2、初めての魔法と共同生活
杖はいい加減に振るだけでは、教室の明かりを光らせることすらできない。魔法にはコツがある。杖の振り方、呪文の詠唱、念の入れ方。先生ぐらいになればさっと一撫でで教室の明かりは変わるようだが、僕たちはそうはいかない。何度も何度も、「変われ」「変われ」と気持ちを込めて振っているのに一体僕の何がいけないのか教室の明かりはぴくりとも変わってくれなかった。
「ちぇっ、本当に変わるのかよ」
ところが、不満を口にするエレンの上で、ぴかりと教室の明かりが桃色に灯った。
「おお、できる子はもうできるみたいだね」
先生が関心したように言う。
「すっげー、誰だよ今の」
誰かが明かりの色を変えたと知り、エレンは慌てて子どもたちを見回す。
だが、僕たちはエレンの答えを用意することができなかった。何せ、全員が全員杖を振っていたせいで誰の魔法が成功したのか分からなかったからだ。
「みんな、一旦杖を振るのをやめましょう。順番に振ったら誰が成功したのかわかるわ」
リナの提案でひとまず全員が杖を下ろす。さて誰から試すかと顔を合わせたところで、明かりが一度消え、そして灯った。今度も桃色だ。
「おい、今振ったのって」
「私よ」
声をあげたのは、驚いたことに先ほどまでつまらなさそうにしていたウルリカだった。ウルリカだけは1人椅子に座ってのんびりと杖を振って遊んでいただけだったので、1番やる気がなさそうにみえた彼女が成功させたとは思えなかった。エレンも僕に同感のようで、その表情ははっきりと訝しんでいた。
その様子を見てか、証明するには見せるのが1番とばかりに、ウルリカは杖をさっと振った。その姿が、やる気のない表情を除けば、とても様になっていたのはなんだか少し悔しい。
「本当だ!」
教室が今度は赤色に照らされる。途端にウルリカの周りに人だかりができた。
「すげー!」
今日何度目かになる言葉が教室に響く。
思わず、僕は杖を振っていた。その途端、明かりが青色に染まる。
「わっ、できた……!」
今の感覚だ。今の感覚で振れば、魔法が発動するんだ。改めて杖をじっと見る。赤茶色のその姿がとても格好よく見えた。
僕たちは魔法使い。この杖があればどんなことでもできるんだ。
実際にやったことは明かりの色を変えることだけだが、それでも初めての魔法の達成感に、僕の頬は朱に染まった。
僕が感動を味わっている間にも、次は自分だといわんばかりに子どもたちが杖を振り出し始める。そのせいか、ちかちかっと明かりが点滅したが、結局皆順番など守らなかったせいで誰の振りで点滅したのかよくわからない。
そんな様子をみて先生が苦笑し、パンパンと手を鳴らした。
「今日はここまでとしよう」
子どもたちの不満な声が教室中に響いた。静まるのを待ってから、先生は続ける。
「中には特別相性のよい子もいるようだが、君たちはまだ杖を手にしたばかりだ。杖が君たちに馴染むまでは、簡単な魔法でも中々成功しないだろう。明日やってみよう。いいね?」
待てば魔法が使えるようになると聞いて、子どもたちは少し大人しくなった。不満はあるようだが、希望が見えたのだ。そんな様子の子どもたちの中で、僕は胸のときめきを隠せないでいた。
特別相性の良い子。
それはきっと僕とウルリカのことだ。この杖が僕に魔法の力をくれている。愛おしくなって、僕は優しく杖を握り直した。
***
僕たちが次に案内されることになったのは寮だった。教室のあった棟、教育棟とは別の建物になるということで、僕たちは早々に教室を後にした。不思議な話だが、僕たちの記憶は教室で杖を授与された時より以前のものがない。それが魔法の影響なのか単に幼かったからなのか分からないが、なんとなく魔法の学校に選ばれるということはそういうことなのだろうと、自分を納得させている。それに記憶なんてなくても何も問題はなかった。ここには魔法があり、先生もいて、同じ仲間がいた。それに学校という場所は遊び場にはもってこいだった。
「見て、あそこ、おもちゃがいっぱいあるわ」
一足先に見つけたリナが、先導する先生を追い越して走っていった。
先生が「走ると危ないよ」といっても「大丈夫!」と元気に返してくる。リナの様子に負けていられるかとエレンが続き、僕も走り出した。魔法を見た後で今更おもちゃなどどうでもよいとも思ったが、すぐに思い直したのだ。ここは魔法の学校。おもちゃにも何か不思議な力が込められているに違いないと。
果たして、その考えは的中した。おもちゃは別の教室の中にあるらしく、リナはその教室の窓にくっつくかのようにして顔をへばりつけている。そのせいで、リナの吸い込みそうな茶の瞳が窓ガラスに映っていた。
エレンがそれに合わせるように隣で顔をくっつけ、僕もその横で窓を覗き見る。あったのは一見普通の積み木だった。教室の真ん中に無数に並べられた積み木。
それに、僕は「あっ」と叫ぶ。汽車の形をした木のおもちゃがひとりでに地面を走っていたからだ。積み木でできた塔や家の間を通りぬけていくその姿は、魔法の力でそうなっているのだと思わせるのに十分だった。
「すげーっ!汽車が走ってる!」
さらには教室が全体的に暗く、星のような明かりがちらちらと光っているのが、その空間に特別感を出していた。
「綺麗っ!」
別の場所から声があがって、3人ははっと顔を合わせる。振り返れば、自分たちがいる教室よりさらに先のところで子どもたちが盛り上がっていた。すっかりそちらの盛り上がりに後れをとった3人は、慌てたように走りだす。綺麗と声をあげたのはオリビアだったらしい。口に手を当てて目を輝かせている。
オリビアたちが覗いている教室には、大きな水槽が用意されていた。そこから水が一人でに飛び交って、上空の明かりに照らされてきらきらと光った。噴水が1番近い表現だろう。しかし噴水にしては、ころころと飛び方を変えるその動きはまるで生きているようにすら見受けられた。
「あれ、開かない……」
イリーナが教室の扉を開けようとして、首を傾げている。先生がそこにやってきて、「ほらまずは寮に行くよ」と急かした。
「この教室は魔法に慣れてから挑戦してもらう予定だからね」
いつかこの不思議な教室で魔法を使えると知り、皆の目が輝いた。僕にはわかる。ウルリカ以外は皆、すっかり魔法の虜だ。
それからも何度も僕たちは、いちいち新しい発見に足を止めながら寮へと歩いた。そんな足取りだからか、寮と教室をつなぐ通路に出た頃には、外は薄暗くなっていた。
先生が杖で空を一撫でして、通路に明かりを灯す。その通路を先導しながら、説明した。
「寮は男女4人ずつに分かれて過ごしてもらうことになる。
この通路の先が共有スペース。それより上の階が女子、それより下の階が男子だ」
ここで上の階が良かったらしいエレンが不満そうな声をあげたが、先生は特に取り合わなかった。
「寮には寝室、シャワー室、食堂が用意されている。
遊びの類なんかは共有スペースに置いてあるけれど、くれぐれも夜更かしはしないようにね」
魔法使いの朝は早いよと先生は子どもたちを脅す。そんな脅しに屈せず子どもたちは自分たちの部屋へと駆け込んだ。すでに予感があった。子どもたち同士で共同生活する楽しみが、この場所には待っているのだと。
先生は子どもたちを見送って、寮を後にする。僕らはそんな先生のことすら忘れて、自分の部屋を覗き込んだ。
「うわぁ!でっけぇ!」
部屋は2段ベッドが2つあるだけの質素なつくりをしていた。だがそのベッドがとても大きいのだ。おまけに2段ベッドときた。梯子に登って寝るというのは、子ども心ながらにドキドキ感があるものだ。すぐに誰がどのベッドで寝るか争いになった。
「じゃあ、早い者勝ちで」
エレンは宣言と同時に梯子に飛び乗り、そのままベッドに乗り込むことに成功する。まずいと思った僕も、頑張った。何とか上段のベッドに入り込む。のんびりしていたクリスと、なぜかそこにはいなかったもう一人が下段のベッドだ。この時クリスはぼおっとしていたようでベッドをとられても特に何も言わなかった。あるいはクリスは高いベッドよりも洞穴のような下段のベッドのほうが好みだったのかもしれない。確かに洞穴は洞穴でわくわく感がある。僕は一瞬上段のベッドをとったことを後悔しそうになった。
「なぁ、寮内を探索してみようぜ」
やはり脅しなんてすっかり忘れたエレンの提案で、僕は寝室を飛び出た。クリスは疲れたのかついていかないといって首を横に振ったので、おいて行く。
「ここ、シャワー室だ」
隣の部屋はシャワー室になっていた。どことなく水の匂いが漂ってきて、僕はそっと扉を閉じる。大して面白くなさそうだったからだ。
次の部屋を覗けば、つるつるとした白面の床が僕を出迎えた。
「なんだここ」
「うーん」
エレンの質問に僕は唸る。つるつるの床の手前には下駄箱が置いてあった。そこに白い靴が用意されているのを見て、気が付く。
「運動するところなんじゃないかな、ほら。あそこで靴を履き替えてから入るんだ」
いわゆる『体育館』だ。
「けど、道具がないんじゃなー」
体育館によくありそうな道具、ラケットとかマットとかそんなものが見当たらない。僕は、そういう時だけ先生の言うことを思い出した。
「そういえば、遊び道具は共有スペースにあるって言っていた」
寝室から向かいにあたる部屋も覗けば、そこは数人が囲えるほどの大きなテーブルとイスが用意された小スペースの部屋だった。とにかく遊び道具がないと始まらないのだと気づき、2人で上へとあがる。
「あ、あなたたち!」
共有スペースにはリナとオリビアとイリーナの3人が集まっていた。
「君たちも遊び道具を?」
見ればオリビアは兎のぬいぐるみを抱えている。イリーナの手にあるのは絵本だ。
「食堂にいったのだけれど、まだ開いていないみたいだったから寄ったの」
「あくまでついでよ、一緒にしないで」といった感じにオリビアが言うが、そのぬいぐるみを抱えていては説得力がない。
「食堂、開いてねぇの……?」
お腹が空いたのか心持ち残念そうに、エレンが言う。
「えぇ、食堂は夜の18時30分、朝の8時30分のそれぞれ1時間の間しか開かないって」
リナが時計を指さして言った。それからひそひそ声で続ける。
「こっそり忍び込もうとしたんだけど、扉はすべて鍵がかかっているし、窓も内側からカーテンがかけられていて見えなかったの」
「……お前、そんなに腹が空いていたのか」
エレンの呆れ口調に、リナがぷぅっと頬を膨らませた。
「違うわよ。でも、開かない扉があると開けてみたくならない?」
リナは優等生めいた態度をとるくせに、その中身は実は僕らと何も変わらない。だからきっと、気が合うのだ。
「ふぅーん、まぁいいや。道具を見ていこうぜ」
女の子たちが持っているものに興味をひかれず正直やる気が薄れた僕は、曖昧に頷いた。それを見てか、リナがエレンたちの前に出る。
「ねぇ!せっかくだからみんなで遊ばない?」
驚いたエレンの返事を待つことなく、リナはオリビアたちを振り返った。
「オリビアちゃんたちも、いいでしょ?せっかくおなじ学校の生徒になったんだもん。みんなで集まってあそぼ?」
彼女たちはそれぞれぬいぐるみと絵本を持っていた。ひょっとすると、乗り気でないのかもしれない。しかし、提案されるとなかなか断りづらいのか、イリーナとオリビアがおずおずと頷く。
これは面白いことになった。エレンが反論してしまうと面倒だ。彼より先にと僕が続ける。
「それなら、クリスたちを呼んでこようか」
僕が賛成なのだと気づいたエレンは、乗ることにしたらしい。
「まぁ、ちょっと声ぐらいかけてやるか?」
「でも、ウルリカちゃんは来ないと思う……」
女の子は女の子で話が盛り上がっていた。
「ウルリカちゃんは……、私が声だけかけてくるよ。来ないならその時はその時かな」
リナがきっぱりというので、オリビアやイリーナはやはり断りづらいらしい。イリーナが最後の抵抗とばかりに続ける。
「それに、みんなで遊ぶって何をするの」
リナは待ってましたとばかりに、にやりとした。
「『おおかみさん、みっけ』!」
何のことだか僕にはさっぱりわからない。
***
結局、皆といいつつ参加者は、はじめに共有スペースで会った5人、僕とエレンとリナとオリビアとイリーナだけだった。四六時中つまらなさそうにしていたウルリカは案の定断った。僕たちもクリスに声をかけるべく部屋に戻ったのだが、その時にはすでに部屋はもぬけの殻だった。どこかにいるのだろうが、見つからなかったものは仕方がない。
「で、『おおかみさん、みっけ』ってなんだよ」
「これよこれ」
そういって、リナが共有スペースのおもちゃから取り出して見せたのは数枚のカードだ。1枚ずつ配っていく。
「このカードの中身を絶対に人に教えちゃダメだよ」
僕は手にしたカードをまわりに見られないように隠しながら覗きみた。そこには『おほしさま』と書かれている。
「これでどうするの」
オリビアの問いに、「あてるの」とリナが言う。
「この中の1人だけ『違うカード』を持っているの。その人、狼はそのことをばれないようにする。それ以外の人は『違うカード』を持っている人を探すの」
なんとなく、わかってきた。リナのやりたいゲームは謎解きの類なのだ。
「いい?この中の1人だけが『違うカード』を持っている。それがだれかを当ててね」
魔法と同じで、未知のものというのはなんでも面白い。僕は食いつくように皆が持っているカードを見つめた。
さぁ、何から探るべきか。意気込んだ僕だが、結果はあっという間に終わってしまった。
「なんだよ、空にそれがたくさんあったら大変だろ」
そういって見せるエレンのカードに書かれていたのは『おつきさま』。その後ろにいるリナもその隣のオリビアとイリーナの手にも『おつきさま』の文字。そう、僕が狼だったのだ。
「ポール君が1番狼っぽくないのにね」
果たしてリナのそのセリフは、誉め言葉なのかどうなのか。戸惑った様子の僕をみて「ふふふ」とイリーナが笑う。
「狼っぽいのは、エレンじゃない?」
オリビアが意地悪く言って、「どういう意味だよ」とエレンがむくれる。僕もつられて笑ってしまって、エレンに軽く睨まれた。
「よし、じゃあ次やろう!」
リナがそう言ってカードを配りだす。
多分、この時が初めてだと思う。皆との共同生活が楽しいと心の底から思えた瞬間は。
ちなみに、引きが良いのか悪いのか残りの狼もすべて僕だった。




