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3-1

 3 スティグマ


 最寄りの駅から電車に揺られる事7駅。

 そこから地下鉄に乗り換えて3駅。

 計30分程の時間を掛けて、私は馴染みの無い近場の都会へと足を踏み入れた。地元からそんなに距離が離れている訳では無いのに、まるで異国の地にでも迷い込んだ様な高揚感が、私を包み込んでいた。街が歓迎してくれているのだと、好意的に解釈する事にしよう。

 チケットに書いてあるライブハウスの場所と時間を、改めてもう一度確認する。

 ライブ自体は6時からやっているようだけど、姉の彼氏さんのバンドの演奏は7時半から始まるらしい。

 地下鉄から降りた時は、時計の針は7時を少し回っていた。少し早めの到着になるだろうが、遅れてしまうよりはよっぽどいいだろう。

 地下鉄内のトイレで、もう一度だけ今日の洋服と、ついでに髪をチェックする。

 大人っぽい服なんて持ってないよ、と姉にねだって貸し付けて貰ったのは、全体に星の様にラメがあしらわれた、コバルトブルーのワンピースと言う非常にシンプルな物だった。私が普段来ているふわりと全体を包み込むような物では無く、割と体型にピッタリと寄り添ってくるタイプのワンピースだ。本来ならボディラインがくっきりと強調されるのであろうが、私が着るには少しサイズが大きい所為か、どちらかと言えば、『世界名作劇場』の様な出で立ちになってしまった。

 と言うのも、姉が持っていた衣装の類は、明言は避けるが、けしからん事にどれもこれもある部分のサイズが違い過ぎる為、結局そこまで大きな変化の無かった腰の部分を中心に宛がったものだった。

 最終的には、子供っぽく見えなければ、無理に大人っぽく見えなくてもいいや、なんて投げやりに渡された代物である。

 同じ環境で育ち、同じ親から生まれた癖に、この差別は余りに残酷では無いだろうか……。

 鏡の前で改めて見直してみても、色気もへったくれも無くてがっかりする。もしこれを姉が着たならば、ただそれだけの事で本当にセクシー衣装に早変わりするのだろうか?

 叶わぬ願いは星にも神にも頼まず早々に諦め、せめて高校生っぽく見えない事を信じて、私は地上への階段を上り、一路ライブハウスを目指した。


 地上への階段を上り、通りの路地を3つ程抜けた場所に、ライブハウスの看板を見つけた。

 どうやらライブは盛況らしく、看板横の地下へと続く階段をちょっと覗いただけで、けたたましい音の切れ端が漏れ聞こえて来た。

 慣れていない癖に、珍しく高めのヒールなんて履いてきたものだから、階段を下りるのも一苦労だ。こちらも勿論姉に借りたものだが、服の着こなしレベルには随分と差があるのに、靴のサイズは同じと言うのは些か納得がいかない部分もあった。靴のサイズが同じなら、もう少し私にも色々メリハリがあっても良いのでは無いか、なんて詰まらぬ思いを抱いている内に、階段を下りきった。

 受付のお兄さんに預かっていたチケットを渡し、分厚い防音扉を潜って中へと入る。

 重い扉を手前に開けた瞬間、私は激しい音の洪水に飲み込まれる事になる。

 チカチカと忙しく明滅する照明の中心には、激しく音楽を生み出している人達がいるのだろう。盛り上がっている人達の姿の隙間から、微かに頭だけが見える。その全身は、残念ながら舞台に押し掛ける人々に阻まれて、私の視界には入ってこない。

 背の低い私が悪いわけでは無い。背の低い人でも楽しめる作りになっていない、ステージがいけないのだ。

 ――折角のステージなんだから、もう少し高く作ってくれればいいのに……。

 心の中で一人言ちたその時、不意に右肩を叩かれた。

 そちらを振り向くと、こちらに向けて手をひらひらと振っている、姉の姿があった。何か口を動かしてはいるものの、何と言っているのかは空間を満たす音楽の濁流に飲み込まれて、正直全く分からない。

 お姉ちゃんを促すようにして、私は先程の防音扉をもう一度潜った。

「和葉、わざわざありがとね」

 外に出てすぐに、姉は先程の口の動きと同じ動きでそんな事を言った

「すごい大きい音だね。びっくりしちゃったよ」

「慣れない内はそうだよね。それにしても……」

 姉は、やっぱりね、と言う顔で苦笑した。

「結局一人で来たんだね」

「仕方ないでしょ。誘えるような男子なんていないよ」

「私の妹なのに、情けないわねぇ」

 そう笑う姉の胸元を、思わず見つめてしまう。

 ――仕方が無い、才能の有無だ。

「後10分位したら仁さん達の出番だから、そしたら入り直そっか」

 そう言いながら、姉は私の全体を矯めつ眇めつ眺めた。

「何よ?」

「いや、やっぱり可愛系になっちゃうんだなってね」

「うるっさいなぁ、もう」

「まぁいっか、ギリギリ大学生に見えない事も無いだろうし、こう言う可愛い系着てる大学生もいるだろうしね。それにこういうのは、ちょっと背伸びしてる位の方が、魅力的に映るもんだしね」

 好き勝手言う姉は、今日は長い髪の毛を後ろでポニーテールに纏め、柄物のTシャツ一枚にGパン一丁と言うラフな格好だ。よく考えたら、そこら辺のおっさんと全く同じようなコーディネートである。にも関わらず、その豊満な体型のお陰で、充分過ぎる程に色っぽく見えるのだからずるい。因みに中身も同じく放漫だったりするのに、彼氏が出来たりするところもずるい。

 その時、ライブハウスの中から響いていた音の波動が止んだ。

「よし、おいで」

 姉に手を引かれて再び戦場へ。

 舞台上では、先程まで演奏をしていた人達が後片付けをしており、次のグループに引き継ぎを行っている。

 人が少なくなっている瞬間を見計らい、姉はそのまま私を一番前まで引き連れて、ステージの真正面のど真ん中を陣取った。

 ステージとは言っても、実際には観客席と高さは20センチ程しか変わらない。そこを隔てる敷居代わりに、公園内への車両の進行を防ぐ際の様な、だけどもそれよりももっと大きくて綺麗な鉄の柵が、ステージの前に構えられていた。

 姉はステージ上の、赤いベースを肩から下げている人を指差して、私に教えてくれた。

「あれが仁さんだよ」

 ベースを掴む腕は太く筋肉質で、黒いタンクトップからはがっしりとした体格がはみ出していた。赤く染めた髪を、ツンツンにおっ立てていて、ピックを握る右手の、手首から肩辺りにかけて、炎を象ったような黒いタトゥーが掘り込まれていた。

 姉の彼氏である仁さんが、実際にはどう言う人なのかは知らないけれど、一見した所、かなり怖そうな人に見えてしまった。まぁ、姉の彼氏なのだから、見た目に反していい人なんだろうと信じたいところだけれど……。

 ――あぁ、これは確かに母さん達には言えないなぁ……。

 懸念が杞憂である事を願う。

 改めて、厄介な秘密を抱えてしまったなぁ、と遠い目で姉の想い人を眺めていると、準備の出来たバンドのメンバーが、各々の楽器を鳴らし始めた。

 それに伴って、甘い蜜に吸い寄せられる蝶の様に、ステージの前には再び人集りが出来た。

「始まるまでここにつかまってな」

 姉に言われ、ステージ前の鉄柵をしっかりと握る。多少の圧力が掛かったとしても、ここは死守しろとの命を受けた訳だ。

 その時、一人の男の子が、袖から飛び出しステージの上へと上がってきた。この薄暗いライブハウスの中でサングラスをかけている。髪の毛は綺麗に金髪に染めており、かっちりとオールバックに固めていた。

「和葉和葉、今出てきたのがボーカルの子。玲央君って言うんだよ。最近加入してくれた、まだ10代の子なんだけどさ、メチャメチャいい声がいいのよ~」

 彼の事を説明してくれる姉の頬は、既に若干上気している。

 ボーカルの玲央君は、舞台のセンターに立てられていたマイクを掴むと、キスをする様な仕草で口を近づけた。

「改めまして、こんばんは、スティグマです」

 バンドのメンバーが、彼の挨拶に呼応するかのように、好き勝手に音を出す。

「今日は、本当に来てくれて、ありがとうございます。短い時間ですけれど、一緒にロックして下さい。盛り上がっていきましょう、よろしくお願いします」

 玲央君の声は、透き通っていて、高くて、綺麗で、爽やかで、凡そロックにはそぐわない様な印象を受けた。

 か細い様な呟きが、マイクに拾われてライブハウス中を包む。その囁く様な声からは、青い炎のような、静かなのに高い温度を、確かに感じる事が出来た。

 観客も分かっているのか、会場からは彼の挨拶に対し、拍手と歓声と、耳を劈くような指笛が聞こえて来た。

 演奏が始まる直前の、一瞬の静寂の時間、

「内緒なんだけどね、確か玲央君、和葉と同い年の筈だよ」

 姉は私に、そう耳打ちをしてくれた。

「じゃあ、一曲目、行きます。『光と影と』」

 玲央君が曲名を呟いたのと同時に後ろのバンドが、空気が激しくうねるような音楽をこちらにぶつけて来た。一瞬、爆発が起きたのではないかと錯覚する程の、音の奔流に身体ごと心を持っていかれそうになる。

 その激流のような曲の中を、透き通った玲央君のボーカルが折り重なり、寄せては返す波の様に、幾度と無く私の心を握っていく。

 数多の衝撃が私の中に、言葉以外の何かで次々に伝わり、流れ、響き、全身を、心を、魂を翻弄する。

 生のロックンロールのパワーを目の当たりに感じ、興奮と言う言葉では足りない程、私は高揚していた。その圧倒的なパワーに対し、寧ろ慄いてさえいた。

 サビに差し掛かる直前に、玲央君が自身の掛けていたサングラスを床に投げ捨てた。サングラスは床を跳ね、私の元へと飛び込んできた。

「……嘘でしょ?」

 私は、思わず呟いていた。

 サビに入った瞬間、玲央君はマイクに掴みかかり、ここで死んでも後悔は無いかの様に、額やこめかみに血管を浮かべながら、熱唱した。登場した時の、何処か爽やかでさえあった彼の印象は、最早すっかり跡形も無かった。

 ステージの上マイクを握るのは、この一曲に命を懸ける、一匹の獣だった。

 激しく熱いボーカルの歌声に負けじと、バンドが奏でる音楽達もさらに激しく熱を帯びていく。それに従い、観客のボルテージも高まって行き、最高潮まで達した瞬間、ギターとベースとドラムとボーカルが同時に咆哮し、ライブハウスと言う名の小宇宙は、小規模であろうと確かにビッグバンを起こした。

 いや、事実がどうであろうと、私はそう感じた。

 背骨まで突き抜けて行く程の、恐怖と間違わんばかりの衝撃。

「どうもありがとう」

 ボーカルの謝辞によって、漸く私は曲の終焉を知った。

 そして、先程までの衝撃も感動も一旦全てをかなぐり捨てて、ボーカルの彼の顔をもう一度、深く観察した。

「どうだった和葉?」

 姉が話しかけて来るけれど、今はそれも耳には入ってこない。その代わりに、先程の姉の放った言葉が、頭の中で何度も蘇ってきた。

『内緒なんだけどね、確か玲央君、和葉と同い年の筈だよ』

 髪の色も金髪だ。

 雰囲気もまるで違っている。

 ヘッドホンもしていない。

 だけど、間違いようが無かった。

 あの日屋上で交わした彼の声と、もっさりとした髪の毛の隙間から見えた瞳を、私はチケットを渡す事の出来なかった今日の今日まで、何度も何度も頭の中で、思い返していたからだ。

 だからこそ、気付いてしまった。

 ――大藤君、一体そこで、何やってるの?

 だけどそれでも、目の前の出来事を、俄かには信じる事が出来なかった……。

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