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2-2


 昼の購買は戦場だ。

 だが、苛烈な戦況とは裏腹に、その開戦時間はあまりにも短い。

 私が購買部へと辿り着いた頃には、前線部隊は既に撤収しており、彼らの後塵を拝していた残党達が残った物資を巡って掃討戦を行っていた。彼らさえも退いた後には、恐らく何も残ってはいないだろう。

 これ以上の徒労は御免だ。

 先刻の数学の授業でのダメージもあり、私の身体は早急な栄養補給を要求していた。

 詰まる所、かなりお腹が空いていた……。

 ――仕方ない、教室に戻って、道子達に何か恵んで貰おう。

 そう思い踵を返した所で、見覚えのあるヘッドホンが階段を上って上階へと消えて行くのが視界に入った。

 慌ててその後を追いかけると、大藤君はパンの入った袋を持ったまま黙々と階段を上っていた。

 そう言えば、彼は昼食をどこで取るのだろう? 

 ふと気になり、悪いなとは思いつつ、その後を追いかける事にした。

 7月の太陽が、階段を照らし出す。

 天国への階段を上るように、彼はそのまま屋上のドアを潜って行った。

 私も後を追いかけると、扉の向こうからすぐに突き抜ける程高い青空が顔を覗かせた。

 屋上を見渡してみるが、三々五々固まっている数人の生徒はいるものの、肝心の大藤君の姿は見当たらない。

 ――おかしいなぁ?

 屋上に身体を隠せるような場所は無いはずだ。

 と、そこで、屋上にはさらに上がある事を思い出し、更に銀梯子を上って、校舎の一番高い場所、大時計の上部を目指した。

 梯子を上り切ると、パンをパクついている大藤君の背中が見えた。

「……こんにちは」

 そう声をかけた。

 だけど、彼はヘッドホンの所為か一向にこちらを振り向かない。

 私はそのまま彼の背中を指で突っついた。

 大藤君はこちらを振り向くと、ぼんやりとした瞳を一度だけ大きく見開いた。

「こんにちは」

 もう一度、挨拶をする。

 そこで彼は、ヘッドホンを外して、私に向けて訝しげな目を向けた。

「……何?」

 初めて、彼の声を聞いた。

 男子にしては比較的高く、だけれども透き通った、綺麗な声だった。

「あ、大藤君。私の事、分かる?」

 彼の瞳が、より一層じっとりと私を見つめ返してくる。

 つい勢いでそう言ってしまったが、クラスメートに向けて、かなり馬鹿な発言をしてしまったなと反省する。

 だが、口から出た言葉を引っ込める術は無い。

「まぁ、一応……」

 遠慮がちにそう答える彼に、私は勢いで言葉を繋げた。

「あのね、大藤君。この間、私の事助けてくれたじゃない? ほら、転びそうになった時、腕引っ張ってくれたの。覚えてる?」

 四つん這いのまま話しかける私に気圧されたのか、彼は、まぁ一応、と先程と変わり映えしない言葉を発した。

「良かった! それでね、私、その時のお礼ちゃんと言えてなかったなって思って。いや、違うのよ、私は言ったの。ただ、大藤君いつもヘッドホンしてるじゃない? だから、ちゃんと聞こえてないんじゃないのかなって思ってさ、何か気になってたのよ。だからね、あの時……」

 そう捲し立てた次の瞬間、私のお腹の中に巣食う虫が、ぐぅうっと言う、女の子としてはかなり恥ずかしい部類の音を、可愛らしく鳴らした。

 先程まで吹いていた風も、空気を読んでるのか読んでないのか、一瞬だけ止んでしまったりして、おまけにいつもだったらヘッドホンを付けている筈の大藤君は、珍しくその耳を風に晒している訳で、まぁ、そんな訳で、空気に触れてしまったその音を今更消せる訳も無く、私は自身の身体が栄養を欲していると言う唸り声を、意識的に笑いを被せて誤魔化すと言う力技に出る事にした。

「あははは、何だろうね……」

 ――すいません、誤魔化せません、無理です……。

 そんな私へ向けて、大藤君は自身の横に置いてあったビニール袋を差し出してくれた。

「くれるの?」

 はしたないわ、何て言う1000年前の貞淑は屋上の風にさらわれて私の心からは綺麗に吹っ飛んでいた。

「……一つなら、好きなの選べよ」

 彼は困った顔を作りながらも、私に向けて微笑んでくれた。その笑いがたとえ苦いものだったとしても、今の私にはそれは天使のように映った。

「いいの? 本当?」

 ビニール袋の中を一瞥し、私は一瞬の逡巡の後クリームパンを手にした。

「……友野、昼飯無いの?」

「うん、今日はちょっと油断しちゃってさ。ありがとう、助かったよ。お金払うね」

「別にいいよ」

 会話を続けながら、私はクリームパンの袋を開け、かぶりついた。一口目にクリームに届かなかった事すら、今の私には幸せな事に思える。

 そのままクリームパンを齧る私を、大藤君はぼんやりと見つめていた。

「何?」

「いや、別に、美味そうに食うなって思って……」

「だって美味しいもん。空腹は最大の調味料だしね」

「お前、それ褒め言葉じゃねぇぞ?」

 呆れ顔を隠そうともせずに、大藤君はコロッケパンを齧っている。

 暫し黙々とパンを咀嚼していたが、私が食べ終わる頃には、大藤君はコロッケパンの他にメロンパンも食べ終えていた。

「食べるの遅いんだな……」

 ――また言われてしまった。

「ねぇ、大藤君って、いっつもここでご飯食べてるの?」

「……あぁ、そうだけど?」

「どうして?」

「静かだから……」

「みんなで食べた方が楽しいよ?」

「そう言うのが嫌なんだよ」

 そこで大藤君は、少しだけ不機嫌になってしまったのか、再びヘッドホンを耳に付けた。

 私は、話は終わったからさっさと帰れと言われてしまった気がして、何だか哀しくなった。

 だから、彼のヘッドホンを奪って、何を聞いているのか知りたいと思ったのは、その哀しい心の隙間を埋める為であり、とても自然な事だと納得が出来る。

 ――嗚呼、自己弁護。

「おいっ、何すんだよ!」

 声を荒げる大藤君が、私の耳からすかさずヘッドホンを奪い去る。いや、最初に奪い去ったのは私だから、取り返した、が正しい。

「大藤君、いつもこんなの聞いてるの?」

「別に……、お前には関係無いだろ?」

 確かに、そう言われてしまったら、私達の関係なんてまだまだ私が餌付けされた程度の関係だ。だけど、気になるものは気になる。

「今のって、波の音?」

「……波ってか、海の、潮騒の音だよ」

「ずっと、そんな音聞いてるの?」

 てっきり、流行りのアイドルの曲とかを聞いているのかと思った。

 いや、きっと紗絵のイメージの大藤君が私の中に入ってきた所為でそう思っていただけなのかもしれないが、それでも、波の音とは意外だった。

 ――音楽じゃないじゃん。

「お前には関係無いだろ……」

 そう強く言って、彼は再びヘッドホンを耳につけ、梯子を伝って下りて行ってしまった。

「ちょっと、大藤君?」

 下を覗き込んだ時、大藤君は梯子を下り切って、そのままさっさと屋上を出て行った。

 ――怒らせちゃったかな?

 手元には、彼が恵んでくれた空っぽのクリームパンの袋だけが残った。

 一つ吐いたため息が、屋上の風に飛ばされていく。

 そして、そんな私の自分勝手な憂鬱気分を風よりも綺麗に吹き飛ばすように、昼休み終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

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