神棚の神鏡
「たのむ、レオン」
急に、喪服の袖をつよく掴まれ、礼音はよろけるように流星の足元に膝をつく。
一瞬、おどろいた顔をした流星は、それでも取った腕を離そうとはせず、えりさえも掴み上げた。
「オヤジのやつ、何て言ってる。おまえ、分かるんだろ。教えてくれ。俺は、これからどうしたらいい。どうしろって言ってる?」
礼音は、その、真剣そのものな顔をあおぎ、開きかけた口を閉じた。
そこに鶴岡監督の幽霊がいる、と信じきった相手に、そうではないことを証明する手段も、勇気も、礼音は持ち合わせていない。
「お、し、え、ろ!」
すごむ流星に首をすくめた礼音の耳もとで、りん、と鈴のような声がする。
「か、……かがみを、磨け、と」
つり上がっていた目が、きょとん、と丸くなった。
「かがみぃ?」
もちろん、それが流星の求める相手からのことばではないことを知りつつ、礼音は口に出して伝えることを選んだ。
したたる清水のような透明さをもつ声には、あしもとからまとわりつくような声なき声の不快さや恐怖はなく、おのずと従いたくなるような高尚なひびきがある。
ロッカーと呼ぶには粗末な木の棚が囲んだ室内をきょろきょろと見まわしていた流星が、あ、と声をもらした。
「あれか、もしかして」
指さされた場所を見上げた礼音は、吊り棚から垂れたおもちゃのような五色の幟を見た。
右と、左。
おそらくは立ててあったのだろう真榊がふたつとも倒れている。
「オヤジがいつも、手ぇパンパンやって拝んでたよ。『おまえ、神さんもばかにしたもんじゃねぇぞ』とか言ってさ。その真下でぶっ倒れて死んで、ご利益もあったもんじゃねーとおもうけどな」
おもわず、礼音は声の主をさがした。
そう、なのだろうか。
神棚の奥に、チカリとひかりが見えたが、刺すようだったまぶしさは今はない。
ただ、とびらの外からもうかがえた清涼な空気は、うす暗い室内にひんやりと満ちたままだ。
「おまけに、死んでまで、代わりにちゃんと神さん祀れよ、ってか。ほかに言うことねーのか、くそオヤジ」
ぶつくさ言いながら、踏み台になる椅子を持ってきて、流星はその上に立った。
倒れた真榊を起こし、枯れ落ちた榊の葉をつまみ、水玉を手に、椅子を下りる。
「……あの、そろそろ、告別式」
「いいんだ。どうせ、焼香は大行列で、時間かかるし。弔辞なんていわれてマイクの前に立ったところで、もどってきて目ぇ醒ませ、とかなんとか怒鳴るのがオチだ。出棺までに行って、火葬場まで送ってやりゃ、おまえにしちゃ上出来だって、たぶん言ってくれる」
礼音にほら、と枯れ葉を押しつけると、ポケットを漁りながら部室を出て行ってしまう。