幽霊に非ず
「葬式にはな、よその学校の監督だって来るんだ。これから対戦する学校の監督だってな。大会の真っ最中に、つぎの監督になるやつがめそめそ泣いててみろ。いっしゅんで、なめられるに決まってんだろーが!」
礼音が肩をすくめた瞬間、またも、カタリ、と物音がした。
大声の余韻か、うわん、と耳鳴りがするなか、ほそいほそい声が、言う。
『なめてくれれば、隙も生まれるであろう』
「そ、うか。そうです、ヨ──」
おもいきり同調しかけて、ハタと、礼音はわれに返った。
飛びつくように流星の両腕にしがみつき、おそるおそるその体の向こうをうかがい見る。
「レオン?」
「こ、こ、ここ、中に、何かいます」
何事か、という顔をしていた流星は、はっとしたように礼音の袖を引いた。
「もしかして、オヤジの幽霊っ?」
そうかも、というおもいは湧きかけて急速にしぼむ。
空気も、声質も、急死した五十代男性のもの、にはほど遠い。
『幽、で……ないわ……』
ちりん、と鳴る鈴の音のようなその声は、ほそくつめたく岩をつたう清水のように、意識のなかに滲みてくる。
聞くまいとおもえば、すくなくともことばとしては聞き取らずにすむ、一方通行な声なき声とは、あきらかに異質なものだと礼音は直感した。
タスケテ──
あの日、遠くからでも、耳をふさごうとしていた礼音に『ことば』をとどけた、誰かの声。
六日も前から聞こえていたそれが、突如倒れて帰らぬ人となった、鶴岡監督本人のものであったはずがないのだ。
「……幽霊では、ないそうです」
「嘘つけ。ここに、オヤジ以外の幽霊なんか、出るわけねーんだ。つーか、オヤジの幽霊以外、ゆるさん。出てきやがれっ」
誰もいない空間に向かって、流星が啖呵をきる。
礼音は、その背にかくれているのはやめて、一歩、二歩、と後退った。
『待ちいや』
背筋をなでるような静止の声に、足が凍る。
なぜか、流星ではなく自分が見られていることを、礼音は悟った。
うつむいたままでも、白い反射光にさらされているようなまぶしさを感じる。
『わが声を、きけるな、そなた』
とっさに、礼音は首を横に振った。
天井よりも高い場所から、笑声がきこえた気がする。
『あれほど……あれほど、呼んだものを。よくも──』
澄んだ声には、責めも、うらみも感じられない。
ただ、おちた沈黙に、ふかい、ふかいかなしみがにじんで見える。
おまえの所為だと言われたなら、礼音もそんなことはないと、反論やいいわけができた。
けれど、分かっている。
関わりたくないと、きこえないふりで無視した声が、なにを知らせんとしていたのか。
聞こうとしていたなら、救えた命が、あったかもしれないことを。