無能な監督
「何だ?」
「だ、誰も、そなたによき指揮など期待してはおらぬ。練習で無用なケガをさせぬことだけ注意しておれば、それでよいのだ、と」
「──……ニケのやつが、か?」
目をすわらせた流星のこめかみに、ぴしりと青筋がうかぶ。
礼音は、ぎくしゃくと目をそらした。
「上等だ。戦術はメッシ、なら俺でもできるって言いてーんだろ」
「……せん、じつ?」
「無能な監督は、ただ、スペシャルな選手がやりやすいようにチームをつくってやりゃあいいんだ、ってこと」
ふん、と鼻を鳴らし、流星はドカッとやつあたりのようにボールを蹴った。
そのまま、行方には見向きもせず歩いて行ってしまう。
礼音は、太陽にすけた黒翼をあおぎ見た。
はばたきに生じたそよかな風が、まるでため息のように落ちてくる。
うごきを目で追えば、つばさの下にあらわれた右手が、つ、と背番号1の赤いビブスを指さした。
まぶしいばかりでその表情はうかがえないものの、求めていることは言わずと知れる。
どこかあやつられているような心地で立ち上がると、礼音はそちらへ向かった。
「──シンノスケ」
ふり向いた顔が、おどろきの表情に変わる。
なぜか、まわりの視線も集まってきたことに、礼音は戸惑った。
すこし考え、手まねきをし、不安げに近づいてきたいかり肩に、その手をおく。
あとわずかの距離を、背伸びで補い、くちびるを寄せた。
「────え……」
耳元でささやかれたことばに、彼は困惑の表情をうかべてみせる。
もういちど言うべきか、思案しかけて。
礼音は、ふと耳にとどいた鈴の音をきき、べつのことを口にした。
「──あぶない場所に目がとどくのは、君のすぐれたところなのだから、だそうです」
ややあって、こくり、とうなずきが返ってくる。
視線を避けるように立ち去ろうとした礼音の耳に、誰かの名を呼ぶ声がとどいた。
「え、タカミ……って?」
首をめぐらせれば、いくつかの手がぱらぱらとおなじ方向を指し示す。
目礼だけを返して、礼音はぽつんと膝をかかえて座る黄色いビブスの背番号9に歩み寄った。
「あの──」
声をかけると、傍らの赤いコーンとおなじ高さにあった坊主頭がパッとはね起きた。
「君の足はとても速くてすばらしいけれど、大事にしろということは、甘やかすこととはちがうと監督からも言われたはずだ、ケアを怠っていたらいつか大怪我をするぞ……と、言われていますが」
とちゅうから青くなった顔が、無言のまま地面を向く。
「あ、の……君?」
「おい、どうした」
すっかり聞きなれた声にふり返れば、流星があわてた顔で駆けてきた。
礼音のからだを押し退け、いきおい地面にひざまずく。
『戦術はメッシ』とは……
懐かしいな。あれ、2010年のW杯かな。アルゼンチンの監督だったマラドーナが言ってたやつ。