後継者
こん、と礼音はとびらを打った。
おもったより、小さな音しか出ない。
もういちど打つべきかとこぶしをほどきかねていると、ごん、ととびらになにかがぶつかってくる音がした。
「ふ、深──……先生?」
「五秒、待て」
低い声に命じられて、あわてて手を下ろす。
喪服のえり首に雨のつめたさを感じながら、礼音はだまって動かず、ゆうに十秒は待った。
ドアノブが回る音がしたかとおもったら、勢いよくとびらが引かれ、背の高い男がぬっ、と手を突き出す。
「ハンカチ、くれ」
ティッシュでもいい、とつけ加えられたが、礼音は選択肢のないままジャケットの右ポケットからチェックのハンカチを取り出した。
「さんきゅ」
とびらのかげでごしごしと目元を拭いたかとおもったら、ブジュ、ジュ、と鼻までかむ。
ようやくあらわれた色の黒い顔は、我が物のようにハンカチをポケットにしまいつつ、しげしげと礼音を見返した。
「なんだ。生徒じゃねーじゃん」
「あ、──」
「さっき、俺の名前、呼ぼうとして。とちゅうで分かんなくて、ごまかしただろ?」
図星に、礼音は視線を外す。
赤い目元で、男は力なくわらった。
「顔は知ってるけど、俺もあんたの名前は分かんねーや。何だっけ」
「属、礼音です」
「サッカ? 作家のサッカに、トニー・レオンの、レオン?」
「……はい」
「今、誰それとかおもいながら、てきとーにうなずいただろ。俺は、深澤流星。むずかしい方の澤に、流れ星で流星。斎場行くじかんだって、言いに来たんだろ」
こくりと、礼音はうなずいた。
「あんたも葬式、出てくれんのか。意外」
「講師とはいえ、私も同僚──といっても、面識はなかったので、誰、っておもわれるかもしれませんが」
「ハハ。あんたも、べつに行きたくないとかおもってんなら、いっしょにここでサボってようぜ」
おもいがけない誘いに、礼音はまばたいた。
「あ、あなたは、行かないと」
「なんで」
「だって」
礼音でも知っている。
彼は、サッカー部のOBで、現コーチで、そのあとを継いで監督になるべき、鶴岡監督の愛弟子だった男だ。
一昨日までは知らなかったが、今では、そう誰もがうわさしていた。
「いいんだよ。オヤジの顔なら、昨日見た。もう、起きないんだってことも、わかった。これ以上、どんなツラしてあのくそオヤジを見送りゃいいのか、分かんねーし」
カタリ、と何かが音をたてた。
うす暗い部室の中に目を向けても、誰かがいるようには見えない。
ただ、部屋中がかなしみの色に染め抜かれたように、礼音の目に青みがかって見えた。
「──かなしいなら。泣いて、送ればいいんじゃないですか」
「泣いて?」
怒ったように、流星が声を低くする。




