春
なにかが起こる予感と何も起こらない確信のあったあの夜から二ケ月が経った。俺の予感は裏切られ、確信は事実に変わった。なにもないすばらしい青春があの日からずっと続いて、俺はひたすらに退屈していた。
新学期が始まるまでのこの時期が、俺はいつもどうしようもなく憂鬱だった。どこかせわしなくぎごちない、そんな空気が嫌いだった。
だからだろうか、部活が終わったその日の午後も、俺は友人たちの遊びの誘いを断っていた。俺は家に帰ると昼飯を食いながら、とりとめもないことを考えていた。写真を撮りに行こう。そんな考えが頭をよぎったのは午後二時のことだった。俺は祖母にもらったカメラをリュックに突っ込むと自転車の前かごに乗せて家を飛び出した。
自転車を漕いで向かったのは、街の小さな祠だった。ガキの頃、飼ってたカブトムシが死んだ時に埋めに来たそこは、見事な桜の老木がたっていて、その木は細いながらに満開に咲き誇っていた。
僕は祠に手を合わせ、そしてもう一度どこともなく手を合わせるとカメラを取り出す。祖母によく重すぎると、文句を言われていた一眼レフにレンズをつけると、僕はファインダー越しに桜の木を覗く。生憎の曇天をかき消す様な薄紅は、どうしようもなく美しかった。僕はカメラを構える。何回も、何回も、薄く雲のかかった、生暖かい春の昼下がりの中で、僕はひたすらに写真を撮った。
どれだけ撮っただろう。僕は何枚かの写真を確認すると、カメラからレンズを外す。そして最後にもう一度、祠に手を合わせると俺はカメラを入れたリュックを自転車のカゴに入れた。
そのあと、俺は河の桜並木や児童公園の大桜など、当てどなく待ちの桜を撮って回った。意味なんてない。誰に見せることも無い。そんな写真でメモリが埋まっていく。そんな作業が心地よかった。
そうして、僕が最後に行き着いたのは、自分の通っていた小学校だった。数年前に立て替えたその校舎の真新しさとは対照的に、旧校舎から移植された桜たちは、太く傷の目立つその全身に美しい花をつけていた。
僕はカメラを組み立てる。いつの間にか雲をは消えていた。眩しいばかりの夕暮れが僕を見ていた。僕は地上から何枚か撮ると、学校の隣にあった歩道橋に登った。線路の高架のすぐ側にあるその歩道橋からは、痛いほど眩しい夕暮れが綺麗に見えた。僕はその夕暮れを指で切りとってメモリにしまった。電車が来る。轟音ともに桜が散る。僕はカメラを構える。
彼女がいた。
僕はシャッターを切った。
そして、メモリを確認する。
そこには花吹雪に佇む誰かが映っていた。よく撮れていた。
僕は写真を消すと、カメラをしまった。夕暮れは僕を見ていた。
俺は最後に一枚だけ、写真を撮った。それは桜も夕暮れも映っていない写真だった。
落陽をむかえ、俺はリュックを自転車のカゴに詰め込むと、家に帰った。もう夕暮れは俺を見てはいなかった。
俺はその後も何年も写真を撮った。とってとって、撮り続けた。その度に、僕は僕を見ていたあの日の夕焼けを思い出した。
僕が人を撮ったのは、あの日だけだった。
そして、その写真も今はもう手元にはない。