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居酒屋での盛り上がりは、飲み放題の時間もある為2時間程で落ち着きを見せた。
皆が店の外に出た時に、姉がまた大藤君にとんでもない事を言っていた。
「玲央君さ、悪いんだけど、和葉の事送って行ってくれない? あんまり遅くなっちゃったから、ちょっと心配なのよ」
その会話にすかさず割って入る。
「ちょっとお姉ちゃん! いいよ、一人で帰れるよ」
「あんたがよくても駄目なの。何かあってからじゃ遅いんだから」
結局、私も大藤君も、姉に押し切られるような形で、二人で帰る事になった。
みんなで電車に乗り込み、姉は二つ手前の駅でさっさと電車から降りる。
「それじゃ、和葉、気をつけてね。玲央君も、またね」
そう笑顔を見せ、彼氏と共に駅の階段を下りて行った。
時計を見るともう11時に近い。
電車の中は、空いている椅子が無い程度には繁盛していた。
私と大藤君は、隣り合って吊革につかまっていた。
彼の横顔を見つめる。
姉が降りた後、再びヘッドホンを耳に当てたその横顔は、髪の色は違っても、やはり大藤君だった。
電車が駅に到着し、吐き出されていく乗客に紛れて、私達二人も降車した。
改札を潜り、駅の入り口の前で、私は大藤君にお辞儀をした。
「今日はありがとう。じゃ、また」
そう言って帰ろうとした時、大藤君の声に呼び止められた。
「いいよ。送ってくよ」
「いやいやいや、大丈夫だよ? お姉ちゃんの言ってる事だったら、別に私達をからかってるだけなんだから、気にしないで」
「キコさんも言ってただろ。何かあってからじゃ遅いんだよ」
少し真剣な面持ちでそう言われ、二の句が告げなくなった私を見て、それを了承と捉えたのか、大藤君は私に、こっち? と尋ね、そのまま二人で歩いた。
近所の商店街は、景気がいいからなのか、それとも悪いからなのか、まだまだ華やかに営業を続けている店がちらほらしていた。
知り合いに会わない事を願いながら商店街を通り抜けると、閑散とした住宅街ゾーンに突入する。
隣を歩く大藤君は、ヘッドホンを首にかけたまま、私と同じ速度で歩いている。
きっと、私に合わせてくれているのだろう。
「ねぇ、大藤君の家って、どこなの?」
妙な沈黙に耐えられず、そう言葉を発した。
「ああ、駅の反対側のすぐのとこ」
「へぇ、意外と近いんだね」
「高校が一緒なんだから、そんなに離れたりはしないだろ」
「ああ、それもそうだね」
うちの学校は、わざわざ電車を何本も乗り継いで来るような優秀な学校では無い。恐らく大半の生徒は志望目的で、近所だったから、と言う答えを上げるだろう。
「お姉ちゃん、迷惑かけたりとかしてない?」
「迷惑?」
「いや、例えば、妙におせっかい焼いたりとか、変にひっかき回したりとか、お姉ちゃんって、結構そう言うとこあるからさ」
「いや、キコさんには、迷惑どころか、本当にお世話になってる。キコさんがいなかったら、うちのバンド解散してたかもしれないし」
「え? 本当に?」
私の食いつきを見て、大藤君は何だかバツの悪そうな顔をした。
「いや、まぁ……、それは本当だけど、あんまり他に言う事じゃないから……」
そう言って大藤君は、話したくない事から逃げるように、話題を変えた。
「友野こそ、今日はどうして?」
「どうしてって、いや、お姉ちゃんが、バンドのチケットが余ってるから、って言ってチケット貰った」
「へぇ……」
そう言って、大藤君はつまらなそうに話を終わらせた。本当に話題を変える為だけに言った事のようで、興味なんかこれっぽっちも無かったようだ。
「私がお姉ちゃんの妹だって、気づいてたんでしょ?」
さっきの飲み会の席で、大藤君が私を助けてくれた理由に、私が久喜子の妹だったから、と言うのを上げていた。
「あぁ、まぁね」
「似てるから?」
「見た目はそんなに……」
――さいですか。
「後は、苗字。友野なんて苗字、そんなにいないから……」
「だから、私の事あの時助けてくれたの?」
「いや、さっきはそう言ったけど、別にたまたま」
「たまたま、か……」
目印の街灯が見えてきた。
あの角を曲がれば、我が家はもうすぐだ。
「私、音楽の事とか全然分からないけど、大藤君の声は、格好いいと思ったよ」
先程の演奏を思い出す。
澄んだ声、なのに熱気を帯びた激しい歌が、私の中に駆け巡って行ったのを思い出す。
「ありがとう」
大藤君は、そう言ってこちらに笑顔を向けてくれた。
「笑った顔、初めて見た」
――何て、嬉しそうに笑うんだろう……。
私の声に照れくさくなったのか、大藤君はすぐに向こうを向いてしまった。
「大藤君、教室だといつもむすっとしてるもんね」
「別に、特別面白い事がないだけだよ」
「どうして学校来なくなったの?」
「無駄だ、って思ったから」
「無駄か……」
彼が屋上で、みんなでお弁当を囲むような、そう言う行為が嫌だと言った姿がフラッシュバックする。
大藤君は、群れるのが苦手なのかもしれない。
「確かに、あんな勉強してても、社会に出たら全部無駄になっちゃいそうだし、特に数学なんて、意味分かんないよね。私数学大嫌い」
「それは友野個人の意見だろ。俺は割と数学は得意だし」
「え~? 本当に?」
「まぁ、もう関係ないけどな……」
そう言って彼は、つまらなそうにソッポを向いてしまった。
「あ、ここまででいいよ」
私は街灯のところで、大藤君にそう告げた。
「じゃ、本当にありがとう。大藤君も、気をつけて帰ってね」
そう言って帰ろうとした時、大藤君が意外な事を呟いた。
「なぁ、普段はいいけど、キコさんがいる前では、ちゃんと俺の事名前で呼べよ?」
「ふえ? どうして?」
「今日、キコさんがそう言ってただろ?」
「あんなの、お姉ちゃんが酔っ払った流れで、適当にうちらをからかってるだけだよ?」
「知ってるよ」
「なら……」
「いや、それでも……」
そうして、二人街灯に照らされながら、黙ってしまった。
薄明かりの下にいる大藤君は、まるで舞台上の主人公だった。その舞台が、喜劇か悲劇か群像劇かは分からない。
「じゃあ、大藤君も、みんなと居る時は、私の事名前で呼んでよ」
私もどちらかと言えば、名前で呼ばれる事の方が多い。だから、ちょっとした悪戯心のつもりでそう呟いたのだ。
「名前で?」
「そう、名前。やっぱり、いや?」
「そうじゃないんだが……」
言いにくそうに顔を俯ける大藤君に、どうしたの? と問いかけると、
「友野の名前、なんだっけ?」
――え~……。
「……和葉」
――今日お姉ちゃんもみんなも、散々呼んでたのに……。
大藤君が、私に対して興味が薄すぎる事に少し凹む。
「ああ、そうだったな」
「そうだったな、じゃないよ! そう言うの、他の女の子にしちゃダメだよ! 名前覚えてないとか、嫌われちゃうよ?」
「別に、どうでもいい女に嫌われてもいいよ」
――どうでもいいと言いましたか!
「好きな人の名前は、絶対に忘れないし……」
俯いたまま、大藤君はそう呟いて、微かに笑った。
その顔に、何だか毒気を抜かれてしまった。
ため息を一つ吐いて、
「じゃあね、玲央君」
と、彼に向けて投げかけた。
俯いていた顔を上げ、じゃあ、とだけ呟いて舞台上から退場する彼の後姿を、暫く眺めていた。
暗がりの中で、すぐにヘッドホンを付け直す彼の姿が、随分印象的に映った。