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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

音楽、命 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 む、つぶらやくん。今、何か言った? もう一度、ゆっくり言ってもらっていいかい?

 ああ、音量は上げなくていいよ。ちょ〜っと滑舌を意識して、遅めに話してもらえれば。

 ――はいはい、オッケー。急ぎの用じゃないから、大丈夫だよ。


 いやあ、参ったねえ。このごろサ行の音が聞きづらくなってきたんだよ。電話口で会話する時なんか、うっかり聞き逃したりしやしないかと、ひやひやものさ。

 五感って、大事なものなだけに、目立つよねえ。それを補正する道具を扱い出すと、なおさらさ。眼鏡ももちろんだが、補聴器なんかも気になる時があるなあ。

 私も中学生時代に補聴器をめぐって、不思議な体験をしたよ。

 どうだい、仕事は終わりそう? けりがついたら、休憩がてら聞いてみないかい?


 夏休みが終わって、最初の登校日。

 始業式で整列した時、すぐ前の男の子がイヤホンを片耳だけつけていたんだ。

 イヤホンは、耳を横切るように渡された2本のテープで、がっちり固定されている。それが気になって、校長先生の話が頭に入ってこなかったよ。


 その後のホームルームで、担任の先生から、私たちに呼びかけが成される。

 イヤホンをつけている彼は、現在、補聴器に頼っている状態であること。彼と話す時には、スピード、滑舌、音量に配慮してほしいことが伝えられた。

 彼のワイシャツの胸ポケットには、黒い影とふくらみが見受けられる。この中の補聴器でキャッチした音を、イヤホンで耳に送っているのだと。

 一学期まで特に異状がなかったはずの彼の変わりように、何人かのクラスメートが理由を尋ねた。けど、彼自身は「ちょっと事故でね」と答えたきり、そのことについては口をつぐんでしまったよ。

 

 彼の補聴器は、骨折した時にお世話になる松葉杖や三角巾のように、何かと目につくものだった。

 そのうえ、今よりも輪をかけて、承認欲求の塊だった当時の私の頭の中だと、配慮されることは、すなわちVIP待遇を受けること。ひとことで言えば「ずるい」。

 じきに収まるであろう特別扱い。それをすぐにでも消してやるため、私はさりげなく、彼に関するあら探しを始めたんだ。


 そして、機会が訪れる。

 涼しい時期になったためか、体育ではグラウンド競技を行うことが増えた。

 私たちの学校では準備体操代わりに、先生が見ている前で400メートルを走り、脈拍を記録している。

 方法は、タイムが近い者同士で二人一組になり、互いに15秒間での脈を数えて、4倍計算だ。


 私のペアは例の補聴器をつけた子。ペースを調整し、彼と一緒になれるよう仕組んだ。

 互いの手首を手に取り、朝礼台の上に置かれている大型スポーツタイマーで15秒を見る。だが、そのわずかな間で、私は違和感を覚えた。

 最初の3秒くらいまで、彼の脈は走り終えた直後にふさわしい激しさ。それが一秒ごとに、どんどん勢いが衰えていき、10秒経つ頃には私の普段の脈と同じか、更に少ない次元にまで落ち着いてしまったんだ。


 計測後。私たちは、個人が通年で使う、体育の個人ファイルに授業ごとの脈拍を書くことになっていた。

 その際も、彼が記録するのをこっそりのぞく。一学期に比べ、明らかに彼の脈拍が少ない。

 私の中で、スポーツ心臓というプラスの意味から、不整脈というマイナスの意味まで、一気に想像が膨らんだ。


 ――彼が体験したという事故。もしやかなり重いものなんじゃあ……。


 そんな予想は、次の柔軟運動ですぐさま揺らぐことになる。


 長座体前屈。座った状態から前にかがんでいき、後ろからパートナーにも押してもらって、筋肉を刺激する運動だ。

 脈を取ったペアが、そのまま柔軟のパートナーとなるので、私の背中を彼に押してもらう流れ。

 腰と太ももに、糸で釣られているかのような痛みが走り始める……その一方で、私は背中に別種の刺激を感じていた。


 クラシック音楽の響きだ。

 彼は体育の時でも、変わらずにポケット型の補聴器を使う。ズボンの間に挟み込んだうえで、テープで固定していた。それが彼のズボンが近づいてきたために、かすかに私の耳へ聞こえてきたんだ。

 曲は「白鳥の湖」。最近、音楽の授業で聞いたフレーズの部分で、印象に残っている。それが私の骨を伝い、脳へ届けられた。


 ――こいつ、授業中に音楽を聴いていやがる。


 そう思うと、つい先ほどまで抱いていた気の毒さが、きれいに吹き飛んだ。

 私だって学校の行き帰りに、ウォークマンで音楽を聴く楽しみを持っている。だが、校内で音楽を聴くのは、全面的に禁止のはずだ。

 それを「補聴器」と偽ってルールを破り、あまつさえ授業中に垂れ流している。

 許せない。


 すぐにでも彼からウォークマンを取り上げ、校則破りを糾弾する手もあったが、私はそれをしなかった。

 どうせやるなら、公開処刑。こんな体育の最中などというみみっちい場面じゃなく、大勢が集まる前で不正を暴いてやりたい。

 そして自分は、正しいことをした英雄として注目を浴びるんだと、顕示欲の権化というべき思考回路だった。

 その演出のために、焦りは大敵。チャンスはたった一度だ。成果を存分にあげるには、外堀を埋め、魅せる下地を整えなくては。

 そのために、彼の実態を探らないといけない。

 

 以降、それとなく私は、彼とコミュニケーションを取る時間を意識的に増やしながら、様子を伺った。やがて都合が合えば一緒に下校するようになり、心の中でほくそ笑む。

 絡むフリをしてボディタッチ。ウォークマンから流れる音楽も確認。

「白鳥の湖」以外にも、「トルコ行進曲」や、「子犬のワルツ」などといった有名どころの曲が、生地を通してひそやかに聞こえてくる。

 幼稚園や小学生の学芸会を思わせるチョイスだ。

 

 ――静かなところだったら、これは目立つぞ〜、きっと。

 

 一ヶ月後に控える合唱コンクールを、私は暴露の機会に見据えていた。

 

 ――保護者もいるホールのど真ん中で、不正を暴き立ててやる。いや、それだけだと目立たないだろうから、暴く予定のポイント近くにアンプも持ち込もうか。でも、都合よく、当日に仕込めるかな?

 

 もはや演出家気取り。

 いかに、自分が正義の執行者であることを示すか、それにしか私は関心がなかった。後先も他人の迷惑も埒外らちがいだ。

 

 半月が経つ。すでに歌う曲も決まり、パート練習をする機会も増えた。

 男子陣はモチベーションが低い奴が多く、行事熱心な女子陣にぶうぶう文句をつけられて、逆ギレ寸前。

 そんな不和も、私が当日企画しているショーの前には小事。「研究」と「打ち合わせ」のために、その日も彼と一緒に下校した。

 毎週火曜と金曜は、帰る途中のコンビニで買い食いするのが習慣。今回は私がピザまん。彼はカレーまん。

 駐車場には珍しく車やバイク、人の姿もなく、ゆうゆうとコンビニの敷地を横切り終えんとした、その時だった。

 

 一台の車が、車道を猛スピードで通り過ぎて行く。「ヴン」という空気のうなりが聞こえるほどだったが、速さの副産物がついてきた。

 車道に転がっていたと思しき石。それがタイヤにはねられて、一直線に私たちへ向かってきたんだ。

 私が反応できた時には、すでに石が車道側を歩く彼の耳を直撃していた。それほどの速さだったんだ。

 テーピングがはがれ、コードでつないだイヤホンがボロリと取れる。ベートーベンの「エリーゼのために」が流れ出た。

 

 彼自身は足を止めるや視線を落とし、垂れたイヤホンを一瞥。すると、急に激しく咳き込み、のどを両手で押さえながら倒れ込んだ。

 せきが止んでも、過呼吸を思わせる息の乱れ具合。のみならず、彼が息を吸ったり吐いたりするのに合わせ、浮かびかけののどぼとけが、出たり引っ込んだりを繰り返す。

 出る度合いも尋常じゃなく、のどの内側から指を伸ばしたんじゃないかと思うほどで、皮膚を突き破らんばかりに押し上げられる。

 

 彼の全身も同じ。

 腕といわず、足といわず、中指ほどの太さ、長さを持つ無数の突起が、息を吸うたびに皮膚の内側から持ち上がり、息を吐くたびに戻っていくんだ。

 まるでハリネズミが自分の針を、盛んに立てたり倒したりするかのごとく。それを何倍にも大きく、速くしたかのようだった。

 一度、針が突き出かけたところは青タンと化し、なおも猛烈な突き上げを食らい続け、彼は苦悶のうめきをもらす。

 思わぬ事態に固まってしまう私。彼は全身を「とがらせ」ながら、自分の耳を指さす。


「聞かせて。早く、聞かせて」


 かろうじて、そう聞き取れる。私は飛び出す突起に気をつけつつ、垂れたイヤホンを取り、彼の耳へ押し込んだ。

 呼吸が落ち着いていく。それに合わせて、身体の隆起も急激に収まっていった。

 ふう、とため息をつく私の前で、一度だけ。彼の右手の親指の先が大いに張り出したかと思うと、皮膚が破れて、血と共に飛び出したものがある。


 一見、ぬい針のようだったが、その下に米粒の破片らしきものが、たくさんくっついている。

 地面に針がついたとたん、米粒の破片がかさこそと足のように動き、どんどん遠ざかっていってしまったんだ。

 その直後、彼は血の出る親指を押さえながら立ち上がる。およそ十秒足らずのことで、たいして人が集まることはなかった。

 あの突き出かけた針らしきものについて、彼は「治療の一環」と答えてくれたよ。


 彼が夏休みに負ったけがは深く、まだ完治していない。

 そこであれらが、今もリアルタイムで体調を整え続けてくれているらしい。もし、あれらを身体に入れなかったら、今でも病院で寝たきりだろう、と彼は語る。

 ただあれらは四六時中、クラシック音楽を聴いていないといけない。さもないと、今見たように暴れ出して、身体を壊しにかかってしまうのだとか。

 素直に話すと面白がられるだろうし、苦しい思いをするのも嫌だから、みんなには補聴器と語ったらしい。


「君がいてくれて、助かったよ。ひとりだったら、あの場で死んじゃってたかもしれない」


 屈託なく笑う彼。

 当然、私の独善ショーの予定は、取りやめざるを得なかったよ。

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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                      近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] 補聴器の彼に対する面白くない感情の描写、心に来ました。 でも、こういう部分もしっかり書けるのが、本当に凄いと思います。 どうして、こう鬼の首を取ったように、自分の正義を振りかざしてしまう…
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