日本画
うすくうすくのばした浅葱色に、つばさの墨色をにじみで描く。
墨の濃さをあやまれば、とたんに存在感が浮き出てしまう『見えないつばさ』の表現に、礼音はすこぶる手を焼いていた。
「あ……」
また失敗だと、筆をおろす。
追い打ちをかけるように、ぽたりと余白に落ちて染みる墨が、暗いきもちに輪をかけた。
カラ、と戸車がまわる音がきこえても、すぐには反応する気力さえ湧かない。
「──へえ、意っ外」
すぐそばでした声に、机に両手をついてうなだれていた礼音は、え、と視線を向ける。
「君……」
長袖シャツの袖口をかるくまくった制服すがたの彼は、くしゃりと髪を掻いた。
「鷹林。サッカー部の」
「わ、わすれてないです」
昨日の今日で、いくら左胸に名札がないとはいえ、それだけしか知らない部員の姓を、忘れようがない。
「名前で呼びたきゃ、そうして。そのほうが早いだろ」
「え……」
「何でおどろくの。部のみんなのことは名前で呼んでびびらせてる、って聞いたけど」
「呼んでるのは、その、ニケで──」
自分はただ、その呼称をなぞっているだけ。
そうさいごまで言い出せずうつむいた視界に、上履きがとびこむ。
「──あ。君、ケイタっていうの?」
「そう、鷹林慶太。……って、上履き見たな、先生」
足がうごいて、カタンと鳴ったいすの脇で止まった。
どうやら、引いたいすに腰かけたらしい。
「鷹林くん、どうして美術室になんか……」
「これがニケ?」
問いに問いで返されて、礼音はとなりの机でほおづえをつく慶太を見た。
その視線は、机の上の失敗作に向けられている。
「あ──」
「ふうん、天使とか大きな烏っぽいのを想像してたんだけど。これは、たしかにサモトラケのニケってかんじだね。頭ってないの?」
「首から上は、まぶしくて見ることができないんです。くろい髪も、肩から下の見えてるところだけを描くのは不自然なので……」
「腕もないわけ。どっちも?」
「ええ。見えるのは指をさすときだけなので、袖にかくれているんだとおもいます」
「今も、その辺に浮いてる?」
天井を指さした慶太に、礼音は首を振った。
「いえ。私についてるわけではないので……それよりも、君、ニケの像を知ってるの?」
「そりゃ。今どき、ネットで探せば写真くらいいくらでも出てくるからね」
「あ、そうか」
「でも、先生が日本画を描くひとだとは知らなかったな。イタリア系って聞いたけど?」
じっ、と見られて、礼音は琥珀色をした瞳を隠すように伏せた。
今日日、褐色の髪などめずらしくもないが、純粋な日本人だというには、顔だちからして無理があるらしい。




