3-2
――さて、整理してみようか……。
私は大衆居酒屋の一角から酒宴の様子を見守りながら、ふと自分にそう問いかけた。
そもそもの間違いはまず、姉に、大藤君とはクラスメートなの、だなどと言ってしまった事だろう。
そうなの、そんな偶然あるんだ、なんて嬉しそうな姉の顔に、苦笑いしか返せなかった自分は、とても素直な人間だと思う。
そして、その次。
一番の間違いは、その後の姉の提案を大して考えもせずに返してしまった事だ。
『じゃあこの後の打ち上げ、和葉もおいでよ』
あの時にどうして、私は上手く断れなかったのだろう。
いや、部外者だし、いいよ。
今日この後予定あるんだ。
あんまり遅くなると、お母さん達心配するし。
断る為の理由なんて、今となっては幾らでも考え付く。なのに、
『え、どうしよっかな?』
なんて、肯定とも否定とも取れる受け答えをしてしまったんだろう。どっちとも取れるように答えて、姉が否定に取る訳無いのに……。
案の定、そのまま姉の勢いに押され、私は打ち上げ会場に紛れこんでしまった。
大衆居酒屋で地味に飲んでるだけだから、別に居づらくなる事は無いよ、と言う姉の言葉は確かに半分は正しかった。だけど、大藤君が私を見つけた瞬間の、あの気まずそうな顔ったらなかった。これだけで、充分居心地が悪い上に、姉の悪い癖が出てしまい、あろうことか私を大藤君の隣に座らせたのだ。
「それじゃ、後は若い者同士。玲央君、和葉の事宜しくね」
ニヤニヤ笑いながら彼氏の元へ戻る姉に対し、恨み言の一つでも呟きたくなった。
会話をするのも気まずくて、私は目の前に置かれたコーラに救いを求め、手を伸ばした。
「友野」
呼ばれ、大藤君の方を振り向く。
「何?」
精一杯の笑顔を返したつもりだが、自分でも頬がひきつっているのが分かる。
「それ、俺の……」
そう言って大藤君は、私が手にしているコーラを指差した。
私は今さっき合流したばかりで、まだ何も注文をしてはいなかった。なので、考えてみれば、それは至極当然のやりとりだろう。
「あ、ごめんなさい」
「いや、いいけど……」
大藤君は私からコーラを奪う事はせず、近くにいた店員さんに追加で新たにコーラを注文した。
「本当に、ごめんね」
「いや、別に、いいから……」
そう言うと、大藤君は、つまらなそうに近くの唐揚げをつまんだ。
――何だこの気まずさは!
そもそも、私だって突然こんな所に連れてこられて、大藤君の隣に座らされているのだ。
大藤君は大藤君で、いつもの馴染みの空間に、ほとんど部外者の私が隣にいる事で、落ち着かないのでは無いだろうか?
誰も得をしないのに、どうしてこんな事になっているのだろう?
「へぇ、君がキコさんの妹さんか」
その時、髪を茶色に染めたお兄さんが、姉と一緒にこちらにやってきた。姉はご丁寧に、ビールの詰まったジョッキを手にしている。顔もほんのり赤みがかっており、未完成ながら、多少出来あがっているのは間違いない。
「あ、俺は月島順哉。さっきステージでギター弾いてたんだよ。宜しく」
そう言って差し出された右手を、おずおずと握り返す。
「ちょっと順哉君。私の妹に手出さないでよ?」
「人聞き悪いなぁ。大体、手を出さなかったら、握手は出来ないもんね?」
人懐っこくそう笑いかけられて、はい、そうですね、と何とか返す。
「聞いたよ。玲央のクラスメートなんだって? どう? 学校での玲央は?」
「順哉さん……、いいじゃないですか」
大藤君が、順哉さんの言葉を柔らかく遮る。
「まぁ、いいだろ? ちょっと興味あるしよ」
そう言いながら、順哉さんが大藤君の横に座る。
大藤君は、気まずそうな顔をしながら、こちらに目線を向ける。
その目は、変な事言うなよ、とそう言っていた。
変な事も何も、私は大藤君の事をそんなに知らない。だから、私と大藤君の数少ないエピソードを話すことにした。
「大藤君は、いい人ですよ。この間も、転びそうな私を助けてくれたり、お昼忘れた時に、パンを分けてくれたりしましたし……」
私の言葉がお気に召したのか、姉が私の横に座りながら嬉しそうな声を出した。
「何それ、和葉、あんた玲央君にそんなにお世話になってんの?」
――この人はどうしてそんなに嬉しそうなんだ……。
居心地の悪さを誤魔化す為、手元のコーラを一口啜る。
「いや、そんな、たまたまですよ。たまたま、キコさんの妹さんが、いるなって、思っただけで……」
大藤君が、姉に向けてそう弁解する。
いつになく狼狽えた様子の大藤君が、新鮮だった。
姉に耳打ちする。
「お姉ちゃん、キコって呼ばれてるの?」
「うん、仁さんが、久喜子って、言いづらいみたいなのよね。それが広まっちゃったのよ」
「ふぅん。それにしても、変な事言わないでよね」
「変な事って?」
「……何でもない」
もう一口、コーラを啜る。
姉は私の態度を見ながら、今度は耳打ちでは無く、わざと大藤君にも聞こえるような声量で、話し始めた。
「そういやぁ和葉、あんた玲央君の事、苗字で呼んでるんだ?」
「何よ急に、いや、そりゃ、そうでしょ? だって、クラスメートだよ?」
「そうなの? 私らはもうすっかり玲央って言う格好いい名前でしっくりきてるからさ、あんたが苗字で呼んでるのが何か違和感あるんだよねぇ~」
そこで姉は、にやっと笑ってから、今度は大藤君の方へと声を掛けた。
「ねぇ玲央君。うちの妹にもさ、玲央君を玲央君って呼ばせたいんだけど、駄目かな?」
――何を言い出すんだこの馬鹿姉は!
「ちょっとお姉ちゃん!」
「別に、いいですけど……」
私の返事を待たずに、大藤君がおずおずと言った感じで答えた。
まるで敵将の首級でも取ったかのような、満面の笑みを浮かべた姉は、私の身体をぐるりと反転させて、大藤君と対峙させた後に、どんと背中を叩いた。
ここで空気が読めない程、私は子供では無い。
「レオ……、君?」
私のその言葉に、大藤君は気まずそうに、苦い笑いを浮かべる。
それと向かい合う私も、きっと彼と同じような顔をしているのだろう。
そして、彼の後ろにいる順哉さんは、何だか微笑ましいものを見るかのような目で私達を見ていた。
きっと後ろの姉は、ニヤニヤした顔を隠そうともせずに、私達の事を見下ろしているのだろう。
――何だこれ?
素直にそう思った。