冒険者の女神
両親が死んだのは、私が8つの時。その時の私は、とりあえず明日からどうやって食べて行こうか考えるので必死で、悲しむ余裕もなかったのを覚えている。
幸運だったのは、ダンジョン専門の冒険者だった両親が、将来を思って私の冒険者登録を勝手にしていたことと、ちょうどその時ダンジョン内でモンスターの大量発生があって、その後方支援の仕事が山盛りあったこと。母親から簡単な治癒魔法と浄化魔法を教えてもらっていたので、かなりの稼ぎになり、同時に沢山の冒険者に良い意味で顔を覚えてもらえ、様々なことを教えてもらえた。
そのお蔭か、私はある仕事を思いつき、冒険者ギルドのギルドマスターの許可を取って、その仕事を始めた。
10年経った今も、その仕事は続けている。
* * *
「ポーション安いよ! 大銀貨5枚だ!」
「昼飯に串焼きはどうだ? 1本大銅貨1枚!」
ダンジョンに入っていく冒険者達に、商魂たくましい商人達が物を売ろうと声を上げる。その中のダンジョンに一番近いという場所にいながら、声を上げない私は異様だろうけど、冒険者達は笑顔で私に手を振ってはダンジョンに入っていく。私は、彼らに笑顔で手を振り返す。すると、ちょうどお客さまがダンジョンから出てきた。
「助けてくれ!」
そう叫んだのは、腰に剣を、全身に皮鎧をつけた、全身血まみれの大男だ。その背中には、真っ赤なボロ雑巾を背負っていた。商人達はいつものこと、と相手にしない間、私は大男に駆け寄る。
「どうしました?」
「あ、ああ! 助かった!」
大男はそう言ったが、まだだ。
「早く見せてください!」
そう怒鳴ると、大男は慌ててボロ雑巾と化している人物を地面に下ろす。
「怪我してからどれくらい経ちますか?」
そう言いながら、持っていたナイフで服を切り、目に魔力を集めて怪我の様子を確認する。止血はしてあるけど、ここに来るまで時間がかかったのか服は血を吸って重く、私の所々継ぎ接ぎしてる白いローブが真っ赤に染まっていく。あちこち切り刻まれているけど、致命傷は左の二の腕だけ。ただ、その傷は腕が千切れていないのが不思議なくらいだ。胸の傷は肋骨で止まっているけど、傷が残るのは同じ女性として許せない。
「分からない。とにかく必死だったから。Aの7層でオーガの群れにやられて……」
「なるほど、分かりました」
色々突っ込み所はある。オーガが出てくるのはAの15層からで、群れとなるとAの30層から。だけど、この大男が嘘を言っている様子は無い。つまり、異常事態だということ。けれど、それは今は関係ない。今は、目の前の命だ。
「今すぐ治せますけど、金貨1枚と銀貨40です。今すぐでなくても良いので、払え……」
「払う! 払うし、何でもする! だから、スイを……!!」
本当なら、こんな時にお金の話はしたくないけれど、ギルドとそういう契約をしているから仕方ない。金貨は大金だ。それでも、大男は必死な様子で、助けてくれ、と繰り返す。なら、応えないと。
「では、行きます。【ヒール】!」
私がそう言うと、みるみるうちに女性の傷は痕も無く塞がっていく。
「治りました」
「ああ、神様!」
私が報告すると、大男は女性をかき抱いて号泣する。
「とりあえず、ここをどきましょうか」
何事か、と人が集まって来たので、私はそう大男をせかした。
「ああ、ありがとう!」
だけど、大男は話を聞いちゃいない。私の手を血まみれの手で握る。
「その汚れも落としますから、とりあえず、ここをどきましょうか?」
笑顔でそう言うと、大男はやっと状況が分かったのか、辺りを見回して、頷いた。
* * *
「【クリーン】!」
追加料金大銅貨10枚を現金で払ってもらい、2人の血糊を落とし、女性を膝枕しながら様子を見ていると、大男が語りだした。
「始めは、余裕だった」
彼らは、最近この街に来たそうだ。通りで、私が知らない訳だ、と納得しながら話を聞く。
彼らはD級冒険者の6人組で、酸いも甘いも経験してきていたから、余裕でも油断せずに進んでいたらしい。だけど、Aの8層に入った辺りで嫌な予感を感じたので引き返し、Aの7層の中頃まで来たとき、オーガ5匹の群れに襲われたそうだ。オーガと言えば、単体でもC級冒険者の実力が必要と言われているので、彼らは実力だけで言えばB級冒険者の実力があったのだろう。ただ 冒険者に1番必要な運が無かった。でも、2人も生き残った、ということはそれはそれで運があったのだろう。
「では、これにサインしてください」
そう言いながら、1枚の書類を大男に渡す。
「あ、ああ。だが、正直……へ?」
そこには、1年以内に大男が金貨1枚と銀貨40枚を私に払うと書かれていた。まあ そこそこ頑張れば払えないことも無い金額ではあるが、頑張らないと払えない金額でもある。
「……俺が払わない、ってことは考えないのか?」
「ここを見て? ギルド公認の書類でしょ?」
「ほ、本当だ!」
大男は驚きの声を上げた。
「なぜ、こんな所に……」
ギルド公認の書類は、普通は厳重に扱われ、間違ってもこんな雑に扱われる物では無い。
「ま、別に良いでしょ?」
「そ、それもそうだな」
そう大男は言って書類にサインした。
「あ、これはちょっとしたサービスね」
「何だ?」
「さっき話したことをギルドに話して、裏が取れれば、報奨金が出るはず」
「本当か!?」
大男は私に詰め寄る。
「ええ。しばらくの生活の足しにはなるよ。彼女ももう落ち着いたし、ギルドに行っておいで」
女性は、穏やかな寝息を立て始めていた。
「ああ! ありがとう!!」
大男は、女性を大事そうに抱えてギルドに向かった。
「……さて、お仕事しなきゃね」
異常事態、ってことは今日は忙しくなる。私は、気合いを入れてダンジョンの入り口を見つめた。
* * *
迷宮都市ラグランジュには、どんな怪我でも治す凄腕の治癒魔法使いがいる。神殿で贅沢な生活が出来るはずの彼女は、ダンジョンの前で粗末な服を着てたたずんでいる。
そんな彼女を、その街に住む住人達はこう呼ぶそうだ。
『冒険者の女神』
と。