【2話:悪魔】
ボロボロに汚れた白シャツを着て僕は両手にパンやジュースを詰め込んだビニール袋を持ち屋上へ走っていた。
屋上のドアを開けると金髪ロングの色白な女と茶髪で癖っ毛な少し褐色がかった女。あと男が数人座ってだべっていた。
「おせーよクズ。いつまでまたすんだよ。腹減って死んじゃうよ」
「暴行犯から殺人犯になっちまうな!」
金髪の女、中町千紗はそういうと僕から袋を奪い取ってパンを食いだした。
「お前いつまでいるの?目障りだから早く消えてよ」
茶髪の女がそういった。彼女の名前は衛宮恵美。僕はこいつらを視界に入れたくもない。目をつぶって駆け足で屋上を後にした。こんなことになったのは全部あいつのせいだ。中町も衛宮も他のやつも所詮あいつの犬でしかない。全ての原因はあいつなのだ。
一ヶ月前。
高校生になれば何かが変わり友達たくさん、彼女もできて楽しい生活を送れるものだと幻想を抱いていた。しかしその幻想はぶち殺された。
世界は小さいもので同じクラスに中学時代、僕が重傷を負わせた少女がいた。それまで気にしたことはなかった彼女の名前を僕は覚えることになった。彼女の名前は蛹咲美奈。身長は小さくだがどこか大人の雰囲気のある少女だった。長くはない黒髪を後ろで一つに束ねていてうなじには傷がありそれをわざと見せているようだった。
僕がクラスに入るともうそこは蛹咲美奈のテリトリーだった。彼女は僕に重傷を負わされ中学はほぼ全く通うことができなかったこと、そのほか僕の悪口を有る事無い事クラスに広められていて冷たい視線が僕にズカズカと突き刺さった。僕の言い分など何も聞いてもらえず最低クズ人間のレッテルが貼られていた。
最初は些細ないじめもどんどんエスカレートしていった。
パシリ、SNSの書き込み。そんな程度だったものがいつの間にかトイレの便器に顔を突っ込まされたり集団リンチ。先生にも相談したが僕の前科を知っている彼らは僕をおびえて話など聞いてもらえなかった。両親には家を追放された身なので相談できず、ストレスというストレスはどんどん溜まっていった。
そんな生活を繰り返しているうちに僕は無感情になるということを覚えた。この世のものは全て原子からできているのであってそれらの違いはどれだけ電子を持っているかということだけなのだ。つまり世の中ただ電子がどれだけあるかで決まっているのだ。そう考えるとなんか色々考えるのが馬鹿らしくなる。
無感情の世界は楽だった。嫌なことひとつ起きない。何をされても何もされなくても。
ある休日のこと。飯の材料を揃えにスーパーで買い物をすませた帰り道。中町と衛宮、そして蛹咲に道中で遭遇した。してしまったのだ。「ついてこい」と一言言われて僕の腕を掴み近くの公園へ連れ込まれた。
「お前辰巳と同じ中学らしいな」
辰巳?僕の感情が一瞬にして蘇った。
「辰巳、お前と仲よかったことがバレてあっちの学校でいじめられてるんだよ!彼は、彼は!」
涙を浮かべながら僕の頬を思いっきりぶん殴った。僕は頭の中が真っ白になりながら吹っ飛んだ。背中を強くうったが痛みを感じるほど脳に余裕がなかった。辰巳がいじめられている。僕のせいで?僕は何のために生きているんだ。生きている価値はないんじゃないか。
〜〜〜〜〜死のう〜〜〜〜〜〜〜
翌朝。僕は学校の屋上から飛び降りることにして屋上へ向かった。
死ぬのは怖い。でも死のうとするのはそれ以上に辛いから人は死のうとするのだ。人は他の生物と違い自殺をするのは他の生物よりも不幸せだからなのではないか。次の人生は人間以外に生まれたい。
屋上に着くと中町と衛宮と蛹咲が早弁をしていた。
「は?なんでお前がいるの?」
蛹咲が汚物を見る目で僕を見ていた。何も返答ができず俯いていた。
「死ねよ」
死のうとしていたのにその言葉は不思議だ。その言葉は心に刺さる。苦しい。
長い金髪をなびかせながら中町が近づいてきた。手にはバケツを持っていた。
「二人とも水持ってる?」
水筒の水をバケツにためて僕の目の前に置いた。
「苦しめよ」
頭を掴まれ顔をバケツの中に突っ込まれて息のコントロール権を彼女らに取られた。水から解放されたと思って息をするとすぐにバケツの中に顔を戻されて水を飲み込んでしまう。これは拷問だ。助けて。
そうだ。僕はクズ人間だ。誰も助けになんてきてくれない。
ガチャン!
屋上のドアが開く音とともに女の子が入ってきた。
美しい黒髪。すらりと長い手足。水鳥舞子だとすぐに理解できた。同じ学校だったんだ。
舞子はプルプル足を震わして何かを口にして走って屋上をさっていった。もう何も思わなかった。人生を捨ててまで救った人に見捨てられたというのに何も感じない。いや、確かに心の何かがプツリと切れたのかもしれない。だがもうどうでもいい。これから死ぬのだから。
「お前ら、どけよ」
蛹咲ら三人を振り払った僕は濡れた前髪を両手でかきあげて僕はびしょびしょの服を脱ぎ捨てた。チャイムの音を背にフェンスをよじ登る。
さよなら。くそったれな僕!
僕は目を疑った。この世の生物ではないような、そう。惨烈な姿が横にいて鳥肌がたった。
「三途の川はまだ見てねぇよな」
「・・・。」
「俺はザックスぅ。悪魔だぁ。」
ザックスと名乗る悪魔は僕の肩をポンと叩いた。色々なことが起こりすぎて脳内が全く整理できていない。落ち着いて考えてみた。
まず僕は自殺するために屋上から飛び降りた。落下しているはずの僕の横にはおぞましい姿の怪物。そいつは悪魔を名乗り・・・ん?というか落下していない。
「落下止まっているのか?」
ザックスはニヤリと笑うと得意げに喋り出した。
「俺は悪魔だし魔法が使えるのさぁ」
「時間を止められるのか?」
「バカなのかぁ?無理に決まっているだろぉ。とは言ってもこの状況じゃそうも思うかぁ。」
「・・・。」
「動けないだろぉ」
ザックスは僕の頭を指差した。
「情報処理能力を一時的に超高速にしているだけさ。と言っても死にかけの人間にしか使えないけどな!ほら、死にかけって情報処理能力のリミッターがはずれるんよ。走馬灯とか見るっていうだろ?」
「それで要件は?無意味にそんな魔法を使ったりしないでしょ」
笑みを浮かべた悪魔はパチンと指を鳴らした。するとあたりは一瞬にして薄暗い夕焼けのような赤みのかかった風景、見渡す限り枯れた木々はあるも人工物らしきものはない「ザ・魔界」という感じの場所になっていた。
僕はまず自分の体が動くようになっていることを確認した。いろいろと信じられない事が立て続けに起きているせいかそこまで驚きの感情は生まれなかった。
「どうだ?魔界にようこそぉ!」
ザックのテンションは高く手を横に広げくねくね腕を動かしていた。実に奇妙だ。
「それでさっきの質問の答えは?」
悪魔は踊りをさらに激しくしながら僕に近づいてきた。そして右手の人差し指を立てて僕の顔の目の前に出してきた。
「俺は魔王になりたい。そんで協力して欲しいってわけさぁ」
「魔王?」
「魔界の王。まぁ簡単に言えばこの世で一番偉い権力者ってとこかなぁ?」
「なるほど。でも僕はただの人間だ。燔祭的な何かの生贄にでもしたいのか?」
ザックスは黒い羽をバサリと広げると僕の頭上をなぜか急に回り出した。
「ハハハ!生贄かぁ。それだったらお前みたいな醜男よりも可愛い女の子の方が効果ありそうだろぅ。だいたいそういうのは神がすることだろう。悪魔は正反対の立場にいるんだなぁ」
そういうと飛ぶのをやめて僕の前に立ち今までのふざけた顔が嘘なように真面目な表情になった。
「復讐したくはないか?」
沈黙。
魔界には風はないのか人間界では絶対に味わうことのないであろう静けさだった。僕の心の中には確かに「恨み」「憎しみ」そういった類の感情は大量にあったと思う。ただそれらの感情の矛先の大半は自分へ向けたものだった。
僕がいなければ辰巳はいじめられずに済んだ。僕はあんなに僕によくしてくれた大切な友人を傷つけた。
「復讐は、する気は無い」
ザックスは困った顔をしてため息をつくと指をパチンとならす。
僕の目の前には悪魔がいた。悪魔というのはザックのことでは無い。蛹咲美奈だ。
「そうよ。全部お前が悪いのよ。神楽坂くんはお前のせいで苦しんでる」
彼女の横に中町と衛宮が現れる。
「死んで本当に良かったわ」
「世界平和ばんざーい」
なんだ。こいつら。お前らのせいだろうが。そうか。僕は辰巳のために、コイツらに復讐するべきなのではないか。
背後でガサリという音がなる。振り返るとそこには舞子の姿があった。彼女は何も言わずどこかへ歩いて消えていった。
「・・・。」
服の袖で赤くなった目をこすった。涙を拭うと景色はもといた屋上に戻っていた。
夢だったのか?夢でもいいや。自殺する考えは変わった。
「俺が魔王になってやる」
俺は学校の最寄りの駅へ向かった。
(柳大輝、聞こえているか?)
俺の脳に直接声が聞こえる感覚。こんな事ができるのはきっとザックスだろう。
「ザックスか?どこにいる?」
(俺はお前の中にいる。考えるだけで会話できるから声に出さないでいいよぉ)
俺の中にいるのか?この復讐の思想になっているのも悪魔に取り憑かれているからなのか?
(いいかぁ、大輝。一度しか言わんからよくきけぇ)
俺の頭の中にはふざけた口調だが重く真面目なトーンの声が響く。
(お前には特殊能力が一つ与えられたはずだぁ)
(特殊能力?)
(あぁ。悪魔が取り付くと何らかの特殊能力が使えるようになるんだぁ)
(どんな能力なんだ?)
(それは俺にもわからんなぁ。だが能力の発動条件はわかる)
悪魔は間を開けて勿体ぶってから発言した。
(相手に直接触る。どんな事が起きるかはそれでわかる、それと最後に触れた相手に能力は作動する)
相手に触る?どんな能力かわからないのならばどこかで試さなくてはいけないな。復讐がてら蛹咲で試してみるか。
俺が駅へ向かったのはもともと蛹咲への復讐のためだった。元々のプランは俺があいつに気づかれるようにすれ違い路地裏へ連れて行かれるように誘導する。そこで力ずくで誘拐しようと思っていたが気が変わった。
(なぁザックス、俺はお前の思い通りまんまと復讐の道を歩もうとしているわけだが今はそんなことはどうでもいい。だがこれだけは聞いておきたい。お前は全力で復讐に協力してくれるんだな)
(そうだな)
(了解だ)
俺の視界に蛹咲が入ってきた。ついに復讐の時がきた。思い返せば中一の時、コイツが舞子をいじめていたのがすべての原因だ。そのせいで中学時代は周りから避けられ高校では盛大にイジメにあった。
とりあえず能力を試す。やれそうならばその場で復讐する。俺は彼女の背後にまわり、気づかれないように隙を伺う。人間触れられなくても自分の間合いに入られると違和感を感じて気がつかれてしまう。人によって間合いはまちまちだが大体一メートルちょいだ。触れに行くにはその間合いに入らなくてはならない。普通なら気がつかれる。しかし例外がある。それはたくさんの人が間合いの中にいる時だ。そこを狙うしか無い。
授業が終わり帰宅部の人たちが大量に帰宅するこの時間帯。蛹咲は友人数人を周りにおいてあるいている。間合いには人はいるが女子の集団というものにはなかなか近寄れない。この時間帯は学生は多いが一般人はあまりいない。もう少し遠くから様子を見ることにした。
電車に乗り二駅。俺は蛹咲らの座った席から一ドア離れたドアの横の角ポジションに寄りかかって立っていた。友人集団はみんな降りて蛹咲は一人になった。
彼女がどこの駅で降りるかは知らないが一人で降りることは確定した。電車から降りるときは多分数人の乗客が彼女の間合いにはいるだろう。そこが狙い目だ。
俺の読みは見事当たった。彼女がドアの前に立つと数人の男性が周りに集まった。降りる瞬間タッチする。
「ちょっと離しー」
一瞬蛹咲が声を出したかと思えたが電車の音でかき消された。だが俺の耳にはしっかりと聞こえていた。痴漢だ。
蛹咲は男に囲まれ口を押さえられスカートの中に手を入れられている。男の影でよくは見えないが多分状況はそうだ。俺の気分は不思議と良くなかった。復讐すべき相手が痴漢にあっている。僕の心は喜ぶはずだろう。ところがその男らに獲物を取られたという気持ちがあったのか、俺は驚くべき行動に出ていた。
「おい!離せよ!」
蛹咲の手と男の一人の腕を掴み無理やり引き離した。
「柳?」
驚きからか痴漢から逃れられホッとしたからか彼女の声からはいつもの覇気が感じられずか細かった。
痴漢の男らの一人は俺の腕を力強く掴むと反対の手を握り俺の目の前に見せるように構えた。
「痴漢?何言ってるんだ?冤罪!名誉毀損!」
前の俺なら怯えていただろうか、だが悪魔に取り憑かれているせいか心が落ち着いていた。
「いてぇよ、離せ」
俺は小さな声で腕を掴んでいる男の耳元でささやいた。睨みつける。
「何だその態度?」
俺は掴まれていない方の手で男の胸ぐらを掴んだ。軽い。楽々持ち上がる。
「痛いって言ってるだろ。聞こえんのか?」
男は苦しがり両手で助けを求める合図を送った。周りにいた男どもが一斉に殴りかかってきた。すごい。パンチの軌道が目で追える。
(これも悪魔の力なのか?ザックス)
(悪魔が取り付くと脳のリミッターが少し外れるらしいなぁ、でも調子乗るなよぉ!リミッターがある方が人間正常だぁ)
(正常ねえ)
俺は痴漢魔集団を撃退した。蛹咲は腰を抜かしたのかドアの前に尻をついている。俺は彼女を見下ろしながらホームへ降りた。
「俺は変わった」
なんだかんだあったが彼女に触れるミッションは成功した。さて、俺の能力はなんだろうか。復讐に使えるものだといいな。
俺は一人暮らしで月四万のボロアパートに住んでいて部屋に帰っても何もなく布団に寝転がるくらいしかやることがない。着替えもせずに布団に大の字に寝転んだ。
(なぁザックス、能力はどうやったら発動するんだ?)
(発動のさせ方かぁ。対象相手に接触してから二十四時間以内に指を鳴らせぃ)
(え?指パッチン?)
(指パッチンだぁ)
(俺、鳴らせないんだけど)
(ふぇぇぇ?)
俺はその場で指パッチンをしようとする。
「スカッ」
(ほらな、鳴らせないだろ・・・え?)
俺は目を疑った。辺りを見渡すと部屋が全体的にピンクだ。手を見る。小さい。指は細くスラリとしている。ベットに寝ていたはずが椅子に座っている。立ってみると肩のだるさを感じ原因は胸がいつもより重いからだと気がつく。情報を整理すると体が女になっている、というか部屋まで女物になっている。
(ザックス、これは何だ)
返事がない?今俺の体の中にザックスは居ないのか?
「美奈姉さん、夕飯作ったけど食べる?」
下の方から可愛らしい女の子の声が聞こえる。美奈姉さん?「美奈」って「蛹咲」の事か?ということはこの声の主は蛹咲の妹なのか?
「待ってて、今行く」
声は聞き覚えのあるものだった。やはり俺は蛹咲美奈になっていた。