感応力
つめたい雨が降り込む渡りろうかを、礼音はうすい足跡を残しながら、すそを引かれるおもいで進んでいた。
そちらには、行きたくない。
まだ、どこかで声がきこえているような、違和感が鼓膜にまとわりついている。
あれが何だったのかを礼音はけっして考えようとはしなかったけれど。
昨日から、胃の底にそのこたえを抱えて、知らないふりをしているだけだった。
あの日深夜に、校内でひとりの男が死んだ。
死因は、急性心不全。
今、もっともこの媛川高校で必要とされ、尊敬を集めていたその教師の名は、鶴岡哲生。
もちろん、一介の数学教師としてではなく、五年連続全国選手権出場を誇るサッカー部の監督として、内外に名を知られた人物だったからだが。
職員室で顔を見かけたことはあっても、ことばを交わした記憶まではない。
享年、五十二才だというから、礼音の父親と同世代にあたる。
同僚とはいえ、自分から話しかけるはずもない遠い存在でしかなく、礼音にとってはどこかの俳優が急逝したような感慨しかわかないけれど。
そんな自分のこころが凍っているのだとおもえるくらいに、学内の混乱と悲哀は大きかった。
しとしとと降る雨は、送別の涙のようだ。
湿気で、よりクセがつよくなった褐色の髪の重さを感じながら、礼音はあの日けっして近づこうとおもわなかった部活棟へとやって来た。
そこは元々、つよい思念のたまり場になっていて、一種の結界でもって礼音に立ち入ることをためらわせる。
学生のころから、部活棟とはそういう場所だった。
とびら沿いに部活名が記された表札を見てすすめば、ほどなく礼音でも目的の場所へとたどり着けた。
サッカー部の部室で倒れていた、という。
だから、そこに行けば誰にも聞いてもらえなかった無念の叫びが、濃い絶望のかげが、自分を待ち受けているものだと礼音はおもっていた。
どんなに耳をふさぎ、目を伏せても、そこにあるものはあり、礼音の身にのしかかり、ぐらぐらと世界をゆらす。
できることなら、このまま葬儀場にも行きたくはなかった。
頼まれてここへ来たのも、いっそ倒れてしまえば、よりやっかいな場所へは行かずにすむとどこかでおもったからなのかもしれない。
なのに。
サッカー部、と書かれたとびらはそれまで見てきたものよりもふしぎときれいで。
毎日毎日、せっせと磨かれているかのように、礼音の目にかがやきを放つ。
物理的にいえは、ペンキが剥げ、あちこち傷もあって、ほかの部室のものと状態における差異はない。
理由は、そのとびらの向こうで人ひとりが死んだ事実ごと、バシャバシャと洗い流してしまったような、清涼な空気がもれ出ていることにあるのだろう。
礼音は、けげんに天をあおいだ。
雨が雪いだ、にしては局地的で徹底的で、そこだけ漂白剤をかけたように、学校という本来よどんだ場所にあって浮いた清らかさに満ちている。
さきほどから、わずかに耳にとどく嗚咽も、べつに礼音でなくてもきこえる種のもので、あの日の声とはあきらかに別物だった。
中に、人がいるのはたしかだ。