯⎯洗濯魔法が使えないわ。
⎯⎯チッカ……
それに、苦手な人たちを魔力感知で避けてきたのに、向こうからカリンの職場に押しかけて来るのでは逃げようがありません。
ライラに相談してみたら、皆が押しかけてきた理由がわかりました。
その理由とは⎯⎯“井戸の女神の加護”なるものだったのです。
⎯⎯えっ? 何それ……。
⎯⎯チカチカッ?
乾いた洗濯物を受け取りに来たライラに相談してみると、「噂を聞いてないの?」とあきれられてしまいました。
ライラの話によれば、この騒ぎの元はカリン自身なのだというのです。
「まず、最初に話題になったのが、私たちの仕事着よ」
ライラやカリンたち、いわゆる下級の小間使いの仕事着が最近妙に綺麗だと言う人が増えてきたそうです。
染み1つ無い真っ白なエプロンとメイド服など、まるでおろしたてのようだと注目を集めたのです。
他にも、学生寮の食堂の料理人より従業員食堂の料理人の服の方が真っ白だとか⎯⎯。
馬屋番の仕事着の嫌な臭いがしなくなったとか⎯⎯。
第5洗濯場の新人小間使いの洗濯の腕前が、今、とても高く評価されているのだそうです。
「でもね。それ以上に話題になっているのがこれよっ!」
ライラはカリンの頬っぺたをぷにぷにと両手でつまんでみせました。
「なんであんたの肌は、こんなに艶々プルプルなのよ!」
井戸の女神様を見物に来た人たちが、カリンのツルツルの綺麗な肌に驚き、そこから⎯⎯
「井戸の女神様のご加護を受けた水で洗えば、肌が綺麗になるっていう噂が一気に広まったのよっ!」
⎯⎯えっ? 何それ……。
⎯⎯チカチカッ?