7-5
「お~、和葉~」
ひらひらと手を振りながら、缶ビールを片手ににやけている。
「お姉ちゃんも来てたんだ」
「いや、今来た所よ」
「そっか。それにしても……」
「それにしても、何よ?」
「いやぁ、いつも通りだなぁって思っただけ」
男の子はそうでもないにしても、この女子の浴衣着用率の高いお祭りにおいて、姉は普段と変わらず、Tシャツにジーパンと言うスタイルのままだ。
「別にいいじゃない? 見せる人もいないしね~」
「キコさん、仁は?」
順哉さんが姉に焼きそばのパックを渡しながら問いかける。
「ん~、仁さんは今日はバイトだって、何か貸し切り客が入ったらしいのよ」
「夏だしね~。やっぱ飲食関係は忙しいか~」
二人の会話から推察するに、仁さんのバイトは、レストランや居酒屋関係なのかもしれない。
「ちょっと、和葉。あれ、あんたの姉ちゃんなの?」
紗絵の問いに、そうだよ、とだけ返す。
「似てないわね~。お姉さん、ボンキュッボンじゃない。遺伝子って複雑だわね~」
紗絵がいつもの親父ノリで、姉の肢体を眺めながら呟いた。
そんな事を言われるこちらが複雑な気分になる。
「にしても和葉、あんた何でそんなとこにいるの?」
「何となく、流れで」
「そっちの子は、お友達?」
姉が紗絵を見ながら、興味深げに聞いて来る。
「鈴原紗絵です。和葉には、いつもたっぷりお世話をしてあげてます」
「あら、それはそれは。手のかかる妹で申し訳ないですけど、めげずに仲良くしてあげて下さい」
「ちょっと二人とも! 私の扱い酷く無い?」
間に立つ私の神経を敢えて逆なでしているかのような挨拶に、思わず噛みついてしまった。
「和葉、いいお友達じゃない」
「どこがよ!」
「え~、私はいいお友達じゃないの?」
「いや、そういう事じゃないのよ?」
「やっぱり、女友達なんかより、大藤がいいのね~」
「どうしてそこで玲央君が出てくるのよ!」
「あら、貴方も玲央君と知り合いなの?」
「はい、お姉さま。クラスが一緒なんです」
紗絵の口から飛び出す姉の呼び方が、どんどんグレードアップしていく。
「お、噂をすれば……」
順哉さんが往来を眺めながら楽しそうに呟いた。
全員でその目線の先を見ると、フランクフルトを片手に持っている、ヘッドホンを付けた玲央君がいた。
「キコさん、玲央捕まえてきて」
「ラジャー!」
順哉さんの指令を受け、姉は親指を立てたかと思うと、すぐさま玲央君の元に飛んでいき、困惑している玲央君の腕を引っ張ってきた。
「え? 順哉さん、何やってるんですか? ってか、キコさん、何やってるんですか?」
「まぁまぁ、玲央、とりあえず食えよ」
「はぁ……、どうも」
玲央君はヘッドホンを外しながら、順哉さんに渡された焼きそばのパックをおずおずと受け取った。
どうでもいいが、順哉さん、さっきからただで配り過ぎじゃないのか?
「よっ、大藤~」
紗絵の声に気付き、玲央君がこちらを向いた。
「鈴原……、友野も。お前ら何やってるんだ?」
玲央君は頭にハテナマークを浮かべたまま、先程から誰かれ構わず同じ質問をしている。
「玲央君、こんばんは」
「ああ、うん。集合時間まで、まだあるよな?」
「うん、まだだよ」
「へぇ、あんた達待ち合わせしてたんだ。デートのお約束だったのかな?」
「そんなんじゃありませんよ。みんなで、花火見ようって流れになっただけですよ」
「みんなでか~、玲央君も、お友達とこういうとこに来るようになったんだ。何か嬉しいね、順哉君」
姉は、玲央君の頭を撫でながら、嬉しそうに順哉さんに同意を求める。
玲央君は顔を赤らめながら、されるがまま、姉に撫でられ続けている。
屋台の前で行われているその光景が、途端に私の胸の内に哀しく響いた。
そう、まるで、観客席から映画を見ているような錯覚。
スクリーンの中には入っていけない、ただ、眺めているしか出来ないのではないかと言う、哀しい錯覚。
「和葉?」
横から、紗絵が声を掛けてくれた。
「何?」
努めて平静を装ってみるが、紗絵は心配そうな顔を向けてくる。
「大丈夫?」
普段おちゃらけて、からかってくる癖に、こう言う時は心の機微を読み取るのが上手い親友は、私の痛みを理解しているかのように、大丈夫? と聞いて来るのだ。
「うん、大丈夫。そろそろ時間だよね。ちょっと私、お手洗いに行ってくるから、また後で合流ね」
心配そうな顔の紗絵に笑顔で返す。
――大丈夫、私は、空気の読める子だ……。
「じゃあ玲央君、また後で。順哉さん、御馳走様でした。お姉ちゃん、飲み過ぎちゃ駄目だからね」
「分かってるわよ~」
缶ビールを持ち上げ、掌の代わりに振る姉の姿を一瞥し、私は順哉さんの屋台を出て、再び人混みの中へと飛び込んだ。
人の多さと、足元の頼りなさで、上手く前に進めない。
――私、何やってるんだろう……。
焦りと苛立ちが、胸に湧き上がってくる。
その理由が、上手く歩みを進められない事だけでは無いのは、自分が一番良く分かっていた。
――悔しいなぁ……。
結局、玲央君にちゃんと浴衣を見せる事も出来なかった。褒めて貰う事も出来なかった。知っていた筈の事実を目の前にして、逃げ出す事しか出来なかった……。
途端、涙が瞳の奥から湧き出てくるのを感じた。
人混みを外れ、境内に向かう途中の階段の横で立ち止まる。脇に逸れ、暗がりの樹に手をついた。
呼吸を整えて、涙を押し戻すように、頭を振る。
その時、不意に後ろから肩を叩かれた。
「和葉?」
振り向くと、道子の顔があった。後ろには、祐一君の姿も見える。
「道子?」
「脇に逸れて行くのが見えたから。どうしたの?」
その瞬間、押し留めていたものが、零れ出てしまった。
「道子~、私、駄目だな~……」
「も~、どうしたのよ?」
泣きながら笑う私の姿を見ながら、道子はまるで子供をあやすかの様に、優しく私の肩に手を置いてくれた。